蓮を好きになって、どれくらい経つんだろう。
…なんてたまに振り返ってみるけど、はっきりとした年数なんて割り出せるわけもなく、多分、幼なじみ歴と比例してんだろうな、といつも曖昧に納得して終わる。
ただはっきり思い返せるのは、ガキの時の、蓮に対する気持ち。
いつもいつも、蓮を見ていたくて
蓮と話したくて、
蓮のそばにいたくて。
必死で追いかけていた日々のこと。
きっと、俺、あいつのこと、『恋』って言葉を知る前から、好きだったんだろうな。
蓮だけをずっとずっと見てきた。
この想いの純度だけは誰にも負けねぇ、って思ってる。
だからムカつくんだよ。
昨日今日知って、外見だけしかあいつを見ないで、好き勝手に興味を持たれるのが。
じろじろ見てんじゃねぇよ。
蓮を見て言いのは俺だけだ。
蓮は俺だけのもんだ…!
って宣言してやりてぇが。
情けない話、今の俺はそんなポジションにいない。
正直、
一番ムカつくのは、そんなヘタレな自分だったりするんだが。
「おまえら…さっきからなによそ見してんだ!」
とそこへ、俺の気持ちを体現してくれるように、三バカをグーで殴る人物が。
『ひぃっ、すんません、堺主将っ』
キャプテンの堺部長だ。
身長185センチ。
短めに切った髪が爽やかで、顔立ちも精悍って言葉が似合うイケメン。
けど話せばざっくばらんで、後輩のおふざけにも付き合ってくれる。
懐も深くて、部員全員から慕われていて、まさにキャプテンに相応しい人だ。
「おまえら練習に集中しろよ。来年なんてすぐ来るんだぞ」
『はい…』
ほらみろ、色ボケどもが。
いつもは一緒にふざけてくれる先輩も、お冠だぞ。
っても、先輩も俺と同じように、イラつく理由は個人的なものかもしれないけど…。
実は先輩の彼女が、あの蓮の友達の明姫奈ってコだったりする。
俺は蓮を通じて知っていたけど、二人とも校内ではモテモテだから、付き合っていることをあまり公にしないようにしている。
だから事情を知らない岳緒たちが騒ぐのは仕方ないけど、校内でも指折りの美少女と言われているコを彼女に持つと、やっぱりさすがの先輩ものんびりしてはいられないみたいだ。
そんな先輩が、俺にはけっこう意外だ。
近寄って来る女に見向きもせず、バスケ一筋だった先輩も、ああいうコには弱かったんだな。
岳緒たちを追い払うと、先輩は俺の元へやってきた。
「あいつらと比べて、おまえは変わらず練習熱心で感心だな」
「いえ」
さらりと返すが、俺は内心で先輩に感謝する。
「俺の最後の一年は終わっちまったが、次はおまえが部をひっぱる番だ。頼むぞ、新部長」
「はい」
いい所まで行ったが、今年は惜しくもインターハイには行けなかった俺たちバスケ部。
今月いっぱいは部活にいることになっているが、先輩はもう間もなく引退する。
それからは、俺が新部長として部を引っ張っていくことになっていた。
「先輩はこれから受験すか」
「いや、実は推薦の話をもらっててな、受けようかと思ってる」
「へぇ、すごいですね。どこですか?」
「A大だ」
「へぇ。かなり遠いっすね」
「そうだな。でもまたとない話だし、断る理由はない。春からは寮生活だ」
「じゃあ…地元離れるんすか」
「そうだな」
A大がある街はここからかなり遠い。
新幹線で数時間はかかる距離だ。
じゃあ、彼女とは遠恋になるのか。
「…彼女には言ったんすか」
「まだだ」
そりゃ言えないよな。
付き合ってまだ数ヶ月しかたってないのに。
しかも、先輩がずっと片想いしていたコだ。
高嶺の花と思って諦めてたのに、向こうから告ってきてくれて。
夢みたいだって大喜びして、その直後の試合で一人で百点近くとったりして。
柄にもなく浮かれる先輩が笑っちゃうけど嬉しく俺も思ったのに。
なんか、切ねぇな。
モヤモヤした気持ちを払うように放ったシュートは、あえなくリングに弾け、返ってくる。
「いいな、おまえは。いつも一緒にいられる幼なじみがいて」
そのボールを取るなり、やぶからぼうにつぶやいた先輩の言葉に、俺はさすがに表情を崩す。
「なんすか急に。みんな誤解してますけど…俺と蓮は、別に付き合ってませんけど」
