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零番線特急

43 しかと受け取った

43

104

2022年06月30日

#ホラー#グロテスク#ダーク

 それは素早く幸造さんと林老人の方へ這い寄っていく。復活できなかった靄が、煙のような形のまま、二人に危害を加えようとしているのだろうか。

「幸造さん!」

 彼も気がついたのだろう。とっさに靄から林老人を守るように抱きしめたまま彼の体を抱え込む。

 だが、靄はその手の隙間をかいくぐり、林老人の耳のあたりからあっという間にその体の中に入り込むかのように消え失せた。

「嫌な予感が」

 金髪が小さく呟く。

 俺の頭にも同じ予感とやらが浮かんでいる気がする。

 その予感は、床に放り出されたままぴくりとも動かなかった林老人の手が、ゆっくりと握られていくのを機に確信に変わった。

「おっさん!」

 金髪がそう言うのと、林老人が幸造さんにつかみかかるのは同時だった。

 重たい音をたてて、幸造さんの体が床に転がる。

「行け!」

 幸造さんが叫んだ。その声は苦しげにつぶれている。

 林老人が彼の首を締め上げているからだ。林老人の頭からはぼたぼたと血が垂れて幸造さんの顔を汚していく。

「良いから、行け!」

 その時、無情にもサイレンが鳴り始めた。

「行け! 行ってくれ!」

 二人の姿からなかなか視線を引きはがせない。

 幸造さんが震える手を伸ばして林老人の腕をさすると、林老人は何度も首を横に振った。まるで自分の行動を嫌がっているかのようだ。

「は、やし……さん」

 嫌がっているのだ。

 彼は、自分の手が自分の父を締め付けていることを嫌がっている。

「行くぞ」

 低い声でそう言われて腕をひかれた。何も出来ない。だってそうだろう。

 もし俺が何かをするとしたら、それはきっと林老人を。

 そんなことを幸造さんはきっと望まなくて。

 でも。林さんはこんなことを望んでいなくて。

 金髪に引きずられるように廊下に出た。

 無言で玄関に向かう金髪が足元の靄を蹴飛ばすと、もとに戻りかけていた靄の欠片があたりに飛び散る。復活を妨げたのか、危険を増したのかはわからないがそれを指摘する気はおきなかった。

 二人を残して行く。

 金髪の背中はそんなことはものともしていないかのように見える。

 だが突然、何かを思い出した様子で金髪は踵を返した。

「お前は先に行ってろ」

 と言いおいてリビングへと走り戻る。

 そして

「おい!おっさん。切符を返せ!」

 と叫んだのが聞こえた。

切符

 その単語に俺も思わず息をのむ。

「その切符は、のっぽのだ!」

 金髪の声がそう言うのと、また少しサイレンの音が大きくなったのは同時だった。

 時間がない。

 俺はこうしている間にも電車のドアが閉まってしまう、そんな想像を押さえきれずに電車を見た。開け放たれた玄関ドアの向こう側には、明るく照らされた車内。

 リビングからは幸造さんが懇願する声が聞こえた。

「おっさん、やめろ」

「俺は知ってる」

「やめろ!」

「俺は、お前に頼んでいるんだ。……頼む」

 そのとき、ひときわ大きな発車の合図があたりの音を掻き消した。

 金髪を迎えに行くべきだろうか。そう思って一歩リビングへと足を踏み出した時、ふらふらと金髪が扉から出て来るのが見えた。その左手には真っ赤な斧が握られている。真っ赤な斧からは、真っ赤なものが床に落ちて小さくはねた。

 金髪は自分の手を見下ろしてから、少しだけ眉を寄せたように見えた。

「おい……」

 聞きたいことは山ほどあったが、それ以上口が動かない。

「なに?」

 ぼんやりと返される言葉に、なぜかごくりと喉が鳴った。

 サイレンが大きくなる。もう時間はない。

「走れ!」

 俺はそう言って自ら走り出した。電車に飛び乗りドアが閉まらないように背中と足とをつっかえ棒のようにする。

 サイレンが鳴り終わり、俺の背中と足の裏が閉まりかけるドアの感触を感じた。

「金髪!」

「……! うっせえ。しっかり開いてろ!」

 金髪がその隙間に突っ込んでくる。俺は何とか金髪の腕を掴み、力任せに電車の内側へと引きずり込んだ。

 金髪の足が一度ドアに挟まれたが、無理やり引きずり込む。

「駆け込み乗車はおやめ下さい」

 そんな無機質なアナウンスが流れ、金髪は「はいはいはいはい」と悪態をついた。

「もっと言うことあんだろ。それに乗車も降車も結局あぶねえじゃねえか」

 言いながら金髪は斧を床に放り出し両手を一度ポケットに突っ込んでから、右手を引き抜き俺の方へと差し出した。ぱっと開かれた手には一枚の切符がある。

 その手が小さく震えているのに気がついたが、俺は見なかったことにした。

 小さな切符に手を伸ばし、その固い感触に少しだけ安堵した。

 記された名前は高野慧。

 俺たちはまだ大丈夫なはず。

 俺たちはしばらくの間無言のままだった。

 暗闇だった車窓にやがてパラパラと木々の濃淡が混じり、そのうち車窓はどこかの山間の風景を映し出すようになった。

 枝ぶりが指のように広がって窓をひっかく。それが悲鳴のように何重にも重なる頃、やっと電車はその森を抜けた。

 車掌となってあらわれた林老人は、青白い肌色と、今まさに抉られたと言わんばかりの 眼窩(がんか)から赤い雫を垂らしていた。首の後ろ側が不自然に 陥没(かんぼつ)している。

