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「マリア!」
「カレンさん!」
迎えた9月のニューヨーク訪問。
真里亜は、キュリアスのオフィスでカレンと抱き合って再会を喜ぶ。
「あー、やっと会えたわね!」
「はい。いつも画面越しでしたものね」
「あれ?マリアってこんなに美人だったっけ?」
「カレンさん、それは一体どういう…?」
去年会った時は、そんなに不細工な印象を持たれていたのかと思っていると、カレンは真里亜をじっと見たあと、ニヤリと笑った。
「なーんだ、そういうことか!」
「え?そういうこととは?」
「あっちも見てこよーっと。フミヤ!」
カレンは、ボカンとしている真里亜を残して、ジョンと話している文哉のもとへ行く。
「やっぱり!いい男になったわねー、フミヤも」
バシバシと文哉の肩を叩きながら、カレンは嬉しそうに笑う。
「ねえ、やっぱり夫婦別姓にしなさいよね。ほら!みんなあなたのこと、アベ・マリアって覚えてるんだから」
振り向くと、広いオフィスの部屋に顔合わせで集まった各国のチームメンバーが、何人か真里亜に握手を求めてきた。
やっと会えたね!アベ・マリア。
画面で見るより綺麗だね、アベ・マリア。
とにかく会う人皆にフルネームで呼ばれる。
真里亜は苦笑いで握手に応じていた。
「みんな、パーティーは明日の夜だ。記念写真も撮るから着飾って来てくれよ」
ジョンの言葉に、皆でイエス!と答えて、その日の顔合わせは終わった。
「みんな、今夜はAMAGIがご馳走する。どんどん食べてくれ」
ホテルにチェックインした後、AMAGIのチームメンバー15人は、文哉が手配したステーキレストランにやって来た。
「半年間、本当にお疲れ様!よくやってくれた。君達はAMAGIが誇る精鋭部隊だ。これからも我が社を支えていって欲しい」
「はい!」
「今夜はとにかく大いに楽しんでくれ。乾杯!」
かんぱーい!と皆は笑顔でグラスを掲げる。
あとはただひたすら美味しいステーキを食べ、おしゃべりを楽しむ。
お酒も入り、皆は打ち解けた雰囲気でニューヨークの夜に酔いしれていた。
「お疲れ様、阿部 真里亜」
「藤田くん!お疲れ様」
ひとしきり皆と話した後、藤田が真里亜の隣にやって来た。
「俺さ、もう本当に夢見てるみたいだ。お前に話したことが現実になったばかりか、すごいプロジェクトに参加させてもらって、しかも今ニューヨークにまで来てるなんて」
「ふふっ、本当だね。私もあの時、藤田くんに声をかけてもらったから今こうしていられるんだと思う。背中を押してくれてありがとう」
「いや、礼を言うのは俺の方だ。お前が真摯に秘書課の仕事に打ち込んでるのを見て、俺も仕舞い込んでた気持ちを焚き付けられたんだ。ものすごく勇気が湧いてきた。ありがとうな、阿部 真里亜」
「うん。これからもよろしくね!」
「ああ、こちらこそ」
二人は笑顔でもう一度小さく乾杯した。
翌日の9月6日。
ジョンが開いてくれたパーティーは、とびきりゴージャスな会場だった。
男性はタキシード、数少ない女性も華やかなドレスで着飾っている。
文哉に、肌を見せるな!と念を押されたものの、カレンの、日本女性の代表として、ダサいって思われちゃだめよ、の言葉も気になる。
真里亜は迷って、今回日本から着物を持って来ていた。
AMAGIのチームの紅一点だった真里亜が、薄いピンク色の桜の着物で会場に現れると、各国の男性陣が一斉に目を見開いた。
「アベ・マリア、なんて美しいんだ」
「もう目が眩みそうだよ」
真里亜はあっという間に取り囲まれ、写真を撮られたり握手を求められたり、手の甲にキスをされたりと、全く身動きが取れなくなる。
にこやかに応じるものの、真里亜は横から突き刺さる文哉の視線が恐ろしい。
(でもちゃんと、肌は見せてませんからねー!)
