テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
木風
791
#サレ妻
都築七美
1,141
赤井 里会
1,613
ゆうき
73
木曜の朝、企画室の扉を開けると、美咲が先に中にいた。
鍵は私しか持っていない。美咲は廊下で待っていて、私が鍵を開けたあと、黙ってついてきた。ついてきた足音に、私は気づいていた。
「チーフ」
美咲は机の前に立って、座らなかった。
「あの申込書の人。プロポーズされる人。チーフの旦那さんですよね」
私は鞄を置いた。
「指輪、ないし。先週から。下見の日、『客が私の夫だから』って言ったのに、同じ人の写真が申込書に貼ってあるし。中間金と同じ額が、チーフの家の口座から出てるし」
美咲は、一晩考えてきた顔をしていた。考えてきたことを、順番どおりに言った。
「それから、十月二十日」
美咲は、見学の名簿を机に置いた。十月二十日の行に、自分の指を置く。
「私が案内した客。彼氏のほうが、スタッフの通路をずっと見てた人。あの人と、下見に来た旦那さんと、申込書の写真。全部、同じ人ですよね」
「そう」
私は言った。
美咲の指が、名簿の上で止まった。
「……そうなんですね」
「そう」
「こんなの、やめましょうよ」
美咲は、机に両手をついた。
「訴えればいいじゃないですか。証拠、あるんでしょう。弁護士に行って、全部出して、終わりにすればいい。式なんて、やらなくていい。誰かに引き継いで、チーフは休めばいい」
「訴えます」
「じゃあ」
「その前に、式を作ります」
美咲は、口を開けたまま、しばらく私を見た。
「……それ、復讐ですよね」
「仕事です」
「仕事って」
「依頼者が望んだ式を、望んだとおりに作る。一文字も足さず、一文字も引かずに。それが私の仕事で、それを十年やってきた」
私は椅子に座った。座ってから、美咲を見上げた。
「復讐も、段取りが要るの。段取りは、仕事でしか覚えなかった」
美咲は、名簿の上の自分の指を見た。指を、名簿から離した。
「……手伝います」
「頼んでない」
「頼まれてなくても。私、あの人の顔、覚えてます。『妻は今日休みなんだ』って、笑った顔。あのとき気持ち悪いと思ったのに、何もしなかった。何もしなかった分、します」
美咲は、机の上の席次表の板を見た。赤いピンが二本。
「映像、私がやります。字幕のタイミングと、スクリーンの操作。当日、チーフは前にいなきゃいけないでしょう」
「どうして」
「担当だから。桐谷さんが、チーフ以外を認めないから」
私は、美咲を見た。この子は、言いたいことを先に言って、あとから「すみません」と言う。今日は、まだ言っていなかった。
「分かった。映像は美咲」
「はい」
「一つだけ。客に嘘をつかない。それは変えない」
「分かってます。嘘はつかない。全部あの人の言葉で作る」
美咲はそこで初めて「すみません」と言った。何に対してかは、聞かなかった。たぶん、黙ってついてきたことだった。
「それと、もう一つ」
美咲は扉の前で振り返った。
「桐谷さんが『地味な人』って言ったとき、チーフ、私の前に出ましたよね。あれ、かばったんじゃなくて、私が余計なこと言わないように止めたんだって、今なら分かります」
「両方」
「両方かあ」
美咲は、少しだけ笑って、出ていった。笑ったのは、申込書の話をしてから、初めてだった。
◇
昼、ラウンジに呼ばれた。
「本部の広報が、十二日の式を新ブランドの発表として撮る」
一ノ瀬は、紙を一枚、机の上で私のほうへ向けた。『新ブランド発表 取材対応』。
「報道が二社入る。業界紙と、ウェブの媒体。式の様子を撮り、翌週に記事にする。依頼者には、式場から説明しろ。断られたら、別の式で発表する」
「依頼者は、断りません」
「根拠は」
「映えますので」
一ノ瀬は、紙を見たまま言った。
「君も映る」
「構いません」
「司会が映る。映像が映る。客の顔が映る。全部、記事になる」
「構いません」
一ノ瀬は、顔を上げた。
「それが、君の式か」
「依頼者の式です。私は担当です」
一ノ瀬は紙を引っ込めなかった。私のほうに向けたまま、「若林に、段取りを出させる」と言った。
私は紙を受け取った。受け取って、部屋を出るとき、一ノ瀬が「佐倉」と呼んだ。
「はい」
「映るのが嫌になったら、言え。それだけは、契約書の外で聞く」
「……はい」
階段を下りながら、私は、契約書の外、という言葉を一度だけ繰り返した。繰り返してから、しまった。
◇
夕方、ひなのから電話が来た。
「佐倉さん、笑っちゃうんだけど」
ひなのは、最初から笑っていた。
「彼の会社の部長さんから、電話あったんです。柴田くんが私の番号渡したみたいで」
「大森部長から」
「そう。それでね、『奥さんが手配してるんですよね、さすがですね』って。奥さんが式場の人だから、奥さんが全部やってると思ってるの。笑っちゃう」
「……そうでしたか」
「奥さんは関係ないって言っといたけど。でもなんか、部長、ぽかんとしてた。『え、じゃあ誰が』って。幹事は私ですって言ったら、『ああ、お友達の』って。お友達。笑える」
私は手帳に書いた。部長、奥さんが手配、と思い込み。お友達。
「それで、佐倉さんからも、断っといてもらえます? 奥さん来ないって。式場から言ったほうが、部長さんも納得するだろうし」
「かしこまりました」
「奥さんが来たら、台無しだから」
「はい」
私は、手帳のページを一枚めくった。
「お伝えします。奥様はいらっしゃいません、と」
コメント
1件
美咲が「手伝います」って言ったところ、胸がぎゅっとなった。 佐倉さんは一人で戦ってるわけじゃないんだなって思えたのが、何より嬉しかった。 「二人ともだってことにしてくれる?」が、本当に刺さったよ。チーフも美咲に心開き始めてるんだね…泣ける。 一ノ瀬が「契約書の外で聞く」って言ったのも、誠実な人だなって思った。 重い空気の中に、確かなぬくもりがあって、すごく好きな回でした🤍