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真の親……特に義理の母には、婉曲な表現で言うと、『気に入られていなかった』から、ほとんど実家に出入りすることがなかったし、その際にも郁が立ち会うことはなかった。
すぐにもここから逃げ出そうとしている自分の足が、自分のものではないようだった。
5歳も年が離れた義理の弟の、何をこんなに恐れているのだろう。
何も取って食われるわけじゃない。雪緒は自分を奮い立たせて郁の視線を見返した。
ああ、この目。
真と形は瓜二つなのに、その光が違う。
遠慮なく貫いて、こちらの怯えを見透かすような強い眼差し。
そうか、こうして探られることを恐れているのか。触れられたくない部分を。
「出掛けるところだったんですね、都合も確認せずにすみません」
少しも悪いとは思っていない、慇懃無礼にも聞こえる言い方でそう言うと、郁はパンツのポケットから何かを取り出した。
そしてそれを雪緒に差し出す。
手のひらに乗っていたのは、指輪のケースだった。――見覚えのある。
「……これ……」
「兄貴が置いていった荷物の中で見つけて。これ、どうしたらいいですか?」
結婚指輪が入っていたケースだ。
蓋は閉じられていたが、空のケースを持ってくるほど郁が間抜けな人間だとは思えない。
真が置いていった。
ネクタイも、結婚指輪も、――私のことも。
指輪くらい、こっそり持っていってくれたってよかったじゃない。新しい恋人に見られたらまずいから?こんな小さいもの、いくらでも隠す方法はあるじゃない。
そんなに、私との思い出、邪魔だった?
雪緒は虚ろにケースを見て――目だけで郁を見上げた。これが悪意でないなら、この義理の弟はとんだうつけだ。
これ以上何の話ができる?
「……それは真のものだから。私は、知らない」
絞り出すようにそれだけ言って、雪緒は郁の体を掠めるようにして穂乃里の後を追った。
「――ねえ、まだ話はこれからだけど」
真の、郁の声が追いかけてくる。
「帰って」
「待ってるから」
話すことなんか、ない。
そこから逃げ出したくて、駆け足になりそうなのを必死で堪える。
大声で泣きたかった。
雪緒の代わりに、空から大粒の雨がぽつりと降ってきた。