テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
🐸『カエルが運ぶ恋』
第四話「心の距離」
静かなスタンドに、鋭いストレートがミットに吸い込まれる音だけが響いた。
「小郷――見逃し三振!これで5試合連続の無安打。
昨年の首位打者が、信じられない不振です。打率もついに、2割を切りました……」
りなはテレビの前で、息をのんだ。
ボールを見送ったまま、打席を後にする小郷の背中。
その肩が、いつもより小さく見えた。
「小郷さん……」
ソファの下に置かれた水槽の中、キューがひと声つぶやく。
「精神が限界を迎えてるな。心の迷いが、バットを振らせなくしてる」
「何か……できるかな、私に」
「そばにいてやるだけで、十分なときもある」
けれど、りなにはそれすら遠い気がしていた。
会える理由も、声をかけるきっかけもないまま、日々だけが過ぎていく――。
試合後の球場。
静まり返ったロッカールームに、小郷の足音が響く。
ユニフォームの襟を緩め、タオルで顔をぬぐったとき、チームスタッフが声をかけた。
「小郷さん、監督室へお願いします」
「……はい」
どこか予感があった。試合前からずっと、首脳陣の視線が気になっていた。
監督室のドアをノックし、入ると、監督は資料に目を落としたまま、短く言った。
「しばらく、ファームに行ってリフレッシュしてこい」
その言葉は、想像していたよりも静かで、重かった。
「……はい、わかりました」
「環境変えて、もう一度上がってこい」
小郷は深く頭を下げた。
言い訳も、反論もなかった。ただ、悔しさと自責が胸の奥でうずいていた。
ロッカールームに戻ると、誰もいなかった。
静寂の中で、ユニフォームの襟を握りしめる。
誰にも見せたくなかった。
栄光のあとに来る、孤独と挫折の重さを。
夜。
柴犬のハチが、小郷の隣にちょこんと座っている。
何も言わず、ただ小郷の手の甲に鼻先を寄せた。
「……お前は、何も言わないな」
(でも、ちゃんとわかってるんだろ)
そう言ったような気がして、小郷は小さく笑った。
「俺、落ちたよ。あの場所から」
ハチは何も言わず、そのまま膝の上に体を預けた。
しばらくして、小郷はスマホを手に取った。
スクリーンに表示された名前――村上りな。
数秒、指が迷っていたが、結局メッセージアプリを開き、言葉を打ち始める。
《ご無沙汰してます。しばらく、ファームに行くことになりました。
……正直、きついです。
でも、もしよかったら、また少しだけ話、聞いてもらえませんか》
送信を押す直前、ハチが小さく「ワン」と鳴いた。
「……いいよな?」
スマホの画面に、メッセージが送信された。
その夜、りなはスマホに届いた通知に気づき、震える指で開いた。
画面に表示されたメッセージの文字を、何度も読み返した。
目の奥がじんわりと熱くなる。
「うん……うん、もちろん」
その言葉は、すぐに画面に打たれた。
それは、“心の距離”が少しだけ近づいた夜だった。