『大切な話』
レオンも彼の側近たちも……何か隠し事をしているような素振りは以前からあった。
屋敷に戻る直前、ルイスさんに言われたのだ。私にまだ伝えられない事柄があるのだとはっきりと。彼が普段あまり見せない神妙な面持ちで告げられたものだから、その事柄の内容を深く追求するのは躊躇われた。
隠し事をされているのは少しだけ寂しさを感じたけど、それが事件の捜査に関わることであるなら仕方がない。簡単に教えて貰えないのは当然だ。私の精神面に与える影響を心配しての対応でもある。様々な制限がある中で、レオンたちは捜査の進捗を知りたがる私の希望にも応えてくれた。今はまだ言えないという話だって、時が来ればきっと打ち明けてくれるだろう。そう思っていた。
でもまさか、その話を……
レオンたちではなく、お父様から聞くことになるなんて……予想していなかった。
「なぁ、リズ。さっき運ばれていったのデザートだったろ。昼食もそろそろお開きかな」
「どうでしょう。おふたり共積もる話がおありでしょうし……盛り上がり次第ではもうしばらくかかるかもしれません」
クレハ様は旦那様と一緒に昼食を召し上がっている最中だ。私とルイスさんは食堂の前で待機している。
最近の旦那様は食欲が落ちていると聞いて憂慮していたのだけど……この様子だと食事は順調に進んでいるみたい。食堂を行き来している配膳担当の侍女の表情も明るい。
意気消沈している旦那様を励ますために、テーブルの飾り付けからメニューの選定まで、クレハ様みずから行った特別なランチタイムだ。最愛の娘に誘われて断るなんて……旦那様に出来るはずがない。
「そっかぁ……姫さんが父親と良い雰囲気なのは喜ばしいことだよな。でも俺さ、姫さんと離れてると落ち着かないんだよね。目の前にいてくれないと不安でたまらない。ほら、護衛だから」
離れているといっても壁一枚隔てたすぐ側にいらっしゃるのだけど……
ルイスさんはクレハ様が自分の目の届かない場所で誰かとふたりきりでいるのが気掛かりらしい。一緒にいるのはクレハ様のお父上なのに。ご家族に対しても警戒を緩めない姿勢は流石である。ルイスさんが信用しているのは、彼の主であるレオン殿下だけなのだろう。
旦那様がクレハ様を傷つけるなんてあり得ない。でも、ルイスさんの言葉を聞いて一抹の不安がよぎった。今の旦那様はとても不安定な状態だから。まさかとは思いつつも、物事に絶対なんて存在しないのではないか。相手が家族や身内だからといっても、それはクレハ様の安全を保証するものではない。
嫌な想像をしたせいで、胸のあたりがもやもやしてきた。本来なら自宅というものは、最も心が休まり安心できる場所だろうに。自由に帰宅することすらできなくなってしまったクレハ様の御心を思うと……眉間に力が入り、胸の不快感も増していく。
「リズがめっちゃ怖い顔してんだけど……」
「えっ……そ、そんな!! ルイスさんの話を聞いたら、私も心配になってしまっただけです」
「食堂を出入りしてる侍女にも変わった所は見られない。大丈夫だよ。俺がそわそわしてるのは心配する気持ちもあるけど、単純に姫さんに早く会いたいからってのもあって……」
「ルイスさん?」
話の途中だったのにルイスさんが口を閉じた。どうしたのだろうと声をかけるが、彼が沈黙した理由はすぐに判明した。
食堂の扉が開いている。
私が聞き逃してしまった扉が開く音を、ルイスさんはしっかりと拾っていたのだ。開いた扉の隙間は数センチほどで、その向こう側にいるのが旦那様なのかクレハ様なのかはまだ分からない。隙間が静かにゆっくりと広がっていく。私とルイスさんはその様子を食い入るように見つめた。ようやく人がひとり通れる広さまで扉が開く。中から出てきたのは――
「……リズと、ルイスさんも。私を待っていてくれたんですか?」
「姫さんっ……!!」
扉から現れたのはクレハ様だった。ルイスさんはクレハ様の姿を認めたのとほぼ同時に彼女のもとへ駆け寄った。ちょっとだけ出遅れてしまったけれど、ルイスさんの後に続いて私もクレハ様の所へと向かった。
「クレハ様、あの……」
その先の言葉が出てこない。『お食事はどうでしたか?』とか色々あるはずなのに。唇が動いてくれなかった。
「なに? リズ」
クレハ様が笑っている。相変わらず見惚れてしまうくらいに美しい。それなのにどうして……私の体は、まるで恐ろしいものに対峙したかのように震えているのだろう。
「……お父様とたくさんお話しをしたよ。食事もしっかり取ってくれたから一安心。だけど……私ちょっと疲れちゃった。張り切り過ぎたのかな」
しばらく休みたいと、クレハ様は自室に向かって歩き始めた。言動におかしなところもない。でもどこか変なのだ。この違和感を上手く言葉にできないのがもどかしい。困惑する私を置いて、クレハ様はどんどん食堂から離れていってしまう。
「リズ、姫さんを頼む」
「ルイスさんっ……何をするつもりですか!!」
強烈な怒気を帯びたルイスさんが、食堂の扉を開けようとした。中にはまだ旦那様がいらっしゃるというのに。
「決まってる。姫さんの父親から事情を聞くんだよ」
私の制止を受けて踏み止まってはくれたけど、ルイスさんの手は扉のハンドルを握りしめたままだった。強く掴まれたハンドルがみしみしと音をたてている。声こそ荒げてはいないが凄まじい剣幕だ。こんな状態のルイスさんを旦那様と会わせられるわけがない。
「リズだって見ただろ、姫さんの顔。食事の最中に何かあったんだよ」
ルイスさんもクレハ様の異変に気づいていた。そしてその原因が旦那様にあると考えている。状況的に考えて当然の流れだ。
「分かっています。でも、落ち着いて下さい」
彼を絶対に食堂に入れてはいけない。いくらレオン殿下の側近とはいえ、ジェムラート家の当主に手を上げるなんてことになったら……
最悪の展開を回避するために私は必死だった。ルイスさんは一向に扉のハンドルから手を離そうとしない。これ以上騒ぐと、旦那様にも気付かれてしまう。どうしたらいいの。
「リズー、ルイスさんも、何してるんですか。早く来て下さい」
「……ク、クレハ様っ!! 申し訳ありません……すぐに参ります」
先に部屋に向かっていたクレハ様が戻ってこられた。いつまでも付いてこない私たちを不審に思ったのだろう。
「ルイスさん……まずはクレハ様を休ませてあげましょう。私たちも一旦冷静にならなくては。事情を聞くのはそれからでも遅くありません」
「……分かった」
クレハ様が間に入ったおかげだろうか。頑なだったルイスさんの態度が軟化した。彼の手が扉から離れていく。あわや傷害事件が起きるところだったが、間一髪で防くことができたようだ。
和やかな雰囲気とは到底言い難い私たちを見ても、クレハ様の表情は笑顔のままだった。違和感の正体が分かった気がした。
クレハ様は感情を内に隠すのが得意ではない。笑顔の時は『嬉しい』『楽しい』『幸せ』など……その時の思いが表情から溢れ出ているのだ。
それなのに、今のクレハ様はどうだ。まるで『笑顔』というお面だけを顔に貼り付けているかのように、表情からは何も感じられない……『無』だったのだ。