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注意
この物語にはキャラクターの死や心情の揺らぎを含む描写があります。読まれる際はご自身の心の状態にご配慮ください
「…少女?」
イロハがレンに問い返す。
「ああ、昨日の夜。二階の部屋の窓が勝手に開いて、宙を浮く少女が現れた。『静寂を継ぐ者、そして、観測者。ふたりが揃えば因果の門が開く』って言ってな。」
「因果の門…」
「なぁ、門ってどこにあるんだ?」
イロハはしばし沈黙した後、呟いた。
「…月見の森のことかもしれない。」
「月見の森って…イロハの生まれたって言ってた?」
「ええ、もしかしたら月見の森に何かあるかも。」
「じゃあさ、観測者って?」
「…それは、また説明します。」
(…もしかしたら、レンは選ばれてしまったのかもしれない。因果を『記録する』者に。)
月が満ちる夜。イロハとレンは、ついに“門”を越える。
そこはかつて、霊と因果が調律されていた聖域――月見の森。
けれど、そこに広がっていたのは、崩れかけた静寂だった。
森の中心には、今なお燃え尽きない「時間の残滓」が渦巻いていた。
「ここが……イロハの生まれた場所……?」
レンが息を呑むその傍らで、イロハは静かに歩を進める。
まるで、森が自ら彼女を迎えているかのように――
「……帰ってきたんだね、イロハ。」
その声は、風のように優しかった。
振り向いた先にいたのはイロハの幼い頃からの友――フユリだった。
淡く青い髪、小柄な身体に葉と花を模した衣をまとう妖精の少女。
その瞳は、春のぬくもりを宿したまま、懐かしげにイロハを見つめていた。
「フユリ……? ……あなたは、あの夜……」
「うん、たしかに“あのとき”の森に取り残された。でも、消えなかったの。ある観測者様に拾われて、私はここに残れと言われた。だからここにいた。」
イロハの表情が一瞬揺れる。
「どうして……?」
フユリは微笑みながら、そっと言った。
「だって、イロハと“また会える気がした”から。私、ずっと信じてた。」
その声には、無邪気さの中にほんのわずかな、疲れた響きがあった。
「ねえ、昔みたいに少しだけ散歩しよう? 話したいこと、たくさんあるの。」
彼女は歩き出し、イロハも静かに後を追う。
レンは少し後ろを歩きながら、ふたりのやり取りに耳を傾けていた。
「…昔のイロハはね、ちょっと怖かったんだよ?」
「……そう?」
「うん、話しかけたら『あなたと話す理由がありません』って、最初はすっごく冷たかった!」
「……それは、ごめんなさい。感情を抑える訓練を受けていたから……でも、あなたと過ごして、少しずつ変わっていった。」
「うん、知ってるよ。だって、私に“桜の髪飾り”をくれたの、イロハだったもの。…大切にしてるよ、今も。」
そう言って、フユリは自分の髪に添えられた飾りを指でなぞる。
「まだ、持っていたの……?」
「うん。だって、あれは“約束”だったから。」
ふたりの間に、温かな沈黙が流れる。
レンは、その空気に触れながらふと口を開いた。
「…君たち、本当に長い時間を越えて、また会えたんだな。」
その声に、イロハは微かに頷く。
「……でも、この再会が……終わりの始まりでもあるの。」
フユリは悲しそうに微笑む。
そのとき、森の中心にたどり着く。
そこには――“それ”があった。
今も燃え尽きない「時間の残滓」。そして、その中心に囚われた虚霊。
「……これを、ずっと見張っていたの?」
「うん。私がずっと封じていた。だけど……もう、限界なの。」
フユリの背に、にじむ虚霊の気配。
それは過去そのもの――イロハの魂を蝕む記憶の残影。
「……フユリ、それは……あなたの魂を蝕んでいたの?」
「……そう。でもね、後悔はないよ。」
彼女は、笑った。
「だって、イロハと“また歩けた”から。」
イロハの剣が抜かれる。
「……あなたの因果、ここで終わらせる。」
――月煌、一閃。
虚霊は断たれた。
だが、その代償として――フユリの魂もまた、消えかけていた。
「…ごめんね。ほんとは、もう少しだけ一緒にいたかった。」
イロハが駆け寄る。涙がこぼれる。
「…フユリ…」
「……また、すぐに会えるよ。」
フユリは静かに微笑み、光となって還っていった。
森の奥で、レンはただ佇んでいた。
彼にとって、フユリはイロハの過去そのものだった。
イロハは自分の頬に触れる。
「…水……?いや、涙……?私…泣いてる?」
レンは静かに微笑んだ。
「……イロハ。君にも、泣ける心があったんだな。」
イロハは首を振り、視線を落とす。
「……涙は、魂が揺れる時にしか流れない。私には、もうないと思っていた。……こんな感情、ない方がいい。弱くなるから。」
レンは少しだけ息を飲んだが、何も言わず、そっと彼女の手を握った。
「…大丈夫です。心配しないでください。」
イロハは小さく息を吐きながら、レンの手を静かに振りほどく。
「……でも、ありがとうございます。」
その瞳の奥には、新たな決意が宿っていた。
「私は…終わらせる。この世界を蝕む因果を、すべて。」
第五章「観測者の眼と目覚めの剣」へ続く。