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この物語にはキャラクターの死や心情の揺らぎを含む描写があります。読む際はご自身の心の状態にご配慮ください。
月見の森の奥。
木々のざわめきも、虫の声も、どこか遠くに感じられた。
レンとイロハは、森の祠に隠されていた“記憶の結晶”を見つけていた。
それは淡い光を湛え、まるで静かに脈動しているかのようだった。
レンが手を伸ばし、そっと触れた瞬間だった――
言葉にならない違和感が、レンを突き上げた。
一瞬だけ、見慣れた風景が、まるで幾重もの“選択肢”に裂けて見えた。
そのすべてが現実になり得たような――あり得たはずの未来、戻らなかった過去。
どれもが交差し、重なり、やがて風に溶けて消えていく。
(今……何かが’’視えた’’気がした)
目の前にあるのは、焼け野原になった森。
だがその背後には、触れてはならない可能性の網が張り巡らされているような感覚が残った。
レンは黙って手を引き、その感覚を胸の奥にしまい込んだ。
「……レン?」
イロハが小さく首を傾げて、彼を見つめる。
その声に含まれるわずかな揺らぎ。レンには、それが“懐かしさ”に似ている気がした。
「ごめん、なんでもない。ただ……変な感じがしただけだ」
イロハは少しだけ目を伏せ、記憶の結晶を手に取った。
そこには古びた文字が、微かに輝くように刻まれていた。
――『観測者が眼を開くとき、断罪の剣は選ばれる』――
「観測者……?」
レンはその言葉を心の中で読み上げながら、心の奥に疼きを感じていた。
何かが、自分の中で静かに目覚めつつある。
(俺は……ただの人間じゃないのか?)
その問いに答えはなかった。けれどイロハは、記憶の結晶を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……お母様がよく言っていました。観測者とは、これから未来に起きる可能性を『記録』し、そして未来を選ぶことが出来る者。」
「それって、未来が決まってるわけじゃないってことか?」
「そう。けれど、選ぶ者が間違えれば、未来は歪む。私の役目は、その歪みを正すこと、最近は何故か、選び間違える者が多い。」
イロハの声には、どこか苦味があった。
レンはその横顔を見つめながら、ふと口を開いた。
「…なぁ、俺、観測者になっちまったのか?」
「…どうして、そう思うのですか?」
レンは目を伏せた。
「分からない。でも、そんな感じがして」
「……。」
イロハは何も答えずに歩き出した。
その夜。ハクシラ市の空に、深い亀裂が走った。
虚霊――時の流れを歪ませ、過去と未来を混線させる存在が、現れた。
イロハは剣を抜き、レンと共に現場へ駆けつける。しかし、そこに現れた虚霊は、ただの化け物ではなかった。
「……これは……“過去”の形……?」
虚霊は空間に複数の幻影を展開していた。
中でも、レンの目に強く映ったのは――かつての自分。妹・ミユと過ごした、あの日々だった。
「……ミユ……お前……」
彼女は、何度もレンを呼ぶ。笑いかける。手を伸ばす。
だが、それは虚霊の作り出した“もしも”の幻。
「それに触れれば、虚霊は強くなります」
イロハの声が緊迫する。
「後悔も、未練も、虚霊の糧となる。過去に囚われた者から命を喰らうの。」
レンは拳を握った。目の前のミユは、確かに愛しい“記憶”だった。けれど――それは、もういない。
「…斬らなくてはならない。でも私の剣では…」
イロハの剣、月煌は魂を鎮める力を持っている。しかし、過去の可能性に喰らいつく虚霊には届かない。
「……なら、俺がやる」
「レン……?」
「お前の剣じゃ、この虚霊には届かない。俺は…なにか視えそう気がする、選べそうな気がする。」
その瞬間、レンの眼に走る閃光。
彼の視界に、幾重にも交差する“線”が現れた。選べ、と世界が告げている。
「…レン…やっぱり、観測者になってしまったのね…。」
虚霊が動いた。
ミユの幻影が、レンに向かって手を差し伸べる――同時に、虚霊が彼の背後に回り込んだ。
「なっ……!!」
「レン、避けて…!」
イロハが割って入るが、虚霊の爪がイロハの肩を裂く。赤が夜に散った。
「っ…」
「イロハ…!!」
「大丈夫。迷わないで、レン。…あなたが“今を選ぶ”のです。」
幻影のミユが泣いていた。手を伸ばしていた。あの時、守れなかった妹。
けれど、もう取り戻せない。
もう過去には、帰れない。
「……俺が……選ばなきゃならないのか」
そのときだった。
レンの視界が、変わった。
世界に張り巡らされた“線”が見えた。過去と未来の可能性が、無数の糸として交差している。
その中に、たったひとつ――“選ぶべき今”が、確かに輝いていた。
「……これが、“観測者の眼”」
声に出した瞬間、何かがはじけた。
幻影が崩れ、虚霊が怒りに咆哮する。
最後の幻影が周囲を覆う。だがその時、レンの手に白い光が集まった。
イロハの剣――月煌の反響に応じるかのように、もう一振りの剣が彼の手に現れる。
「…これは…!」
「白閃(はくせん)。未来を選ぶための剣です。あなたが“観測者”として選ばれた証。」
イロハの声が、剣と共鳴する。
レンが剣を構える。
幻影が襲い来る。虚霊がミユの姿で彼に叫ぶ。
「お兄ちゃん、助けて…!」
だが、レンの瞳にはもう迷いはなかった。
「これは俺の答えだ。“いなくなった妹”じゃなく“残された今”を守る!」
――白閃、斬撃。
光が因果を断ち、虚霊の本体が悲鳴を上げて崩れる。
その後に残ったのは、静かな夜風だった。
「……イロハごめん。怪我……大丈夫?」
「ええ、平気。……この剣は、私の痛みを憶えて、そっと癒してくれるんです。時が巡れば、きっと消えていきます。」
沈黙が降りる。
その沈黙を壊すかのように、イロハは口を開いた。
「……あなたが剣を手にしたこと。もしかすると、母の“計画”の一部だったのかもしれない」
「計画?」
「“静寂の時代”を再び呼ぶために、必要だった。二振りの剣が。“魂を鎮める”月煌と、“未来を選ぶ”白閃。……そして、それを扱うふたりの“観測者”。」
イロハは、ふと目を伏せて呟く。
「……私だけでは、終わらせられない。世界の歪みを、すべては」
レンは、彼女の隣に立つ。
「なら一緒にやろう。未来を、選び直すんだ。俺たちの眼で」
「…ええ、一緒にやりましょう。」
ふたりの足音が、静かな夜に消えていく。
――観測は、始まったばかりだった。
第六章「過去を喰らう月影」へ続く。