どうやら文哉も、それを分かっているからこそ、我慢して見守っているらしかった。
やがてジョンがマイクを手に乾杯の音頭をとると、文哉はすかさず真里亜を男性陣の輪の中から連れ出した。
「ふう、やれやれ」
ひと安心するが、文哉が他のゲストに話しかけられた隙に、またもや真里亜は周りを囲まれる。
「ビジネスの話をしよう」
と言われて名刺を出されると、真里亜も無下には出来ない。
名刺入れから自分の名刺を取り出して、相手に差し出す。
すると相手は、ワオ!と驚いて名刺を見つめる。
(あ、そうだった)
今回真里亜は、千代紙で小さな鶴を折り、名刺の一角に貼って飾っていた。
外国の方に喜んでいただけたら、と思ってそうしていたのだが、どうやら今は余計なことだったようだ。
「なんてファンタスティックなんだ。これはアベ・マリアが作ったのか?」
そうですけど、日本人なら誰でもみんなこれくらい折れますよ。
と英語で言ったが、あまりよく伝わらなかったらしい。
「こんなに美しいものを作れるとは。なんて素晴らしい女性なんだ、アベ・マリアは」
気がつくと、俺も!俺にも!と、真里亜は更に多くの男性に囲まれ、名刺をねだられた。
「真里亜!」
しばらくして聞こえてきた声に、真里亜は、ひえっ!と首をすくめる。
Excuse me. と近づいて来た文哉にガシッと肩を掴まれ、あーれー!と連れ出される。
「真里亜!なんだってあんなにも大勢の男に取り囲まれてるんだ?」
壁際に連れて来られ、文哉に問い詰められた真里亜は、ごめんなさいと肩を落とす。
「名刺交換だったから、軽くあしらえなくて。本当にごめんなさい」
文哉は小さくため息をつく。
「そうか、ごめん。そうだよな、各国のトップ企業とコネクション作る大事なチャンスだよな。真里亜、俺が悪かった。でも、とにかく心配なんだ。というより、俺の理性がもつかどうか…。どうしよう。嫉妬のあまり、殴りかかったりしないかな?」
ひょえー!と真里亜は恐ろしさにおののく。
「そ、それは…。それだけはおやめください、副社長」
「ああ、なんとかがんばる。真里亜、出来るだけそばにいてくれ」
「かしこまりました。もう片時もおそばを離れません」
かくして真里亜は、文哉の後ろを半歩下がってついて行く、奥ゆかしい日本女性を決め込んだ。
パーティーの次の日は、ニューヨーク観光を楽しむ。
現地の観光ツアーに参加し、AMAGIの皆で定番の観光地巡りをした。
秋のニューヨークは、前回の真冬とはまた雰囲気が違い、美しい景色やあちこちで目にするアートに刺激を受けた。
夕食を食べてホテルに戻ると、お休みなさいとそれぞれの部屋の前で別れる。
すると文哉がグッと真里亜の手を引いて、自分の部屋の中に入れた。
「やっと二人きりになれた」
文哉はドアを閉めると、すぐに真里亜を抱きしめる。
「もう限界だった。このお預け状態」
お預けって…と真里亜は苦笑いする。
「なんだかワンちゃんのおやつみたい」
「お?何だよ。俺がこんなにヤキモキしてたのに、随分余裕なんだな」
そう言うと真里亜の頭を抱き抱えて、容赦なくキスの雨を降らせる。
真里亜の余裕はあっという間になくなった。
ふう…、と息を洩らしてキスから逃れても、また文哉に新たなキスを浴びせられる。
気がつくと、いつの間にかベッドに押し倒されていた。
「真里亜…。どんなに俺が自分を押し殺してたか知ってる?色んな男達に、アベ・マリアって言い寄られて、手の甲にキスされて。みんなが真里亜に言い寄ろうとしてた」
「そんなこと…。ただ、アベ・マリアって名前が珍しくて、話のネタになっただけです」
「そんな訳ない。あの男達がお前を見る目がどんなだったか、分かってないな」
はあ、と辛そうに文哉はため息をつく。
「真里亜が、手の届かないところに行きそうな気がしたんだ。胸が張り裂けそうだった」
そんな、と真里亜は首を振る。
「私はどこにも行きません。誰のところにも。ずっと文哉さんのそばにいます」
「真里亜…」
文哉は、想いの限り真里亜の身体に触れてキスをする。
そして真里亜も、そんな文哉の想いを全身で受け止めた。
ただひたすら、互いの心と身体を重ねて幸せを感じる。
ニューヨークの夜景は、去年のクリスマス・イブを思い起こさせる。
二人はあの時よりも更に互いを愛し合っていることを実感していた。
「ねえ、真里亜」
やがて真里亜の隣で横になり、髪を撫でながら文哉がふと話しかけた。
「なあに?」
トロンと甘さを宿した瞳で真里亜が文哉を見上げる。
その可愛さに頬を緩めながら、文哉は真里亜の頭を撫でて尋ねる。
「やっぱり、阿部 真里亜って名前は残したい?」
え?と、真里亜は首を傾げる。
「その、カレンさんが言ってたからさ。夫婦別姓にしなさいって」
「ああ、そのこと」
真里亜は少し笑ってから、文哉を上目遣いに見た。
「私ね