「ああ、そうだっけか。いや、明姫奈が「最近蓮と一緒に練習を見に行くと、必ず蒼くんが不機嫌になる」って心配してたから。…そうか。てっきり付き合ってるとばかり思ってたんだけどな」
「……はた迷惑な誤解ですよ」
と、ボールをもらおうとしたが、
すっとそらされた。
その顔は意味深な微笑を浮かべている…。
もしかして、気づいてんのか…。
さすが。
ごまかしきかねぇな…。
「幼なじみ、ね。小さい頃から、いつも近くにいたんだろ?」
先輩はおもむろにドリブルを始めた。
床を打つそのリズムに合わせるようなゆっくりとした口調は、どことなく威圧的だ。
「そうっすけど、だからなんすか」
腰を沈めて、俺もかまえる。
嘲笑うように俺を見つめる目は、その背後のゴールをも見据えている、と感じた。
ワンオンワンで先輩に勝ったことは少ない。
この人のドリブルとフットワークは超一級。
ここ一番の突破力は県内随一と言われた。
推薦が決まったのも、きっとこの実力を見込まれてだと思う。
「いや、ただたんに羨ましいと思ってさー」
「へぇ」
「でもなんでかな。それ以上にムカつくっちゅーか、もどかしいっちゅーか。おまえにこんな気持ちになっても仕方ないのにな」
「はは、どしたんすか、先輩。引退が寂しくて哀愁ですか」
「ぬかせよ」
来る―――
気迫を感じた次の瞬間には、先輩の姿を見失った。
カット…っ
は間に合わず、瞬く間にボールがゴールネットに吸いこまれる。
やっぱ、速ぇ…。
俺と先輩のワンオンワンに気づいた見物人から、歓声とどよめきが聞こえ始めた。
「はぁーまだまだだなぁ。おまえに部長譲ったの、不安になってきた」
「…はは。引退する身なんすから、も少し手加減してくださいよ」
「っても、こんなんじゃあ、不安でおちおち見てらんねぇよ」
「だいじょぶです。来年は俺が必ずインハイ連れてってみせます」
「へぇずいぶんデカい口叩くな。それはおおいに楽しみだ、なっ」
再び突破されそうになるが、そうはさせない。
回り込んで、動きを止める。
ったく、なんなんすか、先輩…。
柄にもなく嫌がらせとか、勘弁してくれよ。
「…そんなに羨ましいっすか、先輩」
「は?」
「幼なじみを好きになるのって、そんなに得だと思います?」
「……」
ずっと昔から一緒にいて。
多くの思い出を共有して。
すこし生活環境が変わったって、家に帰ればすぐ会えて。
それが幸せなことだなんて思ったら、えらい勘違いだ。
ふ、と俺は鼻笑った。
「近過ぎてつらい、ってこともあるんすけど」
特に蓮を好きだと気づいてからは。
蓮に対する感情に気づいたのは小学校高学年ぐらいの頃。
気づいた瞬間、それまでの自分と蓮との関係に愕然とした。
ヘタしたら妹のように思われて、面倒をみてやらなければならないと見下されている自分に、心底焦りを覚えた。
バスケ部に入ったのは、それが原因だ。
とにかく身体をデカくしたかったし、カッコよくなりたかったし。
モテるスポーツだから、意識もしてもらいたかった。
下心だけで始めたバスケは思いのほか楽しくて、今では本気で入れ込んでいるけど。
肝心の本懐は、まったく遂げられずにいる。
蓮はいつまでたっても俺を幼なじみとしか見なくて、気持ちに気づきもしない。
なんにも思うようにいかないまま、時間だけが過ぎている。
蓮はどんどんいい女になって。
ますます俺の心を駆り立てて、追い詰めていく。
いい加減、苦しい。
欲しくて欲しくて、しょうがないのに、
目の前にいて、無防備に笑っているのに、
自分のものにできない、苦しさ。
これなら、ガキの頃の方が、ずっとよかった。
ただ純心に蓮のそばに居られさえすればよかった頃の方が、
ずっとずっと、幸せだった。
「はは、やっぱおまえヘタレだな」
「は?」
俺のガードを受けていた先輩が、突然振り返って失笑した。
「見かけを裏切って、超ヘタレ。ヘタレ中の、どヘタレ」
ぶち
と、もし堪忍袋ってもんが実在してたなら、こんな音がしただろう。
マジで頭来た。
「なんすかあんた、さっきから。彼女と遠恋するのが嫌だからって、俺に八つ当たりしないでくださいよ!
