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冬の日の出来事
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1月の第4土曜日。
お姉ちゃんは専門学校の入学試験を受ける為、家を出た。試験は日曜日だし、早い時間の新幹線に乗れば当日でもよさそうだったけれど、道中何があるか分からないから、と前泊することにしたみたいだ。
「苺歌。気をつけて行ってらっしゃい。落ち着いて試験を受けるのよ」
『うん、ありがとう』
母さんが小さな子どもにするみたいに、お姉ちゃんのマフラーを優しく巻き直す。
「お姉ちゃん、頑張ってね」
『ありがとう。頑張ってくるね』
無一郎がぎゅっとハグをする。
「お姉ちゃん。…これあげる」
『?』
俺が手渡したものを見て、お姉ちゃんが嬉しそうに顔をほころばせた。
『…心願成就の御守……。嬉しい。ゆうくんありがとう』
「神様に頼らなくたってお姉ちゃんは実力でいけるって思ってるけどね。…でもあったらあったで安心するかなって」
『うん。すごく心強いよ。ありがとう、ゆうくん』
お姉ちゃんのほうから俺を抱き締めてくれた。首に巻いているマフラーがふわふわで気持ちいい。お姉ちゃんからは苺の香りがした。
「…じゃあ駅まで送ってくるよ。苺歌、行こう」
『うん』
小さめサイズのスーツケースと一緒に、お姉ちゃんが父さんの車に乗り込んだ。
「「「行ってらっしゃい」」」
『行ってきます』
俺たちは父さんの車が見えなくなるまで、ずっと手を振り続けていた。
数時間後。
「苺歌から写真が届いたわよ」
リビングにいる家族に母さんが携帯電話の画面を見せてきた。
送られてきたのは今夜お姉ちゃんが泊まるホテルのお部屋の写真だった。
思えば学校の修学旅行以外でお姉ちゃんが1人でどこかに宿泊するのは初めてだ。友達と旅行とかも行ったことなかったし。
家族で旅行した時に泊まるような広々としたホテルじゃない、1人用のビジネスホテルの部屋。
客室、洗面所、お風呂、トイレ。それぞれの部屋を写真に写して送ってきたお姉ちゃん。
「お風呂とトイレはユニットバスじゃないところを探して選んだって言ってたね」
「ええ。ちゃんと扉で仕切られてるんですって。引き出しやクローゼットの写真まで送ってきて…楽しいのね、苺歌」
両親が写真を見ながら微笑む。
「…さっき別れたばっかりなのに…もうお姉ちゃんに会いたくなっちゃった……」
無一郎が俺が思っていたことと全く同じ気持ちを口に出す。
「明日には帰ってくるんだから」
「そうよ。“お土産楽しみにしててね!”ってメッセージも届いたわ」
しょぼくれる弟を宥める両親。
俺も早くお姉ちゃんに会いたい。
次の日。
試験を終えたお姉ちゃんが夕方の新幹線で帰ってきた。
母さんが駅まで迎えに行って、2人で帰宅。
『ただいまー!』
「「お姉ちゃんおかえり!」」
無一郎と先を争うようにしてお姉ちゃんを出迎え、コートを纏ったその身体を抱き締める。
「苺歌、試験お疲れ様。どうだった?」
『うん、学科試験は全問解けたよ。合ってるかは別として。あとは面接でどんな印象持たれたかだね』
「そっか。頑張ったね」
父さんがお姉ちゃんの頭を優しく撫でた。
「苺歌、着替えてらっしゃい。スーツのままじゃ窮屈でしょ?」
『うん。早く脱ぎたかったの。着替えてくるね』
お姉ちゃんはスーツケースのタイヤにカバーを着けてその場を後にした。
俺たちがプレゼントした部屋着に着替えたお姉ちゃんが、スーツケースを開けて中身を取り出す。
