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遠くから、声が聞こえた。
「────!」
何かを必死に叫んでいる。
耳を澄ます。
「────!!」
これは、きっと同僚の声だ。
自分と同じく、武門の嫡子にして、主の身辺警護を務める同僚。
私は、彼のことが苦手だった。
数いる武官の中でも、際立って文武に優れるあまり、彼には他人を見下す悪癖があった。
もちろん、“文”に長じているので、他人に余計な喧嘩を吹っかけたりはしない。
でも、抜きん出た“武”を保有しているので、なかなかに質が悪い。
事あるごとに、私は彼に苛責られた。
愛情の裏返しだとか、愛の鞭だとか、そんな風に生易しいものでは断じてない。
『私のこと、嫌いですよね?』
いつの日だったか、本人にそう訊ねたことがある。
今にして思えば、何とも思い切った質問ではあるけども、後悔は無い。
『なぜ?』
『だって…………』
『そんな事、今さら答える必要があるものか?』
返ってきた言葉は、予想通りのものだった。
彼は私のことが嫌いで、私も彼のことが苦手。
それで善い。
別に、仕事に差し障るほどの事でも無いし、少しだけ気苦労を我慢すれば、やり甲斐を得られる職場だ。
同僚の一人が気に食わないからと言って、そっくりと投げ出すのは、あまりに忍び難い。
彼が私を嫌う理由のほうは、終ぞ分からず仕舞いだった。
やっぱり、性別に関することかなと、まずは考えたのを覚えている。
現代でこそ、男女の雇用に格差なんて無いけれども、当時はまったく事情が違う。
女の私が、武装して主を警護している。
それが面白くなかったのかなと。
しかし、そうでは無かったらしい。
“女中が武官の真似事”と、同僚の一部が陰口をきく度に、彼はその人たちをこっぴどく叱りつけた。
“貴様たちに女中の仕事が熟せるのか!”と。
お礼を言うと、彼は同じ口調で今度は私を咎めた。
“陰口を許すほうも悪い!”
一応は筋が通っているし、折目正しい武士の言いぐさだ。
なので、私は何も言い返すことができず、ますます彼を敬遠するようになった。
「──────!!」
そんな彼が、またしても大声を上げている。
また怒られると思って、肩身を小さくする。
だけど、どういう訳か今日は勝手が違うらしい。
身の回りが、やけに騒がしい。
遠くで悲鳴が上がった。
「逃げろ! 姫さまを連れて!!」
今度こそ、はっきりと彼の声を聞いた。
よく見ると、彼の身体から、矢羽が幾つも生えていた。
意識を引き戻し、辺りを見る。
所は、邸内の片隅に設けられた納屋の中だ。
調度品の類がきちんと整理して納められた、埃っぽい一室。
手狭な空間で、多くの女中・数名の武官が肩を寄せ合っていた。
“どういう事!?”と問う私に、彼は“惚けるな!”と一喝をくれた。
夥しい矢傷を受けた壮烈な姿で、眼が異様に血走っていた。
その眼を見て、思い出した。
“色恋の縺れ”
何とも雑駁な因果が、この修羅場を生んだ。
「姫さま……っ」
視線を巡らし、主の姿をさがす。
すぐ側で、青い顔をした彼女がガチガチと歯を鳴らしていた。
とにかく安堵して、事の起こりを推し量る。
どこかの貴族の嫡子が、彼女に横恋慕した。
何度考えても、始まりは本当に些細なことだった。
何をどう間違えれば、これほどの重大事になってしまうのか、まったく見当がつかない。
なので、順を追って整理する。
先方から幾度となく申し込まれた求婚の旨を、一門の棟梁、つまり彼女のお父上は悉く袖にしたという。
当時の婚姻形態は、都度ごとに男性が女性の元を訪れる、通い婚と呼ばれるものが主流だった。
そういった口約束まがいの物に、大切な娘を付き合わせるつもりはまだ無いという事なのか。
これが、いよいよ先方の逆鱗に触れた。
立場としては、向こうの方が上。
先方からすると、“なにを猪口才な”という事なのだろう。
彼ら平安貴族の台頭が、地方豪族の旧制的な時めきに、こんな所でも影を落としていた。
「ここも危のう御座ります……」
誰かが声を潜めて言って、それに呼び戻された私の意識が、再び現実を見る。
「直に屋敷の守りも崩されるでしょう……」
同僚の一人が、納屋の戸板に耳をつけて、外の様子をそろりと窺っていた。
「今のうちにお逃げください」
これに乗じたのは、常々から私が苦手意識をもって接していた男性。
彼は、静かな口振りで主を諭した後、一転して強い命令口調で、私を急き立てた。
「姫さまをお守りしろ。 何があっても死ぬな」
「でも……」
ここには家族がいて、仲間がいる。
それを置き去りにするような真似は……。
「こん阿呆!」
なかなか煮え切らない私の肩を、彼はガクガクと揺すった。
今までに、一度だって見たことのない表情で、“お前が嬲られる所など見たくはない!”と言った。
続けざまに、“お前が居ては足手まといだ”と、いつもの口調で取り繕う。
彼とやり合うのは、たぶんこれが最後なんだろうなと、何となく察しがついた。
「……分かった。 分かりました!」
だから、最後くらいは、言うことを聞いておこうと思った。
そういった私の魂胆に、彼は満足げな表情で頷いた。