テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#心霊
#地下アイドル
#ブラックコメディー
#探偵
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
妹の足音に、体温がない。
毎朝七時、狂いのない足音が廊下を近づいてくる。厚い絨毯を踏んでいるのに、湿った感じがまるでない。歩幅も歩数も、昨日とまったく同じ「十七歩」だと、翼は気づいてしまった。
ドアが開く。時計を見なくても、七時ちょうどだとわかる。この数ヶ月、妹は一秒も遅れたことがない。
「おはようございます、お兄様。お薬のお時間です」
糊のきいた白いエプロンに黒いドレス。数年前、屋敷を襲った一族の抗争で翼が両足を失ったあの夜から、彼女の姿は少しも変わっていない。最愛の妹、美月だ。
車椅子の上から見上げる翼の背筋を、冷たい汗が伝う。
「今日はアールグレイにしました。心臓に障らないよう、早めに葉を引き上げています」
美月は音もなく車椅子の横にワゴンを寄せ、磁器のカップを置いた。すべてが整いすぎていて、逆に落ち着かない。
「……ありがとう、美月」
かすれた声で答えると、伸ばした指が小さく震えた。美月は気にする様子もなく、いつもの穏やかな笑みを浮かべるだけだ。
ふと、トレーを持つ彼女の指先が目に留まる。爪の生え際から、透明な液体がにじんでいた。昨日も同じ場所から同じ量だけにじんでいたのを、翼は覚えている。
それに、ここ数日、美月の返事にはわずかな間がある。話しかけてから答えるまで、コンマ数秒、何かを待つような沈黙だ。
「美月、体調は悪くないかい? 指先が冷たいようだけど」
「いいえ、お兄様。何も」
美月はかすかに首を傾げた。瞳は澄んでいるが、瞬きの間隔が一定すぎる。
「私は、お兄様のお側におります。ただそれだけで満ち足りています。お兄様をお守りすること。私の身体は、そのためだけに存在しているのですから」
美しく、淀みのない言葉。翼の胸に、鈍い罪悪感が刺さる。
あの惨劇の夜、瀕死だった美月は、天城家の地下にある技術――クローンという「容れ物」に、自らの意思で移ることを選んだ。培養された身体に、記憶と人格を転写した複製だった。
「俺はこの椅子に縛られ、君は俺のために用意された身体で、ここにいる。それは本当に、君が望んだことなのか?」
「お兄様、どうかお気になさらず。私は自分でこの身体を選びました。お兄様の隣にいること、それが今の私のすべてですから」
迷いのない微笑み。それが薬と神経調整によって固定された「幸福」だと知っているからこそ、翼はさらに深く沈み込んだ。
その夜は激しい豪雨だった。雨が窓を叩き、遠くで雷が鳴っていた。
「外の警備網が切断されました。すべての回路が沈黙しています」
薄暗い広間で、美月は淡々と告げた。その肩に、恐怖の色はまるでない。非常灯の赤い光だけが彼女の瞳に映っていた。
「お兄様はここでお待ちください。すぐに片付けてまいります」
美月は一礼し、闇の中へ消えていった。翼は自分の膝を握りしめ、暗闇を見つめるほかなかった。
長い回廊の奥、暗視ゴーグルをつけた武装した男たちが押し入ってくる。その前に、美月はエプロン一枚のまま、盾も持たずに立っていた。
「ここから先には、通せません」
「ただの人形だ。片付けろ」
銃声が回廊に響いた。美月は弾丸を避けながら踏み込み、袖口から薄い刃を滑らせる。だが今夜の相手は、これまでとは違った。組織立った銃撃が、確実に彼女を捉えていく。
肉の弾ける音がした。ドレスが裂け、血が壁に飛び散る。それでも美月は止まらず、先頭の男の喉を切り裂いた。
弾丸が次々と彼女の身体を貫く。右腕の関節が砕け、力なく垂れ下がった。それでも彼女は左手だけで、残った男たちを一人ずつ倒していった。