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S.T.M.yo
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「邪魔するぞ逸勢」
そう言って、いつものようにズカズカと洛中の邸宅に上がり込んできたのは空海だ。
「お主は毎度毎度、ワシの家を霊枢の研究所のように使いおって。
それに、何なのだその若造は?」
空海は、枯れ枝のような手を振りながら、深い皺を割って磊落(らいらく)に笑う。
「病だと申して政務を退け、日がな一日、琴を奏でておるお主に、文句を言う資格があるのか?」
ワシは、ムッとして唇を尖らせた。
「遊んでばかりいるように言うが、ワシだって、たまに働いておるわ」
空海は、「フッ」と短く笑った。
「稀に、揮毫(きごう)を頼まれて筆を持ったくらいで、働くなどと言っては民に笑われるぞ」
ワシは、書き物の筆を置いて空海に身体を向ける。
それを見た空海が、板間にどかっりと腰を下ろすと、隣の若者も笑顔で腰を下ろした。
不思議な若者だった。
普通、これくらいの年齢であれば、他家を訪れると緊張するはずだが、この若者は自然体なのだ。
「ところで、その若者の紹介がまだなのだが…」
ワシの言葉に、空海が膝を打つ。
「そうであった。
古女房の愚痴が長うて忘れておったわ。
此奴は拙僧の弟子だ。
密教ではないぞ。霊枢の弟子なのだ。
白川延信というて綜芸種智院で拾うた。
此奴に、全てを伝えようと思うておる。
だから、此奴には何の隠し事もしておらぬのだ」
ワシは、空海の隣に座る若者を指差した。
「今後は、この若者を度々当家に連れて来るというのではあるまいな?」
「何だ?不都合でもあるのか?」
「不都合なら大有りじゃ。
当家には年頃の娘がおる。
若い男が出入りして、変な噂が立っては困るのだ」
「おう。玉若(たまわか)は息災にしておるか?
噂では、親に似ず、美しい娘に成長したと聞いておる」
「親に似ずは余計じゃ。
しかし、だからこそ変な噂が立っては困るのだ」
「なんじゃ。お主らしくもない。
よもや政略結婚など考えておるのではあるまいな?」
「馬鹿を申すな。
出世を望んでおるのなら、もっと真面目に政務に励んでおるわ」
「まったくだ…」と空海が笑うので、ワシはムッとなって文句を言った。
「お主は、あの頃から何も変わっておらぬ。
立派になったのは名前くらいで、人使いの荒さや、我儘な性格はそのままだ」
また、空海が短く笑う。
「あの頃とは、遣唐使のことか?」
「そうだ。ワシと義真に検非違使(けんびいし・警察)の真似事をさせ、不老不死の法を探させた挙句に、ワシにその法を都まで運ばせて、長きに渡り保管までさせるとは…
しかも、最澄が手に入れられなかった法を、どのように手にしたのか、ワシにさえその事情を話してはおらぬ。
その上、帰国と同時に、帝が亡くなられたのを良いことに、その法を我が物にしてしまった。
逆賊ではないか…」
また、空海が大口を開けて笑う。
「逆賊とは人聞きが悪い。
考えてもみろ。あのように危険な法を、魑魅魍魎の跋扈する朝廷に差し出せると思うか?
しかも当時の帝は、あの空(うつ)けなのだ。
伊予親王の事件では、逸勢も少なからず痛手を被ったではないか。
拙僧も、伊予親王の侍読であった叔父を失脚させられたのだ。
そう考えれば、あの法を、この世で一番信頼できる男に預けるのは、正しい行いだとは思わぬか?」
最後は、真剣な顔で言ったので、ワシは呆れてしまう。
「それは、おべっかのつもりか?
そのようなおためごかしに、騙されはせぬぞ。
その危険な法を用いて、高階遠成と最澄を欺いたではないか。
高階遠成には、不老不死の法を朝廷に献上するから帰国させろと嘘をつき、最澄には、不老不死の法を渡してやるから入京させろと嘘をつき…
しかも、最澄の件では、義真を通じて、ワシに折衝までさせたではないか。
お主のお陰で、ワシは、今でも嘘つき呼ばわりされておるのだぞ」
空海は俯き、耳の穴を穿っている。
「やれやれ、ガミガミとうるさいのう。
すべては方便ではないか。
しかし、高階遠成は単純ゆえ、少し脅せば口を噤みおったが、最澄はネチネチとしつこかったわ。
渡せぬのなら貸せ、貸せぬのなら教えろ。
しまいには、恋仲であった泰範(たいはん)を間者に送り込んでくるとは、呆れてモノが言えぬわ。
あの折、袖にされた義真は涙を飲んでおったが、今では、最澄に代わって天台座主になったというのだから、不思議な巡り合わせよのう。
まあ、そのような諸々の事情があったればこそ、ここに隠したのではないか」
ワシは、白川延信という若者に向かって言ってやった。
「呆れてモノが言えぬのは、ワシも同じじゃ。
人を散々から利用しおって。
お主も、この男を信用してはならぬぞ。
良いように利用されるだけじゃ」
白川延信は、「はい。そうします」と笑いながら頷いた。
ワシは、己の愚痴がひと段落したので、さきほどから気になっていた事を空海にぶつけてみる。
「霊枢の研究を始めて、かれこれ二十数年にもなるのに、今更、弟子を取るとは、いかなる心境の変化だ?
しかも、密教の弟子が何百とおるのに、わざわざ、綜芸種智院で適当な童を見繕うとは…
ワシはてっきり、お主の代で霊枢を闇に葬るものと思うておったわ」
ワシの言葉に、空海は重々しく首を振る。
「適当に見繕ったのではない。
坊主は霊枢に向かぬ。
仏になりたいという雑念が強いからのう。
それに、霊枢を習得するには特別な才が必要なのだ。
此奴は、その才を持っておる。
拙僧は、その才を見出すためだけに、綜芸種智院を開いたのだからな…」
ワシが思わず、「それは、どのような才なのだ?」と尋ねると、満面の笑みを浮かべた空海が、まるで内緒話でもするように、顔を寄せてきて声を潜めた。
「此奴はな、虚ろ(うつろ)と人の合いの子…
俄か(にわか)なのだ」
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ああ、第16話、読み終えました……! 空海と逸勢の掛け合いがもう、本当に絶妙で。昔話に花を咲かせつつ、互いを信頼しているからこその遠慮のない物言いが心地よかったです。特に「逆賊ではないか」に対する空海の返し、あの真剣な顔からの「一番信頼できる男」発言には胸が熱くなりました。そして最後の「俄か」の告白……! ここで持ってくるか、と。続きが気になって仕方ないです。