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 父親のイビキで眼が覚めた。

 下の階の部屋だというのに、そのイビキはやたら響いて聞こえて、煩くてたまらなかった。

 母さんはあんな大イビキの横でよく平気で寝ていられるな、と心底感心してしまう。

 時計を見れば、深夜二時過ぎ。

 つけっぱなしだったクーラーに寒さを感じ、ピッとリモコンでオフにする。

 ちょっと身体を冷やしたせいだろうか、なんだか無性にトイレに行きたかった。

 僕は自室をあとにして廊下に出ると、一階のトイレに向かった。

 真っ暗な店の中に聞こえるのは、夜なのに鳴いている弱々しいセミの声と、相変わらず響く父親の大イビキ。

 ムッとした空気がそこには満ちていて、何だか妙に心地が悪かった。

 僕は階段下のトイレへと急ぐと、我慢していた小便を一気に放った。

 そこで小さくひと息ついて、軽く手を洗ってからトイレを出る。

 ――カタリ。

 店の裏側からだった。

 僕はその音が聞こえた瞬間、思わず「ひっ」と背筋が凍り付いてしまう。

 たぶん、ただの野良猫か何かだろう。

 店の裏側は人ひとり通れる程度の細い通路になっているが、近所の人がたまに近道として利用するくらいで、こんな夜更けに歩く人なんてそうそう居ない。

 思いながら、僕は聞き耳を立てて、店の裏側を窓越しにそっと覗いた。

 ――カタリ、ゴソゴソ。

 そこに見えたのは、小さな丸い影だった。

 やっぱり猫か何かだろうか。いや、それにしては影が大きい。人よりは小さくて、けれど猫よりは大きいその影は、通路に蹲って何かしている。

 ……犬、だろうか。でも、なんで犬がこんなところに。

 僕はその正体がどうしても気になって、さらに窓に近づいてみた。

 ほのかな生臭さが鼻を刺激して、僕は思わず眉を顰めた。

 これはたぶん、魚の臭い。

 どうやら犬か何かが裏の通路で、地面に落ちた魚を食べているようだった。

 けれど、それにしては何かがおかしい。

 あれは絶対に犬じゃない。だからって、人の姿もしていなかった。

 僕はそいつをじっと見つめた。その正体が知りたくて、ただ好奇心の赴くままに、何も考えずに。

 やがてその影はふっと首をもたげた。

 逆立ったようなボサボサの毛に、まるで二本の角のようにぴんと立った三角形の耳。ランランと輝く瞳は大きく見開かれ、赤い口からは長い牙がギラリと光っている。

 あぁ、やっぱり猫だったんだ――と思うのと同時に、違和感を覚えた。

 そう、デカい。デカすぎるのだ。

 人よりは小さいけれど、よく見る犬より一回り以上も大きく見える。

 見間違いだろうか。その大きな猫はくるりとこちらに背を向けると、ガツガツと再び魚を食べ始めた。

 僕はどうしてもその正体が気になって(窓越しに見るから大きさの感覚がくるってしまっているのに違いないと思って)、とにかく自分の目で確かめるべく、店の方へ向かうと扉の鍵を開け、家の外に出た。

 潮の香りを含んだ生暖かい風が僕の頬を撫でていく。セミの声に混じって聞こえる虫の音が、とても綺麗だと僕は思った。

 そんな中、僕は店を回り込んで、裏の細い路地に向かった。

 なるべく猫に気配を悟られないよう、足音を立てないように、抜き足、差し足――一歩、また一歩、路地を進む。

 そんなに歩き進まないうちに、やがてあの猫の背後まで辿り着いた僕は、思わず目を見開いた。

 中型犬ほどもありそうな大きな猫が、ぼさぼさの毛を逆立てながら、どこから盗ってきたのか大量の魚に貪りつきながら、その三本の尻尾をゆらゆらと揺らしていたのである。

 ……そう、尻尾が三本もあったのだ。

「化け猫」

 思わず、そう呟いてしまった時だった。

 僕の声に気づいたその化け猫が、くるりとこちらに顔を向けて、ぎろりと睨みつけてきたのである。

「あっ……!」

 そんな声を漏らした時には、すでにその化け猫は地を蹴って宙を舞い、鋭い牙と爪をむき出しにして僕に襲い掛かっていた。

「うわぁぁぁっ――――!」

 僕はそれを避けようと両腕を顔の前に突き出して、一歩後ずさろうとして。

 そのままバランスを崩して後ろに倒れ、ガツンッと後頭部を激しく地面に殴打して――そのまま気を失ってしまったのだった。

 それからいったい、どれくらいの時間が過ぎただろうか。

「ちょっと! テンマ! 起きなさいよ!」

 頬をぺちぺち叩かれる感覚があって瞼を開くと、視界の先には街灯を背にした黒い人影があった。

 逆光に目を細めながら凝らして見れば、金に染められたゆるふわの髪に、大人の女性みたいにきっちりと化粧をした、見覚えのある顔で。

「……潮見? なんで、お前が僕の部屋に」

 すると潮見芽衣はパチンッと僕のおでこを強く叩くと、

「何言ってんの。ここはあんたん家の裏道のど真ん中でしょ?」

「……え?」

 言われて上半身を起こし、辺りを見回して見れば、そこは確かに、薄暗い路地のど真ん中だった。

「あれ? なんで僕、こんなところで。あ、いや、そう、そうだよ。目が冴えて、トイレに行って、そしたら窓から変な猫の姿が見えて、なんだろうと思って外に出て……」

 それから僕は、もう一度辺りをキョロキョロしてから、

「確か、三又の尻尾を持った猫だったんだよ。驚いて声を漏らしちゃって、そのせいで化け猫に気づかれて、襲い掛かられて……」

 すると潮見は顔にかかった髪を掻くような仕草をして、呆れたようにため息を吐き、

「化け猫? 何言ってんのアンタ。馬鹿なの? そんなん、寝ぼけただけよ」

「いや、だって確かに俺は……」

 とそこへ、にゃおんと可愛らしい猫の声が聞こえてきた。

 見れば、ふわふわの毛並みのかわいらしい猫が、こちらに向かって夜闇の中からやってくる。

「おかえり、ルナ」

 ルナと呼ばれたその猫は、にゃおんとまたひとなきすると、しゃがんだ潮見の膝上にぴょんと飛び乗る。

 そのルナな姿は、なんだかさきほど見た化け猫の姿によく似ていて……

 けど……うん、違う。

 あの化け猫の毛はぼさぼさに逆立っていたはずだ。

 ルナと呼ばれたこの猫の毛は、確かに毛だらけだけど、ちゃんと綺麗に整えられているじゃないか。

 それに、大きさだって全然違う。確かに少し大きめだけれど、驚くほどのサイズじゃない。

「どうせ、寝ぼけてルナの姿を化け猫と勘違いして気絶しちゃったんじゃない?」

「いや、でも、そんな……」

「そうじゃないって、言い切れる?」

 間近まで顔を近づけてきた潮見からは、なんだか甘い、良い香りがして……

「……うん、そうだよな。寝ぼけてたんだよ、たぶん」

 僕が頷くと、潮見はうんうん頷きながら、

「そうそう。ほら、わかったらさっさと家に帰って寝直しなよ」

「あ、あぁ」

 僕は立ち上がり、それから、

「潮見こそ、こんな夜遅くに何してんだよ」

「あたし、不良だからね」

「はい?」

 潮見はイタズラっぽい微笑みを浮かべながら、真っ暗な空を指さして、

「ルナと一緒に、お月見よ」

 そこには煌々と輝く満月が浮かんでいた。

 確かに、綺麗な月だった。

「それよりほら、さっさと家に帰りなよ。寝不足になるよ」

「わかったよ。潮見も早く帰れよ。おじさん、心配するぞ」

「はいはい、じゃーね! おやすみ!」

 潮見はうざったそうに手を振ると、ルナを胸に抱えて背を向け、歩き出した。

 僕はそんな潮見の後ろ姿が見えなくなるまで見送ると、気を取り直して、開け放った店の方へと戻ったのだった。

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