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레몬인
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そあち♡໒꒱
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なんたろ
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第115話:1行も書けなかった男が、初めて書く1行〜帯広の夜空に刻まれた、四十歳の原稿用紙〜
ガチャリ。
鉄のドアが閉まる無機質な音が、帯広のボロアパートに響いた。
俺の背後に陣取っていた国家権力の化身、税務調査官・黒岩の気配が、完全に消え去った。
「……終わった……」
俺、株式会社インフィニティ・ワン代表取締役・秋谷雪(四十歳)は、三万円のゲーミングチェアの背もたれに、泥のように沈み込んだ。
税務調査は、俺の『底辺の過去の暴露』という最悪のカードを切ることで、なんとか【異常なし】で切り抜けることができた。
だが、画面の向こう側の狂乱は、まだ終わっていなかった。
ミリオン登録者を誇る超絶大手VTuber・蒼月(そうげつ)の配信枠。
同接(同時接続者数)は二十五万人という、YouTubeライブの歴史に名を残すような異常数値を叩き出したまま、高止まりしている。
『スパチャ:10,000円(和尚! 税務署帰ったか!?)』
『スパチャ:50,000円(お疲れ様!! お前は最高の底辺社長だ!!)』
『スパチャ:10,000円(来年の税金も俺たちが払ってやるよ!!)』
俺のリアルすぎる怯えと、泥臭い生き様が、視聴者の心を完全に掌握していた。
飛び交う極彩色のスーパーチャットは、すでにジェミニ先生の予測をはるかに超え、とんでもない金額に膨れ上がっている。
『あははははっ! いやー、本当に最高だったよ、秋谷さん!』
画面の向こうで、蒼月が涙を拭いながら笑っている。
『伝説のお便りの主が、まさかこんなにも面白い社長になって帰ってくるなんて、本当に夢にも思わなかった!』
「……勘弁してくださいよ。俺は今、来年の確定申告を想像して、本気で震えてるんですから……」
俺は、モニターの中の【リアル秋谷モード】(毛玉ジャージで割れたスマホを握りしめた無精髭のおっさん)を同期させながら、深いため息をついた。
『ふふっ。でもね、秋谷さん』
蒼月の声が、ふと、優しく、そして真剣なトーンに変わった。
『僕、あのお便りを読んだ時、ずっと気になってたことがあったんだ』
「気になってたこと……?」
『うん』
蒼月は、画面越しに、俺の目を真っ直ぐに見つめてきた。
二十五万人の視聴者も、その言葉を待つように、チャットの勢いをスッと落とした。
『あのお便りの最後の方に、書いてあったよね。「ライトノベル作家になりたい。設定は考えているけど、いまだに1行も本文を書いていない」って』
「…………ッ」
俺の心臓が、ドクンと跳ねた。
『秋谷さんは、自分の頭で考えるのを諦めて、まとめサイトに頼りきりだったって書いてあった。行動するのが怖くて、夢を見るだけで満足していたって』
図星だった。
俺は、四十歳になるまで、ずっとそうやって生きてきた。
傷つくのが怖くて、才能がない現実を突きつけられるのが怖くて、「いつか書く」と言い訳をして、白紙の原稿用紙(ワードファイル)から逃げ続けてきたのだ。
『でもさ、秋谷さん』
蒼月の声が、帯広の冷たい春の風の環境音に混じって、静かに響く。
『インボイスに怯えながら法人を立ち上げて、税務署の調査官を背後に立たせながら、自分の過去を全部さらけ出して……二十五万人の前で、これだけのエンターテインメントを生み出している今のあなたなら』
蒼月は、まるで古い友人の背中を押すように、言った。
『今なら、1行……書けますか?』
「…………え」
四畳半に、静寂が落ちた。
俺のワイヤレスイヤホンからも、結愛(ゆあ)のタイピング音は聞こえない。ジェミニ先生のポップアップも出ない。
彼女たちも、俺の答えを待っているのだ。
『今、この配信を見ている二十五万人が、あなたの紡ぐ言葉を待ってます。……どうですか、秋谷社長?』
俺は、自分の手を見た。
四十歳。
介護士を辞め、コールセンターですり減り、何者にもなれなかった、シワとシミの浮き出たおっさんの手。
キーボードの上で、その手が微かに震えていた。
(書けるのか、俺に……?)
