テラーノベル
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俺の声は、震え、怒りに満ちていた。
「お、落ち着け、楓」
兄さんは、俺をなだめようとするが、もう俺の耳には届かない。
「仁さんは俺のことずっと守ってくれたんだよ…?そんな人が悪人なわけがない……っ!」
「それに…仁さんがいなかったら今ごろ死んでたかもしれないのに」
俺の言葉は、悲痛な叫びとなって部屋に響いた。
しかし、兄さんは、その叫びを冷たく受け止める。
「…….っ、だからってな、俺が反対するの分かってて黙ってたんだろ?」
その言葉は、俺の胸に突き刺さる。
「それは…っ」
「人に言えないような相手との交際なんて認められるわけが無い」
「……っ!」
「それこそ、楓は裏切ってるだろ、俺のこと」
裏切ってる。
その言葉を聞いて、ふと、あの人の言葉が脳裏で反する。
裏切り──…
その重い響きが、俺の心を深くえぐる。
「裏切りって……それを言うなら、俺のことを裏切ってるのは、兄さんも同じだよね」
俺の言葉に、兄さんの顔色がサッと変わった。
「は……?」
「兄さんだって、俺に嘘ついてたじゃん」
「な…何の話だ?」
「しらばっくれないで、この前…あの人……母さんから聞いたんだ」
「兄さんは、俺が小さい頃に誘拐されたとき、その拉致監禁に手を貸してたって」
「っ!」
兄さんは一瞬驚愕に目を見開いたような顔を見せたあと、すぐに視線を逸らした。
その表情は、見る見るうちに苦痛に歪んでいく。
そしてそのまま、何も言わず俯いている。
その沈黙が、俺の心に重くのしかかる。
やはり、それは真実なのだろうか。
じたくはないが、どうやら本当のことらしい。
「……本当、なんだね」
俺の問いかけに、兄さんは顔を上げない。
その沈黙が、肯定の返事のように感じられた。
「それは違う!あのときは、母さんに脅されて…でも、お前を売った形になったのは分かってる」
「ずっと話さなきゃとは……お前に謝らないととは思ってたんだ」
兄さんは、必死になって弁明をし始めた。
その声は、震え、切詰まっている。
しかし、それは余計に俺の感情を煽ってしまうだけだった。
言い訳にしか聞こえない。
「そんなの言い訳じゃん……そうだ、そうだよ、兄さんも結局、俺のことなんて愛してなかったんだよね」
「だから!違うんだ、俺は…っ」
俺がそう言うと、兄さんは必死に否定してきたが
俺はそれを聞き入れることができなかった。
怒りや哀しみなんて言葉じゃ言い表せない
裏切られたという絶望感が、俺の心を支配していた。
「兄さんは味方だと思ってた、この世で唯一言頼できる家族だと思ってたのに……結局は兄さんもあの人のいいなりだったってことでしょ」
俺の言葉を聞いて、兄さんは何も言わなくなった。
部屋に再び、重苦しい静寂が訪れる。
その静寂が、俺の心を深く、深く苦しめる。
そんな状態が続く中、兄さんは苦虫を噛み潰したような顔で、絞り出すように言った。
「……ごめん、楓。でも違うんだ、楓、俺は、お前が本当に大切で……っ」
そう言って、兄さんが手を掴まれそうになって
俺は思わずその手を、振り払う。
その手は、まるで触れることすら拒むかのように虚空を掴んだ。
「触んな…っ」
自分の口から出た言葉に泣きそうになった。
「楓……」
兄さんが、悲しそうな瞳で俺を見つめてくる。
その瞳には、深い傷と、絶望が宿っている。
そんな顔しないで欲しい。
(俺まで泣きそうになるじゃんか)
それでも俺は、兄さんの手を拒絶することしか出来なかった。
それくらいの衝撃と絶望感が、俺の心を支配していたのだ。
だって、まさか自分の兄がそんなことをしていたなんて思いもしなかったし
なにより、嘘であれと思った
信じたくなかった。
それに加えて、そんな
俺のことを裏切っていた兄さんに、俺の恋人である仁さんとの仲を
“元ヤクザ、というだけで引き裂かれそうになるのも余計に許せなかった。
「出て行って」
俺が冷たく、突き放すようにそう言い放つと兄さんは悲しそうに目を伏せながら、静かに言った。
「楓……っ、信じられないかもしれない。けど…俺は今も昔も、お前のこと愛してる。俺にとっても、楓は大切な家族なんだよ、それだけは、本当なんだ」
その言葉は、俺の心には届かなかった。
「っ!もういい!出てけよ……二度と顔も見たくない…っ!!」
そう言って、俺は兄さんの背中を強く押し、玄関まで追いやった。
抵抗もせず、されるがままの兄さんを無理やり外に出し
勢いよくドアを閉め、ガチャリと鍵をかける。
ドア越しに兄さんの声が聞こえた気がしたが、もう関係ない。
俺の心は、怒りと悲しみでいっぱいだった。
しかし、その途端に
俺の目からは、堰を切ったように涙が溢れ出てきて、俺は膝から崩れ落ちた。
「……っ」
ポタポタと、熱い涙がフローリングの床に染みを作る。
兄さんなんか、もう会いたくもない。
そのくらい、今の俺は怒りでいっぱいだった。
泣くな、泣くな。
そう思っても、一度決壊した涙腺は、もうコントロールできずにとめどなく涙を溢れさせる。
心臓が、まるで誰かに握りつぶされているかのように痛い。
体を鎖で締め付けられているみたいに、苦しい。
何故、こんなことになってしまったんだろう。
兄さんも仁さんも、どちらも俺にとってかけがえのない大切な人なのに…
兄さんは、これまで俺のことをずっと大事にしてきてくれた。
俺が二度目の誘拐をされて滅入っていたときも休んでいけばいいと泊まらせてくれたり
気分転換にとドライブに連れて行ってくれたり…
それなのに、俺のこと売ってたなんて、信じたくなかった。
信じたくなかったのに、兄さんの言葉がそれが真実であることを物語っていた。
それに、仁さんは、こんな俺を何度も救ってくれた人。
命の恩人だ。
どちらも、俺にとって大好きな人に変わりなかった。
なのに、一体どっちを信じたらいいのか。
誰を信じればいいのか、分からなくなりそうで、いっそのことこのまま消えてしまいたくなる。
「………っ」
ボロボロと、止めどなく涙が溢れ出てくる。
俺が生まれたこと自体、間違いだったのかもしれないとさえ思えてくる。
兄さんに売られたなんて、嘘だと思いたかった。
悔しくて、情けなくて、どうしようもない。
膝を抱えて丸くなると、自然と嗚咽が漏れた。
どうしたらいいのかも分からないし、これから兄さんとどう関わればいいのかも分からない。
ただ一つ、この胸に残ったのは、深い疎外感だけだった。
(このままじゃ駄目だ……)
でも、俺一人の力でどうこう出来る問題じゃないことも、痛いほど分かっていた。
「はぁ……っ」
何度目かの溜息を吐きながら、重い体をなんとか立ち上がらせ
冷蔵庫から水を取り出して一気に飲み干す。
冷たい水が、喉を通り過ぎていく感覚だけが今の俺を現実につなぎとめていた。
そして、再びソファに横になる。
目を閉じてみると、今度は、強烈な睡魔が襲ってきた。
夢の中でなら、きっと楽になれるだろうか
そんな淡い期待を抱きながら、俺はゆっくりと意識を失っていった。
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