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「いや、なんていうか」
「星埜? どーした、かたまって」
「いや、お前。浴衣」
俺が、指を指せば、朔蒔は目を丸くして「ああ」と声を漏らした後、くるりと回って見せた。灰色の浴衣。少しほつれているが、別に気にならないといった感じで、綺麗な浴衣を着ていた。濃いグレーのため、朔蒔の真っ黒な髪と、瞳によくあう。
朔蒔は、俺に見せびらかすと「惚れた?」なんて、言ってくる。俺は、見惚れていたことを隠すために、ふいっと顔を逸らして、別に、なんて思ってもいない事を口にしてしまう。素直に誉められれば良かったんだが、まだ、ハードルが高すぎる。
「俺は、星埜のいつもと違う姿見れてハッピーだけど」
「……俺は、別に」
「あと、脱がせがいありそうだし?」
「は、はあ!?」
朔蒔が突拍子にそんなことを言うので、俺は、バカみたいに大きな声で反応してしまった。まわりには人がいて、何だ? と言うように、好奇の目で俺達を見てくる。
俺は、咳払いをしつつ、朔蒔にこそりと耳打ちする。
「んなこというな。こんな所で」
「え~でも、星埜がえっちなのが悪いんじゃん」
「俺のせいにするな。つか、すぐ発情すんなよ。お前は、猿か」
俺は、暴言を吐きつつ、矢っ張り、いつもと違う朔蒔は格好いいとか、見惚れてしまって、これでは、どっちがダメなのか、分からなくなってしまった。
兎に角、こんな所で言い合いをしていても、何も始まらないと、俺は朔蒔の手を引いた。因みに、靴はサンダルだ。さすがに、下駄まで用意できなかった。まあ、あったとしても、下駄は動きにくいし、つまずきやすいから履いてくるつもりはなかったが。それに、誰も、足下なんて気にしないだろう。恋人とのデートでもあるまいし……
(いや、ある意味デートだけどな……)
朔蒔が思っていなくても、俺が思っていれば、デートなのではないか、なんて一人で浮かれていた。こんなの、ダメだって分かっているが、朔蒔の手を握っただけで、体温が一度ぐらい上昇してしまうのだ。俺の身体は本当に正直だった。
(バカ、暑い……)
「星埜、星埜~そんなひっぱんなって」
「わ、悪い。痛かったり……」
「じゃなくて。ゆっくりまわろうぜ。時間あるからさァ」
と、朔蒔はにこりと笑った。純粋に楽しんでいる、楽しみにしてた、というのが伝わってきて、色々思うところはあったが、来て良かったな、と思う。
夏休み最終日と言うこともあって、明後日には確認テストもある。いつもの俺なら、絶対にこの日は予定を入れなかったはずだ。でも、俺が、予定を入れて、変われたのは、朔蒔や楓音が……
「……」
楓音。
ふと、彼のことを思い出してしまって足が止ってしまった。
無かったことにはできない。忘れちゃいけないと、良い思い出の足を引っ張るように、蘇ってきた。勿論、あの事件を忘れるつもりも、ずっと、彼のことを忘れるつもりもないが。もやっとした、影が心に差している状態で、俺は、楽しめない。俺は、朔蒔と、楽しみたいのに。
それは、身勝手だし、我儘だし。楓音の気持ちに応えられず、朔蒔を選んで、存在まで忘れるのは、また違うのではないかと。
「……」
じっと、朔蒔に見つめられているのが分かり、俺は顔を上げた。何かと思って、瞬きすれば、朔蒔が俺の名前を呼ぶ。
「星埜?」
「……え、何?」
「ん、いや。暗い顔してた。いやだった? 俺と来るの?」
「いや……え、何でそんな発想になるんだよ」
「だって、星埜の顔に、楓音ちゃんがいなくて寂しいって書いてあるから」
と、朔蒔に指摘され、俺はそんなに顔に出ていたか、と、思わず顔を逸らしてしまった。それは、恥ずかしいからじゃなくて、まずいって、反射的に避けてしまった。
だって、朔蒔の顔が、凄く――
「ううん、いや、確かに、楓音もいれば楽しかったかも知れないって思ったけど……いや、でも、俺は朔蒔とだって行きたかったし。うん、いや、ごめん。俺、何言ってるのか分からない」
「……」
「でも、お前と二人きりでも、いいって思った。それは、本当」
俺は、そう言いきった。
言い切れないかと焦ったが、何とか口からその言葉が飛び出した。
だって、ここには、好きって伝えるために来たんだから。今になって逃げ出したら、朔蒔のこと拒絶したら、それは違うんじゃないかって。
俺の答えを聞いて、何か腑に落ちないと言わんばかりの顔をした後、朔蒔は俺の手を握った。
「まっ、いいや。俺が、二倍楽しませてやるって」
「って、お前、始めてだろ。夏祭り」
「でも、マニュアルに載ってることしか出来ない優等生の星埜よりかは、自由に楽しむ方法知ってるぜ?」
「誰が、マニュアル型だ」
相変わらずの優等生ディスり。もう慣れたが、言われればピキりとくる。
けれど、朔蒔がわざと、そうやって明るく振る舞って……いや、通常通りに接してくれたからか、俺も、足を引っ張る暗い過去を一時的に忘れられて、足が軽くなった。
(そうだ、何のために来たか、それを忘れちゃいけないだろ)
俺は、グッと朔蒔が握っていない方の拳を握り、顔を上げた。