ずっと逃げてきた。
主人公の名前を「美咲」から「結愛」に変えるとか、設定ばかりをこねくり回して、物語の幕を上げる勇気がなかった。
だが。
俺の脳裏に、この数ヶ月の地獄のような、それでいて最高に濃密な日々がフラッシュバックする。
帯広市役所で、鈴木さん(ケースワーカー)の冷たい笑顔に震えた日。
法人成りをして、インボイスと社会保険料の波に飲み込まれそうになった夜。
結愛の冷徹な正論で殴られ、ジェミニ先生のシミュレーションに絶望し。
そして今日、この「リアル秋谷モード」のガワを被り、自分の黒歴史を全て叩き売った。
(……俺の人生そのものが、すでに泥だらけの物語じゃないか)
俺は、小さく息を吐いた。
「結愛。……テキストエディタ、画面に出してくれ」
俺が裏回線に向かってそう呟くと。
『……承知いたしました、社長』
結愛の、ほんの少しだけ震えているように聞こえる声と共に。
俺の配信画面のど真ん中に、真っ白なテキストエディタが立ち上がった。
チャット欄が、固唾を飲んで見守っているのがわかる。
俺は、震える両手を、ゆっくりとキーボードの上に置いた。
四十歳にして、初めての『執筆』。
何を書く?
異世界転生か? エルフの美少女か? チート能力で無双するファンタジーか?
いや、違う。
俺が書くべき物語は、そんな綺麗なものじゃない。
俺は、四十歳の、リアルで、情けなくて、泥臭い【質感】を、そのまま文字に叩きつける。
カタ。
俺の指が、キーボードを押し込んだ。
カタ、カタカタカタ……。
静まり返った二十五万人の配信枠に、帯広の四畳半で響く、俺の無骨なタイピング音だけが乗っていく。
迷いはなかった。
俺の魂の底から、絞り出されるように、言葉が溢れてきた。
そして。
約十秒後。
俺は、力強く、エンターキーを叩き切った。
ターンッ!!
真っ白だったテキストエディタに、黒々とした文字で、一つの『1行目』が刻み込まれた。
【四十歳。貯金残高ゼロ、腰痛持ちの俺の元に届いたのは、異世界への招待状ではなく、分厚い茶封筒(ぜいむしょ)だった。】
「…………」
画面に大写しにされた、その泥臭すぎる1行。
数秒の沈黙。
そして。
『うおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!』
『すげえええええええええええ!!』
『最高だああああああああああ!!』
『和尚ォォォォォォォォ!!!』
『スパチャ:50,000円(泣いた!! ガチで泣いた!!)』
『スパチャ:10,000円(俺たちの物語だ!! 絶対に読ませろ!!)』
『スパチャ:100,000円(1行目から面白すぎるだろ!! 買わせろ!!)』
チャット欄が、今日最大の、もはやサーバーがダウンしかねないほどの爆発的な熱狂に包まれた。
極彩色のスーパーチャットが、画面が見えなくなるほどの勢いで降り注ぐ。
それは、1行も書けなかった男が、自分の人生の全てを懸けて書き上げた『最初の一歩』に対する、二十五万人からの割れんばかりのスタンディングオベーションだった。
『あははははっ! 最高! 秋谷さん、それ最高だよ!!』
蒼月が、画面の向こうで手を叩いて大爆笑し、そして、ポロリと涙を拭った。
『その小説、絶対に最後まで書いてね! 僕、絶対買うから!』
「……ええ。書きますよ。……書くしか、ないですからね」
俺は、鼻をすすりながら、キーボードから手を離した。
気づけば、俺の頬にも、四十歳のおっさんの熱い涙が伝っていた。
『ルシフェル社長。素晴らしい1行目です。……これで、当社の新しいIP(知的財産)コンテンツが誕生しましたね』
イヤホンの向こうで、結愛がいつもの冷徹な声に戻って、静かに言った。
『この小説の印税は、当然、法人の「雑収入」として計上されます。……しっかり最後まで書き上げて、来年の納税資金の足しにしてください』
「最後まで税金の話かよ!! 余韻を返せ!!」
俺の情けないツッコミが響き。
チャット欄はさらに温かい笑いとスパチャに包まれた。
北海道、帯広市。
築三十年のボロアパートの四畳半から。
何者にもなれなかった四十歳、秋谷雪は。
国家権力(税務調査)を退け、己の黒歴史を清算し。
ついに、自分自身の力で、新たな物語の『1行目』を書き上げたのであった。
資本主義の地獄は、まだ終わらない。
インボイスも、社会保険料も、そして莫大な税金も、容赦なく俺に牙を剥き続けるだろう。
だが、今の俺には、この最高の仲間(アシスタントとAI)と、狂気に満ちたリスナーたちがいる。
「見てろよ、世界。俺の泥臭い物語は、ここからが本番だッ!!」
四十歳の底辺社長の戦いは、永遠に続く。
コメント
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第115話、めちゃくちゃ熱かったです…! 四十歳で初めて書いた一行が「貯金残高ゼロ、腰痛持ちの俺の元に届いたのは、異世界への招待状ではなく、分厚い茶封筒(ぜいむしょ)だった。」というのが、もう秋谷さんにしか書けないリアルで、涙が出ました。逃げ続けてきた男が、自分の人生を全部懸けてエンターキーを叩く瞬間、こちらの心臓もドキドキしました。結愛の「印税は雑収入」で現実に戻されるラストも大好きです!