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「……いらっしゃいませ。こちら、お温めいたしますね。……ふふっ、今日はちょっと肌寒いから、あったかいご飯が嬉しいですよね」(こんなふうに声をかけられるようになったのも、つい最近のこと。最初の頃は、“人の声”に自分の声が重なるのが怖くて、ぎこちなくて……レジに立つだけで、心臓が跳ねてた)
(でも今は、違う。誰かの日常の中に、ほんの少しでも溶け込めているのが、嬉しくて。レジを打つ音、温め機の電子音、ドアの開閉音さえも、心地よい“世界の音”に聞こえる)
「ありがとうございました。またのお越しを、お待ちしております」
(……この言葉も、もう何度口にしただろう。最初はただの決まり文句だった。でも今は、ちゃんと“想い”を乗せて言えてる気がする)
(あの日、決めたんだ。九本の尾を隠して、人としてここに生きるって。あの静かな夜の終わりに、空を仰いで、まだ見ぬ朝に手を伸ばした――あの瞬間の自分を、ずっと忘れたくない)
(このコンビニでの仕事は、地味で、単調で、でも……愛おしい。誰かの日常に、自分の居場所がある。それだけで、私はもう、十分に幸せなんだと思える)
(人の世界は、ほんとうに不思議。温度があって、匂いがあって、触れればちゃんと跳ね返ってくる。山の中じゃ、風や木々のざわめきはあっても、こんなふうに心に触れてくるものなんてなかった)
「……今日も、無事に一日終わったなあ。……ふぅ。制服、ちょっと肩が凝るけど……でも、嫌いじゃない」
(この姿で、こうして働いてる自分が……少しずつだけど、ちゃんと“人間”に近づいてる気がする。自分の中にあった、獣のような孤独が、薄れていくのがわかる)
「……私、ちゃんとここにいる。誰にも気づかれずに。九尾なんて、もうただの幻だったかのように……」
(でも、忘れてはいけない。私には“本当の姿”がある。九本の尾と、尖った耳。それは消せるものじゃない。けれど、今の私は――それさえも含めて、“私”として受け入れていきたい)
(それがたとえ、この先……誰かに気づかれて、怖がられて、ここにいられなくなったとしても――)
「それでも、私は後悔しない。だって私は、この世界を選んだ。人の中で生きることを、自分の意志で選んだんだから」
(誰かとすれ違い、言葉を交わし、笑い合い、時に泣いて、傷ついて……そうして初めて、私は“生きてる”って言えるんだと思う)
「……ねえ、私のことをいつか誰かが見つけてくれても、その人が……怖がらない人だったら、いいな。秘密を話せる誰かに、いつか会えたら」
(それまで、私はここで、小さな幸せを少しずつ重ねていく。人として生きるって、そういうことなんだよね、きっと)
「……よし。じゃあ、明日も頑張ろう。パンの棚、今日はちょっと崩れてたから、明日は最初からきれいに並べてみよう。小さなことだけど、誰かが“あ、きれい”って思ってくれたら、きっと……嬉しいから」
(夜が静かに更けていく。星が瞬くこの空の下で、私は確かに“今”を生きてる)
「明日も、いい日になるといいな」