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木風
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#サレ妻
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赤井 里会
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ゆうき
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火曜の朝、玄関のコート掛けが一つ空いていた。
悠人の冬のコートが、ない。先週まであった、黒いウールのコート。
私は靴を脱いで、家の中を順に見た。寝室のクローゼットから、厚手のセーターが二枚。洗面所から、髭剃りの替え刃。仕事部屋の引き出しから、通帳と印鑑のケース。
留守のあいだに、悠人が来た。合鍵で入って、要るものを持って、出た。
玄関の結婚写真が、伏せてあった。
壁にかけてあるものではなく、靴箱の上に立ててあるほうの写真。五年前の、私と悠人。それが裏返しに、靴箱の上に寝かせてある。
私は、立て直さなかった。
伏せた人が、次に来たとき、伏せたままになっているのを見ればいい。立て直せば、私が見たことが分かる。見たことを、まだ分からせる必要はなかった。
台所で、共有口座のアプリを開いた。
結婚したとき、生活費と貯金の口座を一つにした。悠人の給料の一部と私の給料の一部が、毎月そこに入る。通帳は仕事部屋の引き出しにあって、アプリは私のスマホに入っている。
一番上の行。
『11/24 出金 ¥800,000』
今朝の九時四分。私が家を出たあと、悠人が入って、出ていくまでのあいだ。
八十万円。
私はその数字を、三回読んだ。
八十万円は、ひなのの見積もりの、中間金の額だった。申込金が十万、中間金が八十万、残りは当日のあと。中間金の期日は、今週の水曜。
相田が言った『別の形』は、これだと思った。
私は画面を撮って、封筒に入れるために企画室へ持っていくことにした。火曜は休みだった。休みの日に式場へ行くのは、二度目だった。
企画室で、封筒の中身を机に出した。
申込書の写し。見学予約確認書。写真二百十三枚のうち、印をつけた四十二枚の一覧。十九時十二分の写真が二枚。マンスリーの住所。提案書の本体。指輪。
そこに、出金の画面の印刷を足した。
一つずつ、日付の順に並べ直す。十月二十日。十月十四日。十一月六日。十一月十三日。十一月十六日。十一月十七日。十一月二十四日。
並べてみると、封筒の中身は、全部、夫とひなのが自分で持ってきたものだった。私が作ったものは、一つもない。私がしたのは、拾って、日付をつけて、並べることだけだ。
一ノ瀬の条件と、同じだった。依頼者が持ち込んだものだけで、作る。
扉がノックされた。
「今日も休みのはずだが」
一ノ瀬は、入ってこなかった。扉の外から言った。
「休みです」
「休みの日に二度来た。三度目からは、出勤扱いにする。若林に言っておく」
足音が、階段を上がっていった。
私は封筒を引き出しに戻し、鍵をかけた。
◇
水曜の朝、ひなのからメッセージが来た。
『招待状の文面、考えました! これで印刷お願いします♡』
『高梨悠人さんの新しい人生のスタートを祝う会
十二月十二日(土)十七時半開場
ミモザガーデン
ドレスコードは、白いものを一つ
幹事:桐谷ひなの』
『会社の人にはサプライズだから、「祝う会」ってだけで。何を祝うかは当日のお楽しみ♡』
私は文面を、印刷の形に整えた。字の大きさと、行の間隔と、紙の色。言葉は、一字も変えなかった。
『新しい人生のスタート』。
ひなのが書いた言葉だった。夫の同僚たちは、この言葉を読んで、何を想像するのだろう。昇進か、転職か、ピッチの勝利か。想像したことを、当日まで持ってくる。
整えた文面を、柴田に送った。『会社の方へのご案内は、こちらの文面で印刷し、柴田様宛てにお送りします。お配りをお願いします』。
三十分で返事が来た。
『了解です! 印刷ありがとうございます!
あと一点、すみません。部長が「高梨の奥さんは来るのか?」って聞いてて……。下見で会ったから、奥さんも来るもんだと思ってるみたいで。どう答えればいいですか?』
私は、少しのあいだ画面を見た。
部長は、紗英、という名前を知らない。下見で会ったのは、チーフプランナーの佐倉で、高梨くんの奥さんだ。その二つが同じ人だと知っている。知っているから、聞いている。
『桐谷様にお聞きして、お返事します』
送った。
これは、私が決めることではない。依頼者が決めることだった。
◇
昼過ぎ、経理の女性が企画室の扉をノックした。
「佐倉さん、桐谷様の中間金、入りました。控え、担当のファイルに入れますね」
「ありがとう。見せて」
私は控えを受け取った。
『桐谷ひなの様 中間金 ¥800,000 11/25』
振込人の名義は、桐谷ひなの。
私は机の上に、二枚を並べた。
左に、共有口座のアプリの画面を印刷したもの。『11/24 出金 ¥800,000』。
右に、中間金の控え。『11/25 入金 ¥800,000』。
一日。八十万円が、私と悠人の貯金から出て、ひなのの手を通って、私の式場に入った。私の式場は、私の夫の金で、私の夫のプロポーズの支度をする。
私はそれを、机の上で、もう一度並べ直した。日付の順に。左から右へ。
扉がノックされて、美咲が入ってきた。
「チーフ、招待状の紙、見本来ました。白と、生成りと」
美咲は紙の見本を持ったまま、机の上の二枚を見た。
見て、紙の見本を胸に抱えたまま、動かなくなった。
「……チーフ」
美咲は紙の見本を、机の端に置いた。白と、生成り。置いた手が、机の上の控えの、八十万円の数字のすぐ横にあった。
「これ、桐谷さんの中間金ですよね」
「そう」
「こっちは」
「私の家の口座」
美咲は、二枚を交互に見た。見るたびに、口が少し開いた。
「同じ額ね」
私は言った。
コメント
1件
うわ……八十万円、同じ額が一日ずれて出たり入ったりしてるの、ゾッとするというか、もう言葉にならないですね……。悠人がコートだけじゃなくて通帳まで持って、しかもそのお金でひなのの中間金が払われてる構造が、本当に息苦しいです。佐倉さんが写真や書類を並べ直すシーン、すごく静かなのに緊張感がびりびり来ました。美咲さんが途中で動き止まるのも、読んでるこっちまで息止まりました……。🥀