『はい、これみんなにお土産!』
「ありがとう、苺歌」
「美味しそう!」
「可愛いね」
『お土産コーナーで試食させてもらったの。美味しかったから家族用とバイト先用に同じの買っちゃった』
「早速みんなでいただきましょ!」
夕飯前だったけれど、お姉ちゃんが買ってきたお土産のお菓子を1つずつみんなで食べる。
うん、ほんとに美味しい。
『あ、これはゆうくんとむいくんに。好きなほうを選んで』
「え!ありがとう!」
「あっ、これ…!」
俺たちが好きな漫画のキャラとコラボしたご当地ストラップだった。
2つともデザインが違っていたけれど、俺も無一郎もそれぞれ好きなデザインが被らなかったからよかった。
「お姉ちゃんありがとう!」
「早速ランドセルに着けてくね!」
俺たちの反応を見て、お姉ちゃんも嬉しそうに笑った。
2月の初め。
お姉ちゃんが受験した専門学校から結果通知が届いた。
晩ごはんを食べ終えてから、家族みんなで揃ってそれを見る。
まずはお姉ちゃんが自分で封を切り、通知書を取り出して結果を確認する。
そして。
『合格しました!』
花が咲いたように笑うお姉ちゃん。
「おめでとう苺歌!」
「頑張ったわね!」
「お姉ちゃんおめでとう! 」
「おめでとう!よかったね!」
4人でお姉ちゃんをぎゅっと抱き締める。
『応援してくれてありがとう!……じゃあ、本格的にお部屋探ししなくちゃね』
お姉ちゃんの言葉にハッとする。
そうだ。受かったってことは、お姉ちゃんは予定通りこの家を出てひとり暮らしすることになるんだ。
寂しい。でもお姉ちゃんの夢を応援してあげなくちゃ。
同じ気持ちなのか、無一郎も俺の隣で複雑そうな顔をしていた。
入学が決まったことで、お姉ちゃんはバイト先に話をつけたり、向こうで暮らす家を探したり、家具や家電を見に行ったりと大忙しだ。
お姉ちゃんはバイトで稼いだお金で全部やりくりするつもりだったみたいだけれど、両親が全額負担させて欲しいと申し出た。でもそれを断るお姉ちゃん。更に食い下がる両親。結局、入学金の半分と、家具家電に必要なお金を父さんと母さんが出すということで話は落ち着いたらしい。
無事にアパートも契約できて、お姉ちゃんは嬉しそうだ。
前に見せてくれたサイトのお部屋ではなく、また別のとこだって。でも角部屋で日当たりもよくて、いいところだって言っていた。
お姉ちゃんは休みの日には自分がいた部屋の片付けを進めている。
元々きちんと整理整頓された部屋だけれど、アパートに持って行く物とこの家に残す物、手放す物に仕分ける為に断捨離していた。
この日は俺と無一郎もお姉ちゃんの部屋で片付けを手伝っていた。
「お姉ちゃん、これもう使わないの? 」
『うん。必要ならあげるよ』
「いいの?ありがとう!こっちは?」
『それもいいよ』
絵の具セットだとか習字道具だとか、お姉ちゃんが高校生まで使っていた学用品。どれもすごく綺麗に保管されていた。
あとは未使用のノートが何冊か出てきたので、それももらうことにした俺たち。ルーズリーフの紙やファイルも。
『2人とも、このお部屋は好きに使っていいからね。お友達が泊まりに来た時に使ってもらってもいいし。シーツとか布団カバーとかは洗って新しいものに変えておくから』
「「うん……」 」
話しながらどんどん分別されていく、お姉ちゃんの持ち物。
寂しくてしゅんとしてしまう俺たちに気付いたのか、お姉ちゃんがまた口を開いた。
『本は置いていってるのも好きな時に読んでいいからね。…あ、でもエロ本はないからそこだけよろしく』
エロ本って!