 ああ、本当に彼は死んでしまったのだ。

 助かるような傷では無かった。

 最後に見たのは、実の父に掴み掛かり首を振り続ける彼の姿だ。

 彼はあのまま死んでしまったのだろう。

 靄に体を乗っ取られたように見えたが、それが彼の命を長らえさせることはなかったのだろう。

 あの靄に殴られて死んだ林老人。

 だが林老人の後頭部を見た時、俺は何か思い違いをしているような、何かを見落としているような奇妙な気持ちになった。

 何か。

 俺はもう一度林老人を見た。

(あの靄に殴られて……? 殴られたのって、あんな場所だったっけ)

 首の後ろが不自然に陥没していて。

 俺の頭には、靄に殴られて林老人が横倒しになった時の記憶が甦った。

 そう、横倒しだ。靄に殴られたのは側頭部のはず。

 見れば、耳の上のあたりにも大きな傷が見える。しかし首の後ろには、大きなはっきりとした窪みがあった。皮膚を裂きその奥のものを露呈させる程の深い溝。

 この傷を作るには、直線の固いものが必要だ。

 そう、例えば。

 俺は思わず金髪を見た。

 そう、例えば。彼が放り投げた斧で人を殴ればこんな風に。

 一瞬金髪と目が合った気がした。

 だが、次の瞬間には金髪はもうそっぽを向いている。

 俺が林老人の首の後ろを見ていたのに気がついたのだろう。

 俺は林老人の最期を自分の目で見ていない。

 俺はじっと金髪を見た。彼には何もおかしなところはなかった。

 シャワーを浴びてこぎれいな格好になったこと以外には、何一つ。

 金髪は俺の視線に気がついているだろうに、両手をポケットに突っ込んで視線をそらせたままだった。

 その横顔が、僅かに青ざめている気がする。多分俺の予想は外れてはいない。

 車掌となった林老人は全ての切符を確認すると足を引きずるような独特の歩き方で車両前方へと移動していく。

 その姿からは友好的なものは一切感じられない。

 まるで本能であると言わんばかりに、切符を確認して去っていく存在。

 彼はそういうものになってしまったのだろうか。

 車掌は入れ替え制だ。これまでのことを考えれば入れ替え条件は明らか。

 切符を持ったものが死ねば車掌になる。

 そして車掌は次の車掌が生まれれば、おそらく解放される。

 解放が何を意味するのかは定かではないが、死の先にある解放はきっと俺が望むゴールじゃない。

 林老人の姿が運転席に消える間際、軽い音が車内に響いた。

 音は俺たちの後ろ、二両目に続くドアのあたりからのものだ。

 驚いて音のした方を見れば、そこには黒い制帽と制服の車掌がもう一人立っていた。

 思わず息をのんだが、良く見れば帽子の下には血の通った人の顔があった。

「ああ、人がいた! 良かった、ボクだけがこのおかしな電車に乗っているのかと思いましたよ!」

朗(ほが)らかに笑った男は、車両の最前部へと素早く視線を走らせたように見えた。

 そしてすぐに俺達を見渡し、軽く頭を下げる。

「ちょっとボクにも良くわかっていなくて申し訳ないのですが、もしかしたらメンテナンス車か何かに間違えてお客さんをのせてしまったのでは」

 そう言う男は、30代半ばほどのさわやかな外見をした人物だった。黒に近いダークグレーの制服に身を包み、制帽の下には黒ぶちの眼鏡が見える。

「ええと、駅員さん?」

 三井さんがそう問いかけると、

「河原と言います。Q鉄道の車掌です」

 Q鉄道とは、大阪を走る列車らしい。その鉄道の車掌が新しい乗客。俺達は顔を見合わせ、何度目になるか分からない長い長い説明をすることになった。

「ちょっと確認させて貰っても良いでしょうか」

 河原という鉄道員は、困った様子で呟いた。

「この電車はQ鉄道ではなく、この世のものでもない不思議電車である。

 乗客は7名、というよりは発行される切符は7枚。

 他人への譲渡ができる。

 切符が車内に戻らなければ切符は消滅し、新たに乗り込んだ乗客に割り振られる」

「そうですね」

 俺は頷いて、先を促した。

「停車駅は、乗客にとって印象深い場所、思い出深い場所。

 ゆかりのある者には頭痛発作が発症する。

 行き先は「ミナゴロシ」

 車掌は不気味な外見をしていて、元この電車の乗客。

 誰かが死ねば、車掌と死んだ人が入れ換わる」

「電車屋、物わかりが良いじゃねえか」

「ボク二次元とか好きなんで。それに、まあ……この電車変だし、問題の車掌にも一度会ってますしね」

「そりゃ、ラッキーだな」

 電車屋はふふ、と笑った。

「金髪さんは口と人が悪いですねえ」

 柄悪く金髪が声をあげて立ちあがる。俺とケイにやったように、電車屋の顔を睨みつけてから金髪は口を開いた。

「最後の重要情報だ。みみかっぽじって良く聞け。お前、人を殺したことがあるだろ」

 電車屋の目が、一瞬剣呑な光を宿してからふと緩んだ。

「……残念ながら、ありますねえ」

 そうあっさりと応える。

「ボク、車掌になる前は運転士だったんです。まあ、車掌になって運転士になって、また車掌になったって言うのが正確ですけど。運転士になりたくて勤めたんですけどね、三回、短期間に三回事故がありましてね。運転士はやめちゃいました。いろいろとイレギュラーらしいです、ボク」

轢(ひ)いた、ということなのだろう。

「……皆さんは、どんな形なんですか」

 電車屋は軽い口調でそう聞いてきた。その言葉の真意を測りかねて、俺達は一瞬黙り込む。

「だって、そう言うってことは、皆さんも人殺し、なんでしょ?」

 電車屋がにこりと笑う。だが、その目はひと 欠片(かけら)も笑っていないようだった。

零番線特急

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