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『——間に合わなかった、か』
不意に聞こえた声に驚き、周囲を見渡す。
こんな典型的な犯罪現場、誰かに見られでもしたら言い訳なんか絶対に出来やしない。早く、すぐにでも姉の犯行だけでも隠して、せめて自殺として済ませてあげたいのに!と心ばかり焦るが、既に部屋の中には人が居て、その人は何故かふわりと宙に浮いていた。
『此処に優秀な人材が居るって情報を元にスカウトしに来たんだけど…… どうもそれどころじゃないみたいだね』
キラキラと、小さくとも眩い星でもまとったみたいに光っている男性が居る。服装はアニメやゲームの登場人物みたいな格好なのに、着古した感があるからかコスプレっぽさは微塵も無い。浮いているせいか現実味もなく、驚き過ぎて絶句してしまっている私の口からは返事すらでなかった。
血溜まりを避け、その人はスタッと軽やかに床に舞い降りる。そしてキョロキョロと周りを見ると、少年っぽさのある彼は状況を把握したのか、『…… なるほど、ね』とぽつり呟いた。
『この状況を無かった事にしてあげると言ったら、君はボクのお願いを聞いてくれるかい?』
『…… え?』
『思うに、この年配の男が金銭絡みとかで何かやらかして、その結果この女性が自害したって所だろう?そっちの男が自殺じゃ無いのは明らかだから、きっと自害した女性が状況を変えようとした結果、殺しちゃったんだろうけど…… 』とまで言って男は一呼吸置き、鋭い目つきをこちらに向けた。
『殺人って、どこの世界だろうが大罪だよね?』
無言のまま素直に頷く。事実を他者から突き付けられ、じわじわとこの状況をちゃんと頭が理解し始めたせいか指先は酷く冷たくなっていき、寒くもないのに体がガタガタと震えてしまう。
『君は、この女性の親族?それとも友人かな』
『妹、です…… 。血の繋がりは、半分だけ、だけど』
『そうか。じゃあ、そっちは?』
目の前に転がる遺体を指差し、そう訊かれた。こんな奴、意地でも“父さん”だとはもう言いたくない。ずっと父を名前で呼んでいた姉の気持ちが今更わかった。
『…… 生物学的な父親ってやつ、です』
口元に手を当て、男性は何か考えるみたいな顔をしながら『なるほどねぇ』と言い、二、三度頷いた。
『じゃあさ、こんなトラブルのあった世界から逃げ出せるとしたら、君ならどうする?』
『…… ?』
『姉が父を殺し、そして自害した。その現場に居合わせた妹となると、この先世間の噂の的になるのは間違い無いだろうねぇ。…… 平穏に生きていくのは無理なんじゃないかな』
『——っ!…… 』
(確かに…… そう、だ)
好奇の目に晒されて、自分だって今までと同じ生活には戻れないのか。
この事で姉を恨みはしないが、どうしたって望まない現実に直面する事だけは避けられそうにない。父が消えても、まだ継母は健在だ。この状況に居合わせたというだけで私を責めて、金の無心につなげてくる可能性だってある。何処か遠くへ逃げるにしたって、今の様なネット社会では逃亡生活にだって限界がありそうだ。
『君の全てとお姉さんの全てを代償として差し出すなら、此処とは掛け離れた全然違う世界へ逃してあげるよ』
随分と、現実味も突拍子も無い話だ。あり得ない。それって、まさか異世界への移住話って事?
