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我儘を言います
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短い冬休みが終わり、3学期が始まった。
始業式が行われたのが金曜日だったので、また訪れる休みに有一郎も無一郎もご機嫌で帰宅した。
いつも通り家族5人で夕食をとり、いつも通りリビングで家族団欒し、いつも通り入浴を済ませ、いつも通り自室へ戻る。
弟たちがそれぞれの部屋に戻った後、自分も入浴を終えた苺歌は、一旦自室に行き、書類の入ったクリアファイルを持って両親のいるリビ ングへと向かった。
『お父さん、お母さん 』
「あら、苺歌」
「どうした?」
『ちょっとお話したいことがあるの』
改まった態度の娘に、両親は顔を見合わせ、点けていたテレビを消した。
『…今から我儘を言います』
「おっ?おお、いいよ」
「何の我儘かしら?」
我儘宣言に戸惑いつつ、2人は苺歌にも座るよう促した。
『…あのね、私、専門学校に行きたくて』
「「えっ?」」
高校を卒業してすぐにアルバイトを始めた娘。そんな彼女が突然、学校へ行きたいと言い始めた。
『保育士はこの前、試験を受けて合格したの。…それとは別で、調理師と栄養士の免許を取りたくて。ここの学校なら、“ダブルライセンス”のシステムで、頑張れば3年でその2つの免許が取れるらしいの』
自分たちの知らぬ間に、保育士の勉強をして試験を受け、資格を取っていた彼女。
「……随分急だね…」
「もしかして、ひとりで考えて進めてたの?」
『ごめんなさい。保育士の試験を受けたのは“良い子苺歌”の時だったの。年末年始は忙しかったし、学校を調べててつい最近、ここを見つけて行きたいと思ったから……』
高校受験も学費のかからない公立高校を志望し、常に成績トップだった苺歌。学校のことに関して、心配したことや問題を起こしたことなんて一度もなかった。
『これ、専門学校の資料ね』
「うん、見せて」
苺歌がクリアファイルから取り出した資料を両親に手渡す。
「……あ、ここ、産屋敷学園が管理してる学校なのね」
『うん。短大と4年大は元々あるけど、5年くらい前から専門学校も立ち上げたらしいの。就職率も100%だし、実習先も充実していて講師の先生たちも有名なシェフとかで信頼できるよ』
資料に目を通し、両親が顔を上げる。
「反対するつもりは1ミリもないよ。苺歌が我儘を言ってくれて本当に嬉しい」
「お母さんもそう思うわ。ただ、どうしてこの資格を取ろうと思ったの?どんな所で働きたいと考えてるか教えてちょうだい」
賛成してくれている両親に、苺歌は安心したように微笑んで口を開いた。
『ありがとう。…私ね、児童養護施設で働きたいって前々から思ってたの』
「苺歌が以前いた…?」
『うん。親戚の家にいた時は、子どもながらにどうやったら楽に死ねるのか考えるくらい生きるのがつらくて。でも児童相談所の人に保護されて施設に入って生活が一変した。栄養のある食事に、あったかくて優しい先生たち、似たような事情でそこにいる子どもたちに囲まれて、生きるのはこんなにも楽しいんだって思えたの』
苺歌の話を両親は真剣な表情で聞いている。
『それでね、私もこんな仕事がしたいって思ったんだ。だから保育士も取った。あと料理が好きだからそれも仕事にできたらなって。調理師に加えて栄養士の資格も取れたら強みになるかなって思ったの。人の温もりを必要としている子どもたちに、愛情たっぷりのごはんを食べさせてあげたいし、たくさん抱き締めてあげたい』
元々涙脆い母が、この時も目を潤ませる。
『それとね、ゆくゆくは里親支援も仕事にしたいって思ってるの』
「「里親支援?」」
両親が声を揃えて聞き返す。