「お姉ちゃん!僕たちエロ本なんて見ないよ!」
『今は興味なくても後々見たくなるかもよ?』
顔を真っ赤にする無一郎と、悪戯っ子のように笑うお姉ちゃん。
俺たちを和ませようとしてくれたんだろうな。
「ふふっ…」
自然と笑みが零れた。
2月14日。バレンタインデー。
朝、ダイニングに行くとエプロン姿のお姉ちゃんと、仕事着の母さんが俺たちを待っていた。
『おはよう、ゆうくん、むいくん』
「はい、ハッピーバレンタイン!」
「おはよう。ありがとう!」
「ありがとう!」
母さんとお姉ちゃんからバレンタインチョコが手渡された。
「父さんには?」
『お父さん昨夜から夜勤だから、お母さんが出勤前にいちばん最初に本命チョコあげてたよ。そのあと私も渡した』
「そっか! 」
「父さんのデレた顔が思い浮かぶね」
『うん、溶けそうだったよ』
安易に想像つく。 可笑しくて笑ってしまった。
「じゃ、重大ミッション完了したし、母さんは仕事に行ってくるわね」
『行ってらっしゃい。気をつけてね』
「「母さん行ってらっしゃい」」
姉弟3人で母さんを見送り、食卓につく。
『さ、朝ごはん食べちゃいましょ』
「うん!」
「いただきます」
いつも朝食を作ってくれていたお姉ちゃん。もうすぐ、これを毎日は食べられなくなるんだ……。
「「ごちそうさまでした」」
『食器は流しに置いといて。後でまとめて洗うから』
「分かった。ありがとう」
「お願いします」
『あ、チョコは冷蔵庫入れといたがいいかも』
「今ちょっと食べていい?」
「僕も食べたい!」
『いいよ』
母さんとお姉ちゃんにもらったチョコの箱を開ける。ふわっと甘い香りが拡がる。
母さんはお姉ちゃんのバイト先で買ったお洒落なチョコ。お姉ちゃんは毎年手作りしてくれる。でもプロ顔負けのクオリティーの高さだ。
「美味しい〜!」
「お姉ちゃんお店出せるよ!」
『ふふ。ありがとう』
残りを冷蔵庫に仕舞って、俺たちは学校へ行く準備をする。
『むいくん、ゆうくん。おやつはガトーショコラ焼くから、学校終わったら寄り道せずに帰ってきてね』
「やったー!ガトーショコラ!」
「楽しみ! 」
『萎んだらごめんね。まあ、誤魔化すけど』
「萎んでても美味しいよ!」
『ありがとう。じゃあ、気をつけて行ってらっしゃい』
「「行ってきます」」
順番にお姉ちゃんとハグをして、俺たちは家を出た。
学校では先生たちにバレないようにチョコのやり取りが行われていた。
友チョコ、義理チョコ、ばら撒きチョコ。本命チョコと思われるのももらいはしたけど、頭の中はお姉ちゃんが焼いてくれるチョコレートケーキでいっぱいだった。
わくわくしながら帰宅すると、玄関を開けた途端、甘いチョコレートの香りが俺たちを出迎えた。
『おかえり』
「ただいま!」
「ガトーショコラ早く食べたくて走って帰ってきた!」
手を洗ってからダイニングに行く。
『はい、無事にできました』
「うわー!美味しそう!」
「めちゃくちゃ綺麗!」
お手本のように真ん丸のガトーショコラ。粉砂糖でお化粧されて、金箔まで乗っている。
あーあ。俺たちもスマホを持っていたらお姉ちゃんが作るごはんもお菓子も写真を撮りまくるのに。中学生になるまでの我慢だ。
切り分けられたケーキを口に運ぶと、中から溶けたチョコレートがトロリと出てきた。
『今年のはフォンダンショコラにしたの』
「すごく美味しいよ!」
「チョコももらってケーキも焼いてくれて、こんな贅沢なバレンタインでいいのかな!」
『いいの。大好きな人にチョコを贈る日なんだから』
ホットミルクを飲みながら、お姉ちゃんがにっこり笑った。
数日間はもらったチョコたちを消費する。
「ねえ、兄さん」
「ん?」
「ホワイトデーのお返し、今年は何あげる?お姉ちゃんに」
「そうだなあ……」
学校や将棋でチョコをもらった相手には、全員に統一したお返しをしている。でも母さんとお姉ちゃんには特別だ。
しかもホワイトデーはお姉ちゃんの誕生日でもある。だからバレンタインのお返し兼誕生日プレゼントになるんだ。
「またあの雑貨屋さん見に行こうか」
「そうだね!誕生日ケーキも今年は僕たちで用意しよう!」
「いいな、それ。じゃあ父さんと母さんにもケーキのこと伝えとこう」
「うん! 」
俺たちは早速、お姉ちゃんへのプレゼントの作戦会議に入るのだった。
つづく