歩道の先、自宅マンションに向かう通路の近く。
夫の姿が目に飛び込んできて、叫びそうになる。
真。
そして、一瞬で膨れ上がった期待が、一瞬で握り潰される。見ていられずに、地面に目をやる。
――違う。郁くん。
わかっているはずなのに、脳が誤動作するのが止められない。
それほどまでに、全身で、全力で真に会いたいのか、私は。
希望からの絶望。
もう、やめてほしい。いつかこのダメージで本当に心臓が止まってしまう。
「雪緒ちゃん? ――あの人、雪緒ちゃんのこと見てない? 知り合い?」
おっとりした穂乃里の声が言う。雪緒は足元に落とした視線を、どうにか上げた。
歩道に、郁が立ってこちらを見ている。真の姿で。
いや、真はこんな緩めのシャツは着なかった。
もっと、かっちりした感じの服が好きで。それが似合って。
郁は幅のあるパンツに手を突っ込み、やや首を傾けて雪緒を見据えていた。
この間は真そっくりに、前髪を少し流すようにしていたが、今日は長めの前髪が額にかかっている。それだけでも、大分雰囲気が違った。――脳が混乱する程度には、似通っていたが。
雪緒が声が届くほどに近づくと、郁は唇だけで笑って、
「おかえりなさい。ちょっと話したいことあって、待たせてもらいました」
真の声で言う。
郁の全てが真のコピーのようで、声が耳に入るだけで、姿が目に映るだけで、頭がぐちゃぐちゃにかき乱される。
話したいこと?
また、責められるの?
『すぐ他の男と寝る』って?
真の声で?
冷たい水を頭から浴びせられたように、血の気が引いて、体が強張る。
つんのめったように足が止まってしまった雪緒を、穂乃里が気遣うように見上げ、向かい合う郁をちらりと見る。
「……雪緒ちゃん、私先にお店、行ってるから。ゆっくりしてて大丈夫だよ」
待って。穂乃里、そんな気、まわさないで。話なんか、したくない。
声が詰まった雪緒の懇願には気づかず、穂乃里は郁にぺこりと頭を下げて離れていく。
それを少しの間見送ってから、郁が雪緒に向き直った。
こうして、郁と顔を会わせるのは、数年振りになる。バーで遭遇したときを除けば。
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