物心ついた時から、俺の家は母子家庭だった。
母方の祖父、|将馬《しょうま》は、音楽が好きなら大抵の人が知る、愛知県に本社がある音響ブランドHAYAMIの会長だ。
祖父に嫁いだ祖母、|百合《ゆり》は地主の娘でお嬢様。
母はそんな裕福な速水家に生まれた長女だった。
本社と実家は名古屋にあるものの、祖母は子供たちの将来を考えて都内で生活していた。
祖母は都内でピアノ教室を開き、母はピアノを習いながら学生時代を過ごした。
祖母は母に音楽大学に行ってほしいと願っていたらしいが、母は自分の人生を歩みたいと言い、秘書となる道を選んだ。
秘書になって実家で働くのかと思いきや、高校時代に親父――篠宮亘と出会い、運命を狂わされた。
父とは高校生の生徒会で出会い、恋に落ちて付き合い、大学も同じところを受験した。
高校卒業する頃には二人で結婚する未来を語り合い、いずれ父が社長となる篠宮ホールディングスで秘書をしながら夫婦生活を……と考えていたらしい。
だがその頃から母は、祖母と衝突を繰り返していたようだった。
HAYAMIは長男が継ぐからいいものの、祖母としてはそれを支える婿養子がほしく、母にお見合いをしろと言っていたそうだ。
けれど母は父を深く愛し、拒み続けた上に音楽の道を捨てた。
祖母に自分の意志を叩きつけるために、母はずっと続けていたピアノをやめ、コンクールも欠場したそうだ。
祖母にとって音楽はとても大切なものだったので、娘の侮辱ともとれる行動をどうしても許す事ができなかった。
大学を卒業し、篠宮フーズの秘書となる頃には、母は速水家から勘当されていた。
篠宮家の祖父母は、最初は『速水家の娘なら……』と思っていたが、勘当されたと知ったあとは結婚を反対し、大きな旅館を経営している國見家の令嬢である怜香との結婚を押し進めた。
どうやら以前から家同士で結婚の約束があり、母との交際も様子を見ていたのだが、速水家との友好的な繋がりを得るのが難しそうだと気づいたあとは、母を切り捨てたらしい。
その時、父がもう少し根性を見せ、速水家との仲を取り持つなどの努力をしていれば、未来は変わっていたかもしれない。
母は父との結婚に失敗した挙げ句、実家からも勘当された状態で、俺を育てる事になった。
俺たち母子の住まいとなったマンションは、父が母に買い与えたものだ。
セキュリティがしっかりして住み心地が良く、俺と妹が成長したあとも、それぞれの部屋を得られるぐらいの広さがあった。
俺は父の事を〝週に一回ぐらい現れるおじさん〟と認識をしていた。
頻繁に現れては親しげに接してくるので、初めは近所に住んでいる身なりのいいおじさんだと思っていた。
母は〝おじさん〟がくると俺に外に出るよう言い、会わせるのが嫌そうだった記憶がある。
〝おじさん〟は俺にこっそりとゲーム機やスマホを買い与えてくれたので、最初はいい人だと思い込んでいた。ガキなんてそんなもんだ。
母に『外に行ってなさい』と言われた時、大抵は素直に言う事を聞いて友達と遊んでいた。だが雨が降った時や友達の予定の関係もあり、毎回家を離れられる訳ではない。
『怒られるかな』と思ってそっと家に戻れば、母の泣き声が聞こえる時もあった。
くぐもった声を出している時もあり、そっと覗いてみれば母は胸をさらけだして〝おじさん〟に覆い被さられていた。
その時はセックスというものを知らなかったから、母が何をされているんだか分からなかった。
が、『母が〝おじさん〟にいけない事をされている』という感覚はあり、〝おじさん〟への不信感、嫌悪感はどんどん募っていった。
母があかりを出産して心身共に大変だった頃は、〝おじさん〟が俺の面倒をみていた。
『どうして亘おじさんはいつも家に来るの? 結婚してないの?』
そう尋ねたのは、父が俺たちを訪問する時は、必ず結婚指輪を外していたからだ。
父はその質問を聞き、苦しそうに表情を歪めてこう言った。
『おじさんじゃなくて、〝お父さん〟って呼んでくれないか?』
その時、俺は混乱しながらも何となく理解した。
――この〝おじさん〟は本当の父親かもしれない。
――でも母は何かしらの理由で、〝おじさん〟とは結婚しなかった、できなかったんだ。
そんな発想に至ったのは、小学校に通い始めて様々な友人と話す機会があり、〝家庭の事情〟を知っていったからだ。
まだ小学生低学年だったし、周りは〝大人の事情〟がどういう事かを分かっていない子供ばかりだ。
だからこそ、無邪気に『うちってこうなんだよ』と話す事がある。
俺は物心ついた時から自分には父親がいない自覚があったからこそ、〝おじさん〟が俺たち家族に申し訳なさを感じて、こっそりとうちに通っているのだと気づいてしまった。
コメント
2件
この時からおじさんはお父さんと気付いていて、申し訳なくコッソリ来るって事も気付いてるのを亘は気付いてないよね、やっぱり亘…😤
おじさんに。。。(💢'ω')めちゃくちゃ文句言いたくなる。(笑)😅