「大人になってから考えれば──例えそれが本当だったとしても、二年も経ってから言うようなことじゃないと思うんだけどね」
「まったくだよ」
優斗の同意に、賢人さんも苦笑しか返せない。
「それでも武兄さんが小学校を卒業するまでは表面上、結婚生活を続けたんだよ。……でもそれまでだ。前の奥さんはそりゃもう三科家を罵倒して出て行ったらしい。それが、僕と母さんが迎え入れられる直前の出来事だよ」
話が終わったあと、俺と優斗の口をついたのは長い長いため息だった。
そりゃ居心地が悪いはずだ。俺がもしその立場だったとしたら、申し訳なさで肩身が狭いどころの話じゃない。
もっともうちの母さんは思ったことをそのまま口に出す人だから、そんな扱いをされたら間違いなくその場でキレるだろうけど。
賢人さんのお母さんとしては、三科家の目の届く範囲に暮らしたくはないはずだ。それでも大おじさんのことが好きだから、籍だけは入れたんだろう。──そのあたりのことは、俺にはまだむずかしい。
「さ、無駄話で長居させてしまったね。必要な本はあらかたピックアップしたから、そろそろ本家に戻ろう。あんまりダラダラやると、問答無用で蹴り出されるらしいからね」
ウインクした賢人さんの言葉に、苦笑だけ返して車に乗り込む。雨は激しくはないものの降り続き、白く煙った山肌にはいくつもの川が生まれていた。
さすがに腹が減って疲れた俺は、戻ったらこっそりなにか食べようと、この時まで思っていたんだけど──。
三科家についた俺たちを出迎えたのは、険悪な雰囲気で向き合っている武さんと孝太さんの姿だった。
殺意すら持っていそうな孝太さんの視線を、武さんが素知らぬ顔で無視している。それぞれの背後には、まるで各自を援護するように三姉妹の姿があった。
楓さんと葵さんは勝ち誇った顔で、武さんの後ろに。桜さんは武さんの顔色を見ながら、不安そうに孝太さんの後ろに立つ。
桜さんが孝太さん側に立っているのが、なんだか不思議な気がした。
「おじさんが亡くなったからといって勝手に当主を名乗るとは、傍若無人もいいかげんにしろ武。正当な血筋だと言い張るつもりだろうが、お前は我々の中で最年少だ。その上しきたりを軽んじて座敷わらしを呼び、母さんたちを殺した張本人らしいな。そんな人間に、三科家の当主は任せられん。ここは一族全員の総意を聞くことで──」
「俺たちが食事をとったから父さんたちが死んだなんて、発想の飛躍だよ孝太くん。そこに関しては、図々しくうちに転がり込んだ専門家──ああ、ちょうど帰ってきたそいつに調査を命じてる。俺は当主として、できる限り家族を守るための行動をとった。それよりも悲しいもんだなぁ。長年慕ってきた年長の従兄(いとこ)殿(どの)が、いざこういう事態になった途端、自分の方が当主にふさわしいとばかりに物申し始めるとは。頭が良くて尊敬すべき従兄だと思っていたのに残念だ。こんなところで人間性の卑しさを感じてしまうとはね」
昨日の昼食時とはまるで雰囲気が違った。
いや、近いものは確かにあった。大おじさんが優斗を跡取りだと言ったとき、この二人は俺でも感じ取れるくらいはっきりと不愉快さを表に出していたんだから。あの時点で俺は、この家の跡取り問題のデリケートさをなんとなく察したくらいだ。
ただそれがたった一晩で、ここまで荒々しいものになるとは思っていなかったんだ。
玄関ホールを抜けたきり、身動きもできず立ちすくむ俺と優斗を気遣い、賢人さんが少し声を張った。
「跡取り問題についてはどうぞお二人で、心ゆくまで議論してください。ただしこちらの調査が終わるまで、水、お湯以外のものは口にしないでくださいね」
それだけ言い置くと、賢人さんは俺たちの背中を突っつくようにして離れへと急がせた。親族同士がいがみ合ってる姿なんて、あまり俺たちに見せるべきじゃないと思ったのかもしれない。なにより俺は部外者だし、身内の恥を人目に晒したくないんだろう。
離れに戻ったときには、大輔さんと茜さんが家の中の整理をしている最中だった。どうやら物置同然にしていた部屋を片付けて、賢人さんの部屋を作っているらしい。
普段は使いにくさを理由に開けていなかったのだと笑いながら、屋根裏収納に梯子をかけて荷物を運ぶ姿に、俺たちも慌てて手伝いを申し出た。
大輔さんは落ち着いたように見える。二人きりにした甲斐が少しはあったんだろうか。
「調べ物をするなら、一応机があったほうがいいだろう。折りたたみ式のテーブルですまないが、よければ使ってやってくれ。あと、他になにか必要なものがあれば──」
「いえ、充分ですよ大輔さん。置いてもらえるだけでもありがたいのに、まさか一部屋使わせてもらえるなんて……。本を開いたまま並べて読むクセがあるんで、広いスペースを使えるのがなにより嬉しいです」
「それならよかった。くれぐれも遠慮だけはしないでくれよ? 武たちがなにを言ったとしても、僕らは家族なんだからね」
この言葉に、賢人さんはとても嬉しそうな顔をした。この二人は家庭内の立場が弱い者同士という点で、意気投合している部分があったのかもしれない。
そんなとき、俺の腹からものすごい音が響き渡った。
──この恥ずかしさを、どう表現したらいいだろう。
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