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7 - 居場所のない日々

♥

37

2025年06月07日

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「おかえり」


誰もいない部屋に向かって、美咲はただ小さく呟いた。

玄関のドアを閉める音だけが、部屋に響く。


母の姿はない。今日は遅番だと言っていた。

キッチンには、コンビニの袋がひとつ置かれている。「好きなもの買ってきたから」と書かれたメモと共に。


“好きなもの”――それはいつも、美咲の好きなものではなく、母親の「選びやすいもの」だった。


靴を脱ぎ捨て、鞄をリビングの隅に放り投げる。

テレビの電源を入れると、何の意味もないバラエティ番組が笑い声を垂れ流している。


ソファに座る。膝を抱えて、じっと画面を見つめた。

だけど、何も頭に入ってこない。音だけが、鼓膜を撫でては通りすぎていく。


“ここ、誰もいないのにうるさいな”


ふいに、そう思った。


美咲はリビングの電気を消した。

静寂が戻る。その静寂にすら、ほっとしてしまう自分がいた。


――スマホが震えた。


通知は一件。優羅から。


『今日の屋上、風強かったね。髪が大変だった。』


短いけれど、どこか温かい文章。

誰かが自分を思ってくれているという、それだけで胸が少し緩んだ。


“返事しなきゃ”


そう思って、スマホを持ったまま何分も固まっていた。

打つべき言葉が浮かばない。


『今日はお母さん、また夜までいないの。部屋、静かすぎて怖いくらい。』


そう打ちかけて、消した。


『寂しいって言ったら、引かれるかも』


そう思って、やめた。


代わりに送ったのはただひとこと――


『風、気持ちよかったね』


それだけだった。


既読がすぐに付いて、「うん。また明日ね」と返ってくる。

ほんの数十文字のやりとり。それでも、美咲の胸は少しだけ温かくなった。





一方、優羅は家のキッチンに立っていた。

母親は寝室に籠もったまま、父親は今日も帰ってこない。

静かというより、無音だった。


ガスコンロに火をつけ、インスタントラーメンを作る。

湯気が立ち上る鍋の中に、ふと思い浮かぶのは美咲の顔だった。


“あの子は今、何をしているんだろう”


家の中でも、屋上のときと同じように心が繋がっている気がして、優羅はふっと微笑んだ。

誰にも言えないけれど、美咲の存在が、今の自分のすべてだった。


食事を終えて部屋に戻り、机の引き出しから例の“ポーチ”を取り出す。

カッターの重みを、手のひらで感じる。最近使っていない。それは、美咲が毎日来てくれるから。


“でも、もし美咲がいなくなったら”


その想像が、一番怖い。


“あの子が、別の誰かと仲良くなって、私を忘れてしまったら”


指先が、無意識に刃の部分をスライドさせる。


――カチッ。


その音が、なぜか心地よかった。


“私の居場所は、美咲だけ”


それを守るためなら、どんなことでもする――

そんな危うい覚悟が、静かに、しかし確実に育っていく。


そしてまた、次の日が始まる。


学校では“演技”をする日々。

教室では“孤独”を纏いながら、時計の針だけを睨み続ける。


放課後になれば、屋上でだけ“本当の自分”になれる。

それが、ふたりにとっての唯一の救いだった。


この世界に自分の居場所なんて、もういらない。

彼女さえいれば、それでいい。

彼女以外は、全員どうでもいい。


“この世界に、私たちふたりだけがいればいい”


その想いが、静かに、けれど確かに――

ふたりの中で、歪んだ形で根を張り始めていた。


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