「優羅さーん、また一人でいる〜!」
昼休みの教室で、誰かがそんな言葉を投げた。
冗談めかしたその声に、クラスの数人が笑う。
でも、優羅は何も言わず、教科書を開いたまま机に視線を落とした。
そんな言葉には慣れていた。
慣れているはずだった。
でも、最近――心が少しだけ、傷みやすくなっていた。
“また一人でいる”
その言葉が頭の中を反芻する。
“そうだよ、だって美咲さんは別の教室にいるから”
その思いが一瞬、胸を支えたあと、今度は別の苦しさに変わっていく。
“なのに、さっき楽しそうに話してたよね。あの子たちと、笑ってた”
午後の授業も集中できず、視線は窓の外に向かったまま。
早く放課後になって、早くあの場所で、彼女とだけの世界に戻りたい――。
ようやくチャイムが鳴ったとき、優羅は誰よりも早く教室を出た。
屋上へ続く階段を、息も荒く駆け上がる。
扉を開けると、そこにはもう、美咲がいた。
「……来るの早いね」
「……あなたよりは遅かった」
ふたりとも、少し笑う。けれどその笑顔は、どこかぎこちない。
風が冷たい。春の終わり、もうすぐ梅雨が来る。
「……ねぇ」
「うん?」
「なんでさ……教室ではあんなに楽しそうにできるの?」
その言葉に、美咲の笑顔がすっと消えた。
「……そう見えた?」
「見えた。“私といるとき”とは、全然違う顔してた」
美咲は黙っていた。答えを出そうとしているのではなく、答えたくないのだとすぐに分かった。
「もしかして……」
優羅は自分の口から出そうとした言葉を、必死で飲み込んだ。
“あの子たちといた方が楽しい?”
“私といるのは、もう重たい?”
聞いたら、壊れてしまう。
でも、美咲はそっと口を開いた。
「私ね、ずっと思ってたの。“普通”の子になれたら楽なのにって」
「……普通?」
「誰かと笑って、誰かと遊んで、彼氏とかできて。悩みはテストの点とかだけで。そういうのに、なりたかった」
「……じゃあ、私といるときは?」
「……全部、本当」
その言葉が、どうしようもなく嬉しくて、でも同時に、どうしようもなく哀しかった。
「普通のフリをしてるのが苦しい。…でも、優羅さんといるときだけ、私、ちゃんと“私”でいられる」
「私も」
ふたりは柵の前に並んで立った。下を見下ろせば、風景がミニチュアのように小さく見えた。
人も、車も、学校も、世界も――すべて、手のひらに収まってしまいそうだった。
「……このまま、全部捨てて、どこかに行けたらいいのにね」
「誰もいない、ふたりだけの場所で?」
「うん、名前も顔も、過去も未来も何もいらない。ただ、私と優羅さんだけが、生きてるって分かればそれでいい」
「それ、逃げだよ」
「……そうかも。でも、それ以外、今はもう考えられない」
優羅は、隣の美咲の手を見た。
いつもは繋がないその手を、ほんの少しだけ握りたくなった。
でも、それはまだ“してはいけないこと”のような気がして、指先が宙で止まる。
「この世界は、私たちには合わないよね」
「うん。だからもう、“私たちの世界”をつくろう」
ふたりだけの秘密。
ふたりだけの時間。
ふたりだけの世界。
“恋人じゃない”と否定することで、逆に強く結ばれていく。
それは、誰にも祝福されない結びつき。
でも、それこそが――ふたりにとっての救いだった。
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