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麗太
#追放
第190話「錆の進撃」
【異世界・王都イルダ/臨時分析拠点・朝】
ノノの端末から、レアの反応が消えた。
最初は、薄くなっただけだった。
学園内。校舎裏方面。反応微弱。追跡困難。
それでも、まだ線はあった。
細くても、どこへ向かったのかを示す揺れがあった。
だが、次の瞬間。
その線が、ぷつりと切れた。
ノノは画面を凝視する。
「……嘘」
セラが横から覗き込む。
「どうしました」
「レアの反応が消えた」
「校外へ出たのですか」
「違う」
ノノはすぐに首を振った。
「校外へ抜けたなら、座標の線が残る。
これは違う。反応そのものが、見えなくなった」
端末には、空白だけが残っている。
レアの数列反応。
黒影反応。
箱の内側で観測していたズレ。
その全部が、同時に消えていた。
ノノは全体回線を開いた。
『学園側、聞こえる?』
『レア反応、完全消失』
『繰り返す。レアの位置、分析不能』
『校内にいるか、外へ出たかも確定できない』
少しの間があった。
サキの声が返る。
『完全に……?』
ノノは唇を噛む。
『うん、今は追えない』
ハレルの声が荒く入る。
『レアを探せないのか!』
『今は無理!』
『ジャバの黒影と学園の残留混線で、反応が潰れてる』
『それに……レア自身が、反応を隠してる可能性もある』
リオの声が低く入る。
『自分で?』
『分からない』
ノノは答えた。
『でも、箱の中にいた時より、反応が変わってる』
セラが静かに言う。
「レアさんは、ただ逃げたのではなく、観測から外れる方向へ動いた可能性があります」
ノノは画面を見つめたまま、小さく言った。
「外が見たいって、こういうこと……?」
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館内・朝】
サキは、空になった箱を見ていた。
外箱はまだそこにある。
亀裂も、光具も、結界杭も残っている。
だが、レアはいない。
ついさっきまで、そこに座っていた。
膝を抱え、少し笑って、サキを困らせるようなことを言っていた。
その姿が、もうない。
ダミエは床に片膝をついたまま、呼吸を整えている。
先生たちは生徒たちを中央に集め、名前確認を続けていた。
「ミナ、いる?」
「いる」
「ユウタ?」
「いる」
「高橋先生?」
「ここにいます」
名前の声が、体育館の中央を細く支えている。
サキはその声を聞きながら、レアの最後の言葉を思い出していた。
私、たぶん今は自分で選んでる。
戻る場所があるのか、見てくる。
「……変わった」
サキは小さく呟いた。
ダミエが顔を上げる。
「何が」
「レア」
サキは空の箱を見たまま言った。
「最初に会った時と、全然違う」
あの豪華客船で初めて出会った時。
レアはもっと怖かった。
笑っているのに、人の不安を見て楽しんでいるようだった。
誰かの顔を使うことにも、人を揺らすことにも、ためらいがなかった。
けれど今は違う。
怖いことに変わりはない。
信じていい相手でもない。
それでも、ただ命令に従って動いているようには見えなかった。
「自分で選ぶって言ってた」
サキは言う。
「本当にそうなのかは分からないけど……
でも、あの時みたいに誰かの言葉をそのまま喋ってる感じじゃなかった」
ダミエは少し黙った。
「だから危険だ」
「え?」
「自分で選ぶ危険な者は、命令されて動く者より読みにくい」
サキは言葉を失う。
ダミエは続けた。
「だが、命令されていないなら、戻る可能性もある」
その言葉に、サキは顔を上げた。
ダミエは空の箱を見ている。
「今は追えない」
「なら、ここを守る。レアを追うのは、学園が持ってからだ」
サキは拳を握った。
「うん」
その時、校庭側からまた轟音が響いた。
ジャバの笑い声が、壁越しに聞こえる。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
校庭では、ハレルとリオがジャバを押し返そうとしていた。
