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夜。
屋敷の廊下は静まり返り、
壁に掛けられた燭台の炎だけが
ゆらゆらと影を揺らしていた。
ルシアンは書斎の窓を閉め、
外の風の冷たさを感じながら
長い一日の息を吐いた。
ドアの向こうから
小さなノック音が響く。
「……セリーヌか?」
「ええ、入ってもいい?」
「もちろん」
扉が開き、
薄い夜着を纏ったセリーヌが
穏やかな笑みを浮かべて入ってくる。
手にはカップを二つ。
湯気がゆらゆらと立ちのぼっていた。
「夜更けに紅茶なんて、珍しいな」
「今日は眠れそうになくて。
あなたも、そうでしょう?」
ルシアンは軽く笑い、
彼女の差し出すカップを受け取った。
香りは優しいカモミール。
しばらく沈黙が続く。
遠くで、風が木々を撫でる音だけが聞こえていた。
「……ねえ、ルシアン」
セリーヌが静かに口を開く。
「今日、庭でイチと話してたでしょう?」
ルシアンは驚いたように視線を上げ、
すぐに頷いた。
「ああ。見てたのか」
「ええ、少しだけ。
あの子、あなたに気づいた途端に
顔の雰囲気が変わったわ。
あんな表情、初めて見たの」
ルシアンは
その言葉に微かに笑みを浮かべた。
「そうかもしれない。
……服は泥だらけだったけどな」
「ふふ、見たわ。
でも、それがいいのよ。
“生きている”って感じがして」
セリーヌの声には安堵が混じっていた。
だが、そのあと
ふと目を伏せる。
「……少し、悔しいの」
「悔しい?」
「ええ。
ずっと一緒にいたのは私なのに、
あの子が心を開いたのはあなたなのね。
……ほんの少し、ね」
ルシアンは息を詰まらせる。
セリーヌの微笑みは優しい。
けれど、その裏にある静かな寂しさが
痛いほど伝わった。
「お前は、あの子に光を与えてるよ。
俺なんかより、ずっと」
「違うわ。
私は“優しさ”を与えたけど、
あなたは“居場所”を与えたの」
その言葉に、
ルシアンは静かに目を細めた。
燭台の炎が二人の間で揺れる。
「……俺は、そんなつもりじゃ」
「わかってる。
でもね、ルシアン――
あの子にとって、あなたは“生きていい理由”になっているわ」
しばしの沈黙。
カップの中の紅茶が冷めていく。
セリーヌは静かに立ち上がり、
ドアの方へ歩きながら小さく振り返った。
「……ねえ、あの子が笑ったら、
ちゃんと見ていてあげて。
それがきっと、彼女の“救い”になるから」
ルシアンはうなずいた。
「……ああ。
その時は、見逃さない」
セリーヌは微笑み、
廊下の灯の中へ消えていった。
残された部屋には、
まだ二人分の紅茶の香りが漂っていた。
ルシアンは窓を見つめ、
遠くの夜空を見上げた。
そこには星のない闇。
けれど、
どこかで小さな光が
確かに瞬いている気がした。