いやいや、とかぶりを振ったが、彼がダンスのお誘いでもするみたいにこちらへ手を差し出してくるもんだから、私は無意識にその手を取ってしまった。もうどうでもいい、何もかも捨ててやり直せるなら何にだって縋りたい。そんな気持ちが彼の手を取った要因だと思う。
『ねぇ、その代償ってやつを払ったら、姉を助けたりは、出来ないの?』
『もう息絶えた後だからね、それは無理だ』と少年は言い、首を横に振る。とても残念そうな表情だから、きっと彼は元々姉の方に声を掛けたかったのだろう。
『…… そう、ですか』
『でも、そうだな。逃亡を今すぐに決断してくれるのなら、お姉さんの魂と君の魂を繋げてあげるよ。いずれ君も死んで、生まれ変わった時には必ずまた、君のお姉さんと一緒に生まれて来られる様にさ。双子か、また姉妹かまではわからないけどね』
『本当、に?絶対?』
『あぁ。ボクは君達のスカウトに来たんだから、二人とも連れて行きたいんだ』
『…… 最初から、私も?』
『もちろん!お互いを高め合っている姉妹だなんて、是非とも欲しい人材だ。お姉さんは弁護が出来るくらいなら頭脳明晰でリベートも得意だっただろうし、君も君で“薬剤師”ならば貴重な薬師の適正がバッチリだ。いち早く復興を成し遂げる為にも、是非欲しい。…… 欲しかったな、どっちも』と言って、残念そうに姉の方へ視線を落とす。あと少し、もう数分でも早く来られていたらという後悔が彼の瞳に浮かんだ。
『——そうだ!ねぇねぇ、このままボクと来てくれるなら、オマケとしてさ、この惨事の痕跡を消し去ってあげるよ。君の、君達の人生が、この世界では無かった事にするのまでは生憎代償不足で無理だけどさ』
にっと笑い、『どうする?』だなんて訊いてくる。もう、一分一秒だってこんな場所には居たくはない。
(今世ではもう無理でも、いつか絶対に最推しの姉とまた再会出来るのなら、この世界への未練なんか捨て去ってみせるわ)
『もちろん、行くに決まってる!』
『よし、決まったね』
彼がそう言ったのと同時に、血に染まった部屋の中にアニメとかで観たような巨大な魔法陣が出現した。続々と部屋の中に置かれていた物が全てその魔法陣の中へ消えていく。天井や壁に飛んだ血まで消滅し、まるで引っ越し前みたいに綺麗になった。
『異世界への移動魔法の発動条件は酷過ぎて、いっそ笑える程に燃費が悪いんだ。だから君とお姉さんに関わる全ての物を代償として頂くね。此処以外にある物も全てとなるから、神隠しにでもあったみたいな感じになるけど、別にいいよね?』
『…… 今更、言うんですか?』
呆れた顔を向けたが、彼は黙ったまま笑うばかりだ。
『そっちの遺体は時空の歪みにでも捨てておくから、君のお姉さんが殺人を犯した事は完璧に隠蔽出来るよ』
父の話なのに他人事みたいに聞こえる。私達姉妹の“今”を全てを壊したあんな奴なんかどうでもいい、どうとでもしてくれ。
『ありがとう、ございます』
『——じゃあ、飛ぶね。【オアーゼ】での新しき人生に、幸多き事を願って!』
「——おやぁ、今日は早いのねぇ」
「あぁ、おはようございますー」
ソワレの町の隅にある神殿の敷地内にある墓地を歩いていると、掃除をしている一人の神官に声を掛けられた。毎朝会う人なのですっかり顔見知りだ。二、三言葉を交わした後、持参した花束を抱いて墓地の中を進んで行く。
異世界へ移住して来て私が真っ先に手をつけたのは、移住者達の為の教育を受けるとかではなく、姉のお墓を作る事だった。お墓の中には姉の遺体がそのまま埋葬されている。異世界からスカウトに来た彼が姉の遺体が腐らないようにと魔法を施してくれたのだ。私にしか中を目視出来ない特殊なガラスケースに入っていて、花に囲まれた姉はまるで童話の白雪姫みたいに美しい。墓標などはなく、ただ今の私の名前がこのお墓の隅っこに管理責任者名として刻まれている。
「姉さん、おはようー」
雨が降ろうが、嵐になろうが、最悪泥が空から降ってこようが汚れない様に魔法加工されたガラスのケースは今日も綺麗だ。その上に花束を乗せて朝の挨拶をした。
私達をスカウトしに来た魔法使いの彼は、異世界への転移魔法を発動する時に使った代償の余りを利用して、まるでゲームの導入部みたいに自分を好きにデザインさせてくれた。簡単な付与魔法を使える様にしてくれたり、薬剤師であったことから適正の高い薬師のスキルを与えてくれたり、大好きだったアニメや漫画などの知識を全て自在に扱える様に頭の中に叩き込んでくれたり、この先名乗る名前を自由に選ばせてくれたりまでしてくれた。
「…… 今日も、一日頑張ってくるね。——あんず姉さん」
私が自分の名前を捨てて姉の名前を名乗ろうが、私は、どうやったって“私”にしかなれない。だけど…… 名前だけでもいい、姉さんにもこの世界で生きていって欲しいから、私は今日もまた、『“あんず”です』と名乗って生きていくのだ。
【幕間の物語③『私が移住を決めた理由』・終わり】