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第114話:税務調査官、モニター横で困惑〜国家権力の価値観を揺るがす、四畳半の錬金術〜
「だめだ……! お前ら、頼むからもう投げるな!!」
北海道、帯広市。
築三十年のボロアパート、四畳半。
株式会社インフィニティ・ワンの代表取締役・秋谷雪(四十歳)は、三万円のゲーミングチェアの上で、血の涙を流しながら絶叫していた。
「これ以上投げたら、俺の会社の売上が爆増して、来年の消費税と法人税がとんでもないことになるんだよォォォ!!」
その悲痛な叫びは、マイクを通して、ネットの向こう側にいる二十万人以上の視聴者へと届けられている。
そして、その叫びを聞いた視聴者たちは、同情するどころか、さらに狂ったように極彩色のスーパーチャット(投げ銭)を画面に叩きつけていた。
『スパチャ:50,000円(税金払え!! そしてもっと稼げ!!)』
『スパチャ:10,000円(俺たちの金で国を回してくれ和尚!!)』
赤、緑、青、黄色。
札束の雨が、秋谷のモニターを埋め尽くしていく。
その異様すぎる光景を、秋谷の背後わずか一メートルの距離から、冷徹な目で見つめている男がいた。
帯広税務署・法人課税部門の調査官、黒岩である。
(……信じられない)
黒岩は、ホームセンターの安物のパイプ椅子に腰掛けたまま、銀縁メガネの奥で、密かに戦慄していた。
国家公務員として、数多の企業の帳簿と経営者を見てきた黒岩にとって、目の前で繰り広げられている光景は、あまりにも【常軌を逸して】いた。
数時間前まで、黒岩はこの会社を「名義貸しのダミー法人」だと疑っていた。
完璧すぎる帳簿。
それに対して、あまりにも貧相な生活環境(限界みそラーメンの匂いが染み付いた四畳半)と、1行の文章も書けずに四十歳を迎えたという悲惨な過去の記録。
「優秀な経営者」と「底辺の無職」。
この二つが同一人物であるなど、論理的にあり得ないと判断したからだ。
だからこそ、秋谷が「自分が底辺本人であると証明する」と言い出した時も、黒岩は冷ややかにそれを見届けるつもりだった。
どうせ、ネットの配信など、作られた台本をなぞるだけの茶番に過ぎない、と。
しかし。
(この熱狂……この莫大な資金の動きは……決して、台本や演技で生み出せるものではない……!)
黒岩の目の前で、秋谷は自らの最も恥ずべき過去、隠したい黒歴史を、一切包み隠さず二十万人の群衆に曝け出した。
声は震え、本気で怯え、そして今、「これ以上税金が増えるのは嫌だ」と本気で泣き叫んでいる。
その圧倒的な【リアル(質感)】が、視聴者の心を激しく揺さぶり、結果として数百万という巨額のキャッシュを生み出しているのだ。
(私がこれまで見てきた脱税者たちは、皆一様に、自分を『優秀』に見せようと虚勢を張り、そして『利益』を隠そうと必死だった)
黒岩は、手元のバインダーを握る手に、無意識に力を込めた。
(だが、この男は違う。自分の『無能さ』と『惨めさ』を極限まで誇張し、群衆の前に晒し出すことで、彼らの同情と優越感を【現金】に変換している。……しかも、利益が出すぎることを本気で恐れている)
黒岩のこれまでのエリート官僚としての常識、資本主義における労働と対価の概念が、足元からガラガラと崩れ落ちていく感覚があった。
泥にまみれ、尊厳を売り払い、ただひたすらに等身大の「底辺」を叫び続けること。
それが、この帯広の四畳半において、数百万円の価値を生み出す最強のビジネスモデルとして成立している。
『ルシフェル社長! さらに同接が伸びています! ジェミニさんの再計算によれば、最終的なスパチャ総額は六百万円に到達する見込みです!』
秋谷のワイヤレスイヤホンから漏れ聞こえる、アシスタントの冷徹で有能な声。
「ろ、ろっぴゃくまん!? だめだ、もう勘弁してくれ! これ以上課税所得が増えたら、俺の精神が持たない!」
秋谷が、毛玉だらけのジャージを着たアバター(リアル秋谷モード)と共に、頭を抱えてのたうち回る。
黒岩は、ゆっくりと息を吐き出した。
(……負けだ)
彼は、心の中で、明確な敗北を認めた。
この男は、ダミーでも、詐欺師でもない。
ただひたすらに、税金と社会保険料に怯えながら、己の人生の全てをエンターテインメントに昇華して生き足掻く、正真正銘の『経営者』なのだ。
黒岩は、パイプ椅子から静かに立ち上がった。
(我々公務員の世界からは、到底理解の及ばない世界……。自らの尊厳を切り売りし、数時間で莫大な資金を稼ぎ出す。これが、現代のビジネスなのか)
未知の価値観に対する「困惑」と、僅かな「畏怖」。
四畳半のアパートを後にした黒岩は、アタッシュケースを手に持ちながら、先ほど秋谷に言い渡した【異常なし】の結論を、改めて自身の心の中で噛み締めていた。
(あの男が最後に私に向けた、疲れ切った、だがどこか誇らしげな笑顔。……あれは確かに、この資本主義の地獄で生き残るための、命懸けのビジネスをしている者の顔だった)
完璧な帳簿は、この狂ったような熱狂の果てに生み出された、真実の数字だ。
疑う余地は、もうどこにもない。
(ただし)
黒岩は、部屋のドアノブに手を掛けたままで振り返った、数分前の己の宣告を思い返す。
(本日の配信で発生している凄まじい収益。……あれは一円の狂いもなく、キッチリと徴収させてもらう)
それは、国家権力として。
いや、一人の税務調査官として、「手強い、だが適正な納税者」に向けた、最大級の敬意の表れだったのだ。
帯広の夜の闇を歩きながら、黒岩はふっと、微かな笑みを浮かべた。
(来年の確定申告が、今から楽しみですよ……秋谷社長)
国家権力の価値観すらも揺さぶった、四十歳の底辺の錬金術。
秋谷雪が「来年の莫大な税金」という新たな地獄へ向かって泣き叫ぶ声を背に、黒岩は帯広税務署への帰路についたのである。
コメント
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みぅ🤍🥀です…読ませていただきました。 黒岩さんの視点から見た秋谷さんの「底辺の錬金術」、めちゃくちゃ面白かったです。税務調査官が困惑しつつも「これは本物の経営者だ」と認めてしまう流れが、妙に納得できてしまって…。自分の恥をエンタメにして、税金に怯えながらも生き抜くスタイル、狂ってるけどカッコいいなって思いました。 黒岩さんの「来年の確定申告が楽しみ」って最後の台詞、国家権力からの敬意とプレッシャーが詰まっててゾクッとしました…🥀 更新ありがとうございます、続きも静かに読みに行きますね。