『うん。あの日…お父さんとお母さんが施設に来て、私を家族に迎えたいって言ってくれて本当に嬉しかったの。初対面だったけど“この人たちについて行けば今よりもっと幸せになれるんだ”って直感的に思ったの。それを信じて正解だった』
懐かしむように笑みを浮かべる苺歌。
『だからね、お父さんとお母さんみたいに身寄りのない子どもを引き取りたいって言ってくれる親御さんと、自分だけの家族が欲しいと思ってる子どもたちの橋渡しができたらと思って。…それは私が今、時透家で暮らしていてすごく幸せだからだよ』
「…苺歌……」
堪らず母が苺歌を抱き締める。苺歌も嬉しそうに母の身体に腕をまわした。
父も穏やかに微笑んで、娘の頭をそっと撫でる。
「君の気持ちはよく分かったよ。そこまで将来のビジョンが決定しているなら、僕たちが口を挟む権利なんてないね。苺歌の好きにするといいよ」
「ええ。応援してるわ、苺歌」
小さく鼻を啜りながら笑顔で頷く母。
『ありがとう。お母さん、お父さん。……それとね、またもう1個我儘なんだけどね……』
苺歌は再び真剣な顔になって口を開いた。
一方その頃。
翌日と翌々日は学校が休みなので、すぐには就寝せず、無一郎は有一郎の部屋で一緒に漫画を読んでいた。
「ね、兄さん。なんかちょっと小腹が空かない?」
「そうだな。何かつまむか?…そういえば、お姉ちゃんがバイト先からもらってきた余りのクッキーがあったよな」
「うん!それ食べよう。僕持ってくるよ」
「じゃ、よろしく 」
普段は夕食の後また何か食べることは殆どないのだけれど、明日は休みだしいいだろう。
「無一郎。俺、牛乳も飲みたい。あったかいやつ 」
「いいね。僕も飲もうかな。それも一緒持ってくるね」
「うん」
無一郎が1階に下り、ダイニングキッチンへと向かう。
…あれ?父さんと母さんと…お姉ちゃん?
隣接するリビングで何やら話をしている両親と姉。
「苺歌の好きなようにしなさい。父さんと母さんはいつでも苺歌の味方だからね」
「ええ、あなたがこの家を出て行くのは寂しいけど……。夢を叶える為だもの。頑張ってね」
『うん、ありがとう!』
出て行く?お姉ちゃんが?時透家からいなくなるってこと…??
涙が勢いよく瞼の淵に溜まって、無一郎はおやつを取りに来たのも忘れて有一郎の部屋に駆けて行った。
バタン!
「随分早かったな。…あれ?クッキーは?…って無一郎?」
「…うっ…にいさん……っ!」
手ぶらで戻ってきた弟がその場に泣き崩れる。
「ちょっ…どうしたんだよ!?」
「おねえちゃんがっ…お姉ちゃんが……!」
しゃくりあげながら号泣する弟に困惑する有一郎。
とりあえずティッシュを差し出す。
「…っ…お姉ちゃん、…この、家を…っ…出て行くって……!」
「えっ!?」
我が耳を疑う有一郎。
「…そんな…何かの聞き間違いだろ?」
「はっきり聞いた、もん…!…ひっく……父さんと母さん…と、おねっ…お姉ちゃんが話してたんだもんっ…!」
有一郎はその場に弟を残し、自分も階下に下りた。
耳を澄ますと、確かにリビングから3人の声が聞こえてくる。
「…このアパートならオートロックだし安心だな。インターホンも顔が見えるタイプだし」
『うん、築年数も少ないし、内装も綺麗でしょ?お部屋も広いからのびのびできそう』
「ほんとね!駅から近いのもいいわね!」
楽しそうに話す両親と姉。
アパートや部屋や駅から近いという話。やっぱり無一郎の聞き間違いではないようだ。
有一郎は今まで感じたことのない寂しさと悲しみに、身体を震わせながら自室に戻った。
まだ泣いている無一郎を見て、自分も涙が込み上げる。
お姉ちゃん……。
涙の雫がぽたぽたと、床に水玉模様を描いていく。
無一郎はカーペットに突っ伏して泣いている。
有一郎は姉がくれたシルクのパジャマの袖で口元を抑え、泣き声が漏れないように必死に努めた。
つづく