あんたこそ、クソヘタレじゃないすか!」
「おまえ元部長に向かって、よくそんなこと言えんなぁ。ははは、いいね。じゃあ俺たち新旧ヘタレ部長か」
「…チッ、どいつもこいつも…」
無神経ばっかだ。
「ほら、そう腐るな。油断しまくりだ、ぞっ」
させねぇ…!
抜き去ろうとする先輩に、腕を伸ばす―――。
が、
「おっと」
不自然に静止した先輩の腕に当たり、ボールは弾みで滑り落ちた…。
ころころころ…
とのんびりと転がった先は、スラリと長い脚の元。
それを抱え上げたのは、蓮だった。
「あらら、奇遇だな」
って、絶対わざとだろ。
にらむ俺に先輩は、にっと意地の悪い笑みを浮かべた。
が、
不意に、真面目な表情になった。
「遠恋なんて、したくてそうなったわけじゃない。でも、そういう運命って、ある日突然やって来るもんなんだ…」
「……」
「おまえも、いい加減思い切れよ。後悔してからじゃ、遅いんだぞ」
先輩…。
その表情は、どこか疲れ切ったように強張っていて…。
ふと、思い出す。
ほんの数日前、ふと先輩は独り言をつぶやいていた。
『どうせ両想いだったら、もっと前に俺から告っておけばよかったな…』
その時も、その表情は今みたいに、苦し気で悲しげだった―――。
ふぅん。
引退の置き土産かなんか知らないけど。
先輩らしくないすね。
こんな回りくどい説教なんか、しなくていいのに…。
「ってかおまえ、元部長パシらせるのか。おら、とっとと行って、ボールもらってこい」
にらまれて、俺は大人しくのろのろと蓮の元に向かった。
蓮は、いつものように綺麗に、だけど憎たらしく無防備に笑って、俺を待っていた。
「蒼ってば、かっこわるー。全然先輩にかなわないじゃない」
「…るせぇな。早くよこせよ」
手を伸ばしたけど、蓮はふざけてボールをそらした。
「やめなって。先輩とワンオンワンやって、勝てるわけないんだから」
なにも知らず、気づかず、
蓮はノンキにケラケラ笑う。
ああほんと。
どいつもこいつも無神経で。
っと、ムカつく。
俺は叩くようにボール奪い取った。
パン!と強い音がして、蓮も口ごもる。
「じゃあ、もし勝ったら、今日は俺の言うことなんでも聞けよ」
「は、はぁ?」
低く絞り出した声に蓮は戸惑いの表情を見せるも、いつもの勝気な調子で答える。
「ふぅ、わかったわかった。から揚げでもハンバーグでも、あんたの好きな肉料理にしてあげるって」
「それだけじゃないんだけど」
「わかったって!なんでも言うこときくわよ。マッサージでもなんでもしてやればいいんでしょ?ああもう明姫奈っ。蒼のやつこんなこと言ってるから、先輩のこと精一杯応援してあげてよ」
「う…うん…」
明姫奈って友達は、なにか感づいているのか…。
冷やかに見下ろす俺と視線を合わせないようにうなづいた。
バカ蓮。
見てろよ。
俺は踵を返すと、ゆっくりとドリブルしながら先輩に対峙した。
「先輩。今からマジで三本勝負してください」
「どうしたんだ、急に」
と訝しむ口調でいうが、先輩の口元は上がっている。
「俺がヘタレじゃねぇってこと、証明したいんで」
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