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薄暗い廃工場は、まるで巨大な心臓みたいに脈打っていた。
天井を走る配管は蒸気を吐き、割れた照明が赤く明滅するたび、硝煙と血の匂いがぬらりと浮かび上がる。崩れた鉄骨の隙間では、ソネリーノファミリーと私設軍隊の銃火器が絶え間なく火を吹き、耳障りな金属音が夜を引き裂いていた。
――完璧だったはずのゲーム盤が、壊れた。
iTrappedは監視モニターの前で、その事実を理解した瞬間、自分の思考が一度だけ完全停止するのを感じた。
チャンスが孤立している。
退路は瓦礫で塞がれ、左右から挟撃。フリントロックの弾数も尽きかけている。生還確率は限りなく低い。
冷徹な脳内計算機は、即座に“正解”を提示していた。
(……切り捨てろ)
既に資金は移した。
Banlandsへ繋がる暗号鍵も解除済み。
今ここでチャンスを見捨てれば、EllernateとCaleb244は救える。
それが最善。
それが合理。
それが、“氷の王冠”を戴く自分の役目。
なのに。
「……っ、クソ……!」
次の瞬間には、iTrappedの身体は爆発音の渦へ飛び込んでいた。
青いシャツを翻し、黄緑色のパンツの裾を火花が舐める。頭上の氷の王冠が激しく軋み、絶対零度の冷気が怒涛のように噴き出した。
パキパキパキッ!!
迫る敵兵の脚が凍りつき、銃口ごと白銀の彫像へ変わる。iTrappedは細い指先を振るだけで、その氷像を粉々に砕きながら突き進んだ。
「邪魔するな……ッ! 僕のゲーム盤に触るなァ!!」
冷静さなどなかった。
そこにいたのは、計算高い詐欺師ではない。
自分でも理解できない衝動に脳を焼かれた、ただ一人の破綻した男だった。
瓦礫を蹴り飛ばし、硝煙を裂き、ようやく辿り着いた先。
崩れた鉄骨の陰で、チャンスが片膝をついていた。
黒スーツは血と煤で裂け、サングラスには亀裂が走っている。それでも彼は笑っていた。死の寸前だというのに、いつものように楽しそうに。
「……は、ッ。なんだよペテン師……」
掠れた声。
「まさか助けに来たのか? あんたが? 俺みたいな“駒”を?」
その瞬間、iTrappedの胸の奥で何かが決定的に壊れた。
彼はチャンスの胸ぐらを乱暴に掴み、その身体を自分の方へ引き寄せる。
直後。
轟音。
頭上の鉄骨が崩落した。
iTrappedは反射的にチャンスを抱き込み、その上へ覆い被さる。
ガァンッ!!
巨大な鉄骨がすぐ背後へ突き刺さり、火花が散る。熱を持った銃弾が背中を掠め、青いシャツを裂いた。
なのに。
それよりもずっと強烈だったのは、自分の胸の鼓動だった。
ドクン、ドクン、と。
氷で出来たはずの心臓が、狂ったみたいに脈打っている。
「……ぁ」
iTrappedは息を呑んだ。
重い。
頭上の氷の王冠が、今夜だけは異様に重かった。
まるで呪いだ。
EllernateとCaleb244を救うためだけに被り続けた、冷酷な使命の象徴。
誰も愛さないための冠。
誰にも溺れないための檻。
――そのはずだった。
なのに今、その絶対零度の内側を溶かしているのは、腕の中の男の体温だった。
チャンスは、自分が利用されていることを知っていた。
捨て駒だと理解していた。
それでも笑って、自分に全財産をベットしてきた。
その狂気が。
その傲慢さが。
そのどうしようもなく眩しい愚かさが。
気づけば、iTrappedの世界を根底から侵食していた。
(……違う)
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(ゝω・) ねこウサギ
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もう、“仲間のため”だけじゃない。
チャンスを失うのが怖い。
Banlandsへ辿り着けないことより。
計画が壊れることより。
この男が自分を見なくなることの方が、何倍も恐ろしい。
iTrappedは、ようやく理解した。
騙されていたのは、自分だったのだと。
「……君のせいだ、チャンス」
耳元で囁いた声は、怒りと熱と震えがぐちゃぐちゃに混ざっていた。
氷の王冠の棘が揺れ、チャンスの額を浅く裂く。滲んだ血を、冷気が瞬時に凍らせていく。
「君が……僕の完璧なゲームを全部壊した」
iTrappedは息を乱しながら、さらに強く彼を抱き締めた。
「責任、取れよ……」
その瞬間。
チャンスの瞳が、愉悦でギラリと燃え上がる。
イカサマの検出が得意な彼には分かっていた。
この男は今、本気で壊れている。
Ellernateも。
Caleb244も。
Banlandsも。
もう、その瞳には映っていない。
そこにあるのは、自分だけ。
「ッ、ハハ……!」
チャンスは喉を震わせ、狂ったみたいに笑った。
「最高だ……! やっとだ……!」
彼は両腕を伸ばし、iTrappedの背中を力いっぱい抱き返す。
硝煙と血の匂いの中。
真正面からiTrappedを見上げながら。
「やっと俺を見たな、ペテン師……!」
そして次の瞬間、チャンスはiTrappedの唇へ噛みつくようなキスを叩き込んだ。
荒く。
熱く。
互いを壊し合うみたいに。
冷気が二人の吐息を白く染め、銃声すら遠のく。
崩壊した戦場の真ん中で。
友情も。
救済も。
最初の計画も。
全部ぐちゃぐちゃに吹き飛ばしたまま。
氷の王冠を戴く詐欺師と、破滅に恋したギャンブラーは、ようやく同じ奈落へ落ちていく。
――二人一緒に。