王都から来た術師たちが、体育館側へ薄い結界を張っている。
そのおかげで、黒い亀裂の進行は少し鈍った。
だが、ジャバはまだ余裕の顔だった。
「おいおい、箱の中身は逃げたんだろ?」
「そっち行かなくていいのか?」
ハレルは主鍵を握る手に力を込める。
「黙れ」
「追いたいだろ?」
「逃げた奴を放っといていいのか?」
リオが前へ出る。
「挑発に乗るな」
「分かってる」
ハレルは歯を食いしばった。
本当は追いたい。
でも今動けば、体育館が危ない。
サキも、生徒たちも、ダミエもいる。
だから、今はここを守る。
ハレルは主鍵の光を細く立てた。
「一点固定――〈固定界〉!」
黒い亀裂の先端が、白い光に押さえ込まれる。
リオは副鍵を構える。
「ジャバを校庭の外へ押す」
「できると思ってんのか?」
ジャバが笑う。
リオは短く返した。
「やる」
リオの光刃が、ジャバの足元を狙う。
ジャバは跳んで避ける。
その着地点に、ハレルが固定界を打ち込む。
白い光の杭が、ジャバの足を一瞬だけ止めた。
「っ!」
ジャバの顔から笑みが少し消える。
リオがそこへ光刃を重ねる。
黒い影がジャバの肩から削れた。
「ちっ」
ジャバは舌打ちし、大きく後ろへ下がった。
初めて、少しだけ距離が空いた。
ノノの声が入る。
『そのまま!』
『体育館から離して!』
『ジャバは揺れを作れない距離まで下げれば、箱への負荷が落ちる!』
ハレルは頷く。
「リオ、押すぞ」
「ああ」
二人は同時に前へ出た。
◆ ◆ ◆
【現実世界・駅周辺南側/臨時医療スペース付近・朝】
現実側では、ラストの進撃が強まっていた。
戻った人々は医療スペースに入った。
だが、それで終わりではなかった。
ラストの錆は、医療スペースの周囲を囲むように広がり始めていた。
入口付近の金属フレームは取り外した。
支柱も外した。金属柵も使っていない。
それでも、錆は来る。
建物の壁の内側にあった古い鉄筋。
足元の排水溝。
近くに放置された金属製の看板。
医療機材の脚。
そうした小さな金属を伝って、赤茶けた筋が少しずつ近づいてくる。
木崎はカメラを構えながら叫んだ。
「医療機材の金属脚を床から離せ!」
「台車は使うな!」
「酸素ボンベは樹脂マットの上へ移せ!」
医療班が慌ただしく動く。
一人が叫ぶ。
「全部は無理です!」
「医療機材には金属があります!」
「分かってる!」
木崎は答えた。
「だから床に接触させるな!錆は接触してる金属を追ってる!」
イヤホンに日下部の声が入る。
『木崎さん、錆反応が三方向から接近』
『南側、東側、地中配管側です』
『このままだと医療スペースを囲まれます』
「逃げ道は」
『北側はまだ薄いです』
『ただし、そこにも古いフェンス基礎があります』
「フェンスを避けて抜ける」
『人数が多すぎます』
『全員を移す前に追いつかれます』
木崎は奥歯を噛んだ。
戻った人々をようやく逃がした。
今度は医療スペースごと追い詰められている。
遠くで、ぼそぼそとした声がした。
「……逃げても」
「置く場所は、古くなる」
木崎が振り向く。
ラストがいた。
医療スペースの外側。
錆びかけた標識の影に、警官の制服を着たラストが立っている。
黒と赤錆色の髪。
深い隈。
目の奥に走る文字列。
木崎は低く言った。
「来たな」
ラストは静かに手を上げる。
錆が走る。
排水溝の縁。机の脚。
外したはずの金属フレームの残り。
錆が、点ではなく面になって広がっていく。
日下部の声が焦る。
『錆の速度が上がっています!』
『ラスト本体が近いせいです!』
城ヶ峰の声が入る。
『木崎、医療スペースを捨てろ』
『人を北側へ抜けさせる』
木崎は周囲を見た。
戻ったばかりの人々。
まだ立てない者。子ども。老人
医療班。
全員をすぐに動かすのは無理だ。
「城ヶ峰」
『何だ』
「時間を稼ぐ」
『無茶はするな』
「無茶じゃない」
木崎はカメラを構えた。
「観察の続きだ」
ラストが一歩近づく。
足元の錆が、じわりと広がる。
医療スペースの入口に置かれていた金属製の器具台が、赤茶けて歪んだ。
医療班が悲鳴を上げる。
「下がれ!」
木崎が叫ぶ。
その横で、警官の一人が拳銃を抜いた。
「撃ちます!」
木崎は一瞬だけ視線を向ける。
止めるべきか。
だが、確認しておく必要もある。
「脚を狙え」
木崎は短く言った。
「周囲に人を入れるな」
三人の警官が、ラストへ銃口を向けた。
「撃て!」
乾いた発砲音が連続して響いた。
一発。
二発。
三発。
さらにもう一発。
弾丸は外れなかった。
ラストの肩。
腹部。
脚。
胸元。
確かに命中した。
だが、血は出なかった。
弾丸がラストの体に触れた瞬間、黒い影の表面で赤茶けた錆が走った。
金属の弾は、肉を貫く前に腐り、崩れ、粉になった。
ぱらぱら、と赤茶けた砂のようなものが地面に落ちる。
撃った警官たちが息を呑む。
「効いてない……?」
ラストは、撃たれた場所を少しだけ見下ろした。
「……金属」
「古くなる」
ぼそぼそとした声だった。
次の瞬間、地面に落ちた錆の粉が、周囲の金属片へ広がる。
排水溝の縁が赤茶け、器具台の脚がさらに歪んだ。
木崎は低く呟いた。
「やはり、無駄か」
警官の一人が顔を青くする。
「弾が……錆びたんですか」
「金属は全部、餌になる」
木崎はカメラを構え直した。
「撃つな。近づくな。
あいつ相手に、金属を増やすな」
ラストはまた、一歩近づいた。
銃声のあとに残ったのは、硝煙ではなく、赤茶けた粉の匂いだった。
足元の錆が、じわりと広がる。
木崎は手持ち灯を二つ取った。
「田村、佐野さん、手持ち灯を持て!」
「三点交差を俺の前に作る!」
「止めるんじゃない。遅らせる!」
警官たちが動く。
三つの光が、木崎の前で交差する。
ラストの歩みが、ほんの少し鈍った。
だが、止まらない。
「……光」
「動く光」
「面倒……」
ラストは片手を横へ振った。
木崎の横にあった金属製の標識が、根元から錆びて倒れた。
光の一つを持っていた警官が、慌てて避ける。
三点交差が一瞬崩れる。
その瞬間、錆が一歩進んだ。
木崎の靴の先に、赤茶けた粉が迫る。
「っ……!」
城ヶ峰の声が飛ぶ。
『木崎、下がれ!』
木崎は一歩下がる。
だが、後ろには戻った人々がいる。
下がれば、人の列に錆が近づく。
木崎は息を吸った。
「下がれる場所がないな」
◆ ◆ ◆
【現実世界・湾岸方面/資材ヤード・朝】
日下部の画面は赤く染まっていた。
《RUST ADVANCE / ACCELERATED》
《MEDICAL SPACE / SURROUNDED》
《LIGHT TRIANGLE / PARTIAL FAILURE》
《CIVILIAN RISK / HIGH》
村瀬が青ざめる。
「医療スペースが囲まれます!」
佐伯も叫ぶ。
「北側導線、まだ開けられます!」
「でも全員は間に合わない」
日下部は言った。
「ラスト本体が近すぎる」
城ヶ峰は通信を睨むように見た。
「ラストを引き離すしかない」
日下部は画面を見つめる。
木崎の位置。
ラストの位置。
三点交差の光。
錆の広がり。
逃げ道は狭い。
だが、ラストの歩みは光の交差で確かに鈍っている。
完全には止まらない。
でも、遅れる。
日下部は低く言った。
「三点では足りない」
佐伯が顔を上げる。
「増やすんですか」
「はい」
日下部は画面に線を引く。
「三点交差を二組。動く光を六点。
それをずらして重ねれば、ラストの進行をもっと遅らせられるかもしれない」
村瀬が言う。
「でも、そんなに手持ち灯を持つ人が前に出たら危険です」
「危険です」
日下部は答えた。
「でも、このままだと医療スペースが落ちる」
城ヶ峰が短く命じる。
「やる」
「志願者を募るな。こちらで選ぶ」
「木崎を中心に動く光の檻を作る」
日下部はすぐに通信を開いた。
『木崎さん』
『三点では足りません』
『六点に増やします』
『ラストを止めるのではなく、進行を遅らせる光の檻を作ります』
木崎の声が返る。
『いいな』
『檻って言葉、あいつには似合う』
『ただし、まだ拘束ではありません』
『時間稼ぎです』
『十分だ』
木崎は答えた。
『時間があれば、人を逃がせる』
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/臨時分析拠点・朝】
ノノは、現実側と学園側の両方を見ていた。
レア反応、完全消失。
学園、ジャバ戦闘継続。
現実側、ラスト進撃。
医療スペース、包囲寸前。
「きつい……」
思わず声が漏れた。
セラが静かに言う。
「レアさんを追うには、学園の戦闘を止める必要があります」
「ラストを止めるには、現実側の導線を保つ必要があります」
「どちらも、支えが足りません」
「分かってる」
ノノは歯を食いしばる。
「でも、今できることをやる」
ーーーその時、端末の一部に、古い補助層の反応が出た。
白い線。
細く、古い。
けれど、見覚えがある。
ノノの目が見開かれる。
「……匠さん?」
セラも画面を見る。
「補助層が開いています」
ノノは通信を繋ぐ。
『ハレル、サキ、現実側』
『補助層反応』
『匠さんの接触が来るかもしれない』
ノイズが走る。
ーーそして、低く、遠い声が入った。
『……焦るな』
ハレルの声が重なる。
『父さん!?』
サキも息を呑む。
『お父さん……?』
声は不安定だった。
けれど確かに、匠の声だった。
『レアは、まだ消えたわけじゃない』
『観測から外れただけだ』
『追うな。今追えば、影の中へ入る』
ノノが叫ぶ。
『じゃあ、どうすれば?』
『先に、支えを戻せ』
『駅を完全に戻すなら、錆を切れ』
『ラストは、止まったものを腐らせる』
『動く光で囲め』
『そして、最後は名前ではなく――役割を剥がせ』
木崎の声が入る。
『役割を剥がす?』
匠の声は、かすかに続いた。
『警官ではない』
『誘導者ではない』
『守る者ではない』
『その顔で立つ理由を奪え』
日下部が息を呑む。
『ラストを、警官の役割から外す……』
『そうだ』
匠は言った。
『錆を止めるには、まず器を止めろ』
ノイズが強くなる。
ハレルが叫ぶ。
『父さん、待って!』
『レアはどこにいるんだ!』
少しだけ間があった。
『レアは、自分で見る場所へ向かった』
『だが、長くは自由ではいられない』
「どういう意味だ!」
しかし、声は薄れていく。
最後に、匠は言った。
『駅を戻せ』
『そこが、次の足場になる』
通信が切れた。
ノノの端末には、補助層の白い線だけが少し残っていた。
◆ ◆ ◆
【現実世界・駅周辺南側/臨時医療スペース付近・朝】
木崎は、ラストの前に立っていた。
周囲に、六つの手持ち灯が配置されていく。
完全な円ではない。
動く光。
人の手で持たれた、不安定な檻。
ラストは、その光を見て目を細めた。
「……増えた」
木崎はカメラを構えたまま言った。
「お前を止めるには、まだ足りないだろうな」
ラストは返事をしない。
足元の錆が、じりじりと近づく。
木崎は続けた。
「でも、分かったことがある」
ラストの目が、わずかに動く。
「その制服」
「お前のものじゃない」
ラストの周囲の錆が、一瞬だけ止まった。
木崎は低く言った。
「お前は警官じゃない」
「人を誘導する側でもない」
「守る側でもない」
六つの光が、ゆっくり動き始める。
「その顔で、こっちに立つな」
ラストの目の奥で、黒い文字列が乱れた。
「……違う」
「借りただけ」
「なら返せ」
木崎は一歩も引かなかった。
その背後で、医療スペースの人々が北側へ動き始める。
まだ逃げ切れていない。
まだ追い詰められている。
だが、初めてラストの足が止まった。
◆ ◆ ◆
レアの反応は消えた。
ノノの分析でも、もう追えない。
サキの目には、レアが以前とは違って見えていた。
豪華客船で出会った時のような、ただ人を揺らして笑う存在ではなくなっている。
だが、変わったから安全とは限らない。
自分で選び始めたからこそ、どこへ行くか分からない。
現実側では、ラストが医療スペースを追い詰めた。
錆は導線を潰し、金属を伝い、戻った人々の居場所まで迫った。
それでも、木崎たちは逃げるだけでは終わらなかった。
動く光。
六つの灯り。
そして、役割を剥がす言葉。
錆の進撃は、まだ止まっていない。
だが、反撃の最初の形が、ようやく見え始めていた。
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