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リフェアリー
128
佐久間の孫は、十七歳の娘だった。名前は、灯(あかり)と言った。
灯は、祖母から十枚の証を預かり、要と孫と一緒に、諏訪から木曽まで、二日歩いた。背中には、干したわかさぎが、十枚分。要が、佐久間から買った魚だった。
「本当に、紙が、米になるの」灯は、道中、三度聞いた。
「なる」要は、三度答えた。「ならなかったら、僕の評判が、消える」
木曽の村の米屋に、灯が、十枚の証を置いた。
つむぎが、受け取った。裏返した。漉き目を透かした。四つの印を、順に見た。顔を上げて、灯の顔を見た。知らない顔だった。
「覚えました」つむぎは言った。「諏訪の、佐久間さんのお孫さん。灯さん。要さんが、連れてきた」
米を、十キロ、量った。
灯は、米の袋を、両手で持った。長い間、持っていた。
「……なった」
「なった」要は言った。
灯は、米を背負って、翌日、諏訪へ帰っていった。二日後、佐久間から、蝋で封じた手紙が、峠の小屋に届いた。飛脚が運んできた。蝋には、佐久間の印。中には、一行。
『干し魚、百枚分、証で売る。次は、湖まで取りに来い』
*
証が、諏訪に流れ始めた。
最初は、十枚。翌週、五十枚。翌々週、百枚。木曽の人間が、峠を越えて諏訪まで行き、証で干し魚を買った。諏訪の人間が、証を貯めて、木曽まで来て、米に替えた。片道二日。往復四日。それでも、人は、歩いた。
要は、三冊の台帳の、発行枚数を見た。
千二百枚。
三つの村の米は、春の時点で、二千キロ。千二百枚は、まだ、余裕がある。でも、諏訪に流れた証が、全部一度に木曽に戻ってきたら、米が足りなくなる。
「発行の上限を、変えないと」要は、峠の小屋で、ひかりに言った。
「増やすの? 減らすの?」
「わからない」
要は、正直に言った。
証は、米一キロの約束だった。米が三千キロなら、証は三千枚まで。それが、最初の決まりだった。でも、今、証は、米だけでなく、味噌にも、塩にも、薪にも、魚にもなる。米三千キロという上限は、もう、意味が薄い。
証の価値を支えているのは、米ではなく、三つの村と諏訪の、全部の物だ。
「上限を、米で決めるのを、やめる」要は言った。「代わりに、証で買える物の、全部で決める。米、味噌、塩、薪、魚。全部を、証に直して、足す。それが、上限」
「どうやって、足すの」
「相場の板で。米一枚。味噌二枚。塩三枚。魚は、まだ決まってない。決まったら、全部の量を、枚数に直す」
ひかりは、しばらく考えてから言った。
「それ、お兄ちゃんのいた銀行が、やってたこと?」
「……似てる」要は言った。「マネーサプライ、と言ってた。世の中にある金の量を、物の量に合わせる。合わなくなると、物の値段が、上がるか、下がる」
「じゃあ、お兄ちゃんは、日銀だ」
「違う」要は、すぐに言った。「僕は、何も決めてない。板に書く相場は、孫さんが毎週書く。孫さんが決めてるんじゃなくて、取引が決めてる。僕は、取引の結果を、足してるだけだ」
「でも、上限は、お兄ちゃんが決める」
要は、答えに詰まった。
そのとおりだった。上限は、要が決める。三冊の台帳に、要が書く。四人が印を押す。でも、「いくらにするか」を最初に言うのは、要だった。
「……決めてる」要は言った。「だから、怖い」
「怖いの?」
「怖い。僕が間違えたら、証が紙になる。四つの村が、飢える。一人が決めるのは、怖い」
ひかりは、兄を見た。
「じゃあ、一人で決めなければいい」
「どういうことだ」
「お兄ちゃんが、いつも言ってる。一人を信じるな。三冊にしろ。上限も、三人で決めればいい。お兄ちゃんと、私と、孫さんと。三人が、別々に、上限を計算する。三つの数字が、だいたい合ったら、それを上限にする」
要は、妹を見た。
十九歳。大学生。半年前は、兄の後ろにいた。今は、兄の仕組みを、兄に、適用している。
「……そうだな」
「そうだよ」
「お前、いつから、そんなに」
「水車を作ってから」ひかりは言った。「十人に、十五枚ずつ、借りた。十人の顔を、毎日、思い出す。返せなかったら、どうなるか、毎日、考える。考えてたら、お兄ちゃんの言ってることが、わかるようになった」
*
翌週、三人が、別々に、上限を計算した。
要は、千八百枚と出した。ひかりは、千六百枚。孫は、二千枚。
三つの数字は、だいたい合っていた。要は、真ん中を取った。千八百枚。三冊の台帳に、書いた。四人が、印を押した。
『発行上限、千八百枚。四つの村の、全ての物の量より。三人が別々に計算し、中央値を取る。毎月、計算し直す』
要は、書きながら、思った。
日銀は、一人ではなかった。政策委員が、九人いた。九人が、別々に考えて、多数決で決めていた。要は、それを、「遅い」と思っていた。七年前は。
今は、三人だ。遅い。でも、一人よりは、間違えにくい。
「お兄ちゃん」ひかりが言った。「十個目、書かないの」
「十個目?」
「遠隔が九。上限を三人で決めるのは、十じゃないの」
要は、首を振った。
「これは、新しい段じゃない。二つ目の『三冊』を、上限に使っただけだ。同じ道具を、違う場所に置いた。段は、増えてない」
「ふうん」
「でも、道具が、違う場所で使えるとわかった。それは、大きい」
峠の小屋の壁の板に、相場が、一行、増えていた。孫の字で。
『干し魚十枚 証一枚』
四つ目の村の、最初の相場だった。
コメント
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読み終わりました。第37話「魚と証」、すごくいい回でした。灯が証で米を手にして「……なった」と呟くところ、あの一瞬に、この世界の仕組みがひとつ動き出した感じがしました。要が「一人で決めるのは怖い」と認め、ひかりが「じゃあ一人で決めなければいい」と返す場面も好きです。伏線の回収と新たな仕組みの導入が同時に進む手際が鮮やかで、設定好きとしてはたまらないです。