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「まど香、家庭教師のバイト、やらない?」
大学三年の短い冬休みが終わり、久しぶりに出席した講義後のことだ。
席で筆記用具などを片づけている所に、友人の小森美和が近づいてきた。彼女とは中学時代からの付き合いで、親友でもある。高校では離れたが、再びこの大学で一緒になった。
「いきなり何?」
美和の会話の始まりはいつも唐突だ。
私の苦笑など気にした様子もなく、彼女は話し出した。
「叔母が従弟の家庭教師を探しているのよ。まど香って、桐青高校だったでしょ?だからどうかなって思って」
「どうと言われても……。美和がやるんじゃだめなの?」
「いやぁ、従弟相手だと、なんか気恥しいって言うか。ちなみに、バイト代は結構出してくれるみたいよ」
「へぇ……」
実家暮らしでお金に困っているわけではないが、今やっているファーストフード店のアルバイトを、あと一日くらい増やしたいと思っていたところだった。一応詳しい話を聞いてみようと思い、美和に訊ねる。
「その子って、どんな子?」
「理玖君っていう、高校一年生。入学してから様子を見ていたらしいんだけど、上がるどころか下がる一方で、ついには二学期の期末テストで赤点ぎりぎりを取っちゃったらしいのよ。塾も考えたらしいんだけど、まずはマンツーマンで教えてもらえる家庭教師を、って考えたみたいでね。お正月に会った時に相談されたんだ。特に見てもらいたいのは英語と数学で、一時間から二時間くらいでお願いしたいらしい」
「教科は大丈夫だと思うけど。男子高校生か……」
美和は語尾を濁らせる私の隣に腰を下ろす。
「真面目でいい子よ。でも、見た目はあんまり普通とは言えないかな」
私はごくりと生唾を飲んだ。
「普通とは言えないって、どういう意味で?」
髪の色が金髪だったり、ピアスが耳にぞろりとならんでいたりと、見た目がものすごく派手だとでも言うのだろうか。
でもそれなら、真面目でいい子だとは言わないか……。
身構えるように眉間にしわを寄せている私に気づいて、美和は笑った。
「今色々想像しちゃった?違うから。普通じゃないって言うのは、危ない意味でじゃないよ。そうねぇ、アイドル並みの見た目っていう意味で、かな?」
「アイドル……」
美和はにっと笑う。
「だからね、この話を引き受けると、目の保養ができるっていう特典がついてくるわよ。どう?引き受けてみない?」
「特典ねぇ。別にそんなのはいらないけど」
目の保養はさておき、ある目的のためにもう少しお金がほしかったから、収入が増えるのは嬉しい。四年生になれば色々と忙しくはなるだろうが、両立できないこともないだろう。
「分かった。やってみる。英語と数学なら、なんとか教えられそうだから」
「ほんと?良かったぁ」
美和はほっとした顔で、いそいそとスマホを取り出した。
「早速、叔母さんに連絡入れなきゃ」
こうして、話はとんとん拍子に進み、早くもその週末には家庭教師先のお宅を訪ねることになった。
その日は、訪問先の最寄り駅の改札を出た所で美和と待ち合せた。
乗って来た自転車を引いて歩く美和と並んで歩くこと、およそ十数分。彼女が足を止めたのは、周りをぐるりと塀に囲まれた大きな家だった。
想像していたよりもはるかに立派な家だ。そのため緊張度が一気に増す。
「……ここ?」
「そうよ。何よ、緊張してるの?」
「うん、緊張してる」
「なんで?」
美和は不思議そうな顔をする。
私は苦笑を浮かべ、固い表情で答えた。
「だって、なんかすごいお家だし、美和にとっては親戚でも、私にとってはそうじゃないもの。引き受けるとは言ったけれど、家庭教師は初めてだし」
「大丈夫だって。みんな、気さくな人たちだから心配いらないよ」
美和は安心させるように私の肩を軽くたたいた。
「心の準備はいい?入るよ?」
「う、うん」
私は深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。
それを横目で確かめてから、美和がインターホンを押す。
「こんにちは。美和です。家庭教師してくれる友達、連れてきたよ」
『今行くわね』
声がしてから間もなくガチャリと音がした。ドアが開き、にこやかな笑顔の女性が現われた。
「美和ちゃん、待ってたわ。こちらが、そのお友達?」
「うん、そうよ。滝口まど香さんって言うの。私の中学からの親友よ」
「まぁ、そうなの。今回はうちの愚息の家庭教師、引き受けて下さってありがとうございます」
丁寧に頭を下げられて、どきどきしながら私も頭を下げる。
「滝口と申します。私でお役に立てれば嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします」
玄関先で挨拶し合う私たちに、美和が呆れたように声をかける。
「まずは中に入ったらいいんじゃないかな」
「あら、そうよね」
美和の叔母は土屋友恵と名乗った。彼女は照れたように微笑んで、私たちを玄関の中へと招き入れた。
「どうぞ上がってください。もう少ししたら、息子も帰ってくるはずだから」
「理玖君、まだ帰ってないんだ?」
「そうなのよ。今日は家庭教師の先生との顔合わせだから、早く帰ってくるように言ってあったんだけどね」
「ふぅん。ま、とりあえず、お邪魔します。まど香、行こう」
美和はすでに靴を脱いでいた。
私も急いで靴を脱ぎ、用意されていたふかふかのスリッパに足を入れる。
「お邪魔します」
「こちらにどうぞ」
案内されたのは広い座敷だった。来客用の部屋でもあるのか、床の間には日本画らしい掛け軸と生け花が飾られている。
私たちと自分用のお茶を出し終えて、友恵が口を開いた。
「息子が帰ってくる前に、先にお話しておきたいことがあるんですけど、いいかしら?」
「はい。もちろんです」
「いえね、お給料のことなんですけど。私たち親の希望としては、週に一回、二時間程度でお願いできたらと思っているんです。それでね、これくらいでどうかと思うんですけど」
友恵は私の目の前にそっとメモを置いた。
そこに書かれた金額を覗き込んだ私は、相談しようと隣に座る美和を見た。
「まど香がいいと思うのなら、それで構わないと思うよ。相場もそれくらいみたいだし」
「そうなの?」
「うん。私の彼はそれくらいでやってるらしい」
「そうなんだ。……それなら、これでよろしくお願いいたします」
「では、これで決まりということで。あとの細かいことは、息子が帰ってきたら、本人と相談して決めていただけるかしら?」
「はい」
私が頷いたのを見てから、友恵はにこりと笑った。
「二人とも少し待っていてね。今、ケーキを持ってくるわ」
「あの、お構いなく」
遠慮する私に美和はにっと笑う。
「友恵叔母さんはね、おもてなしするのが好きなのよ。そうよね?」
「そうなの。だから遠慮しないで下さいね。この前美和ちゃんが教えてくれたケーキ屋さんで、ショートケーキを買って来たのよ」
「あのお店の?わぁ、嬉しい!」
美和が喜びの声を上げた時だった。廊下の方から急ぐような足音がぱたぱたと聞こえてきた。だんだんとこの部屋に近づいてくる。
私は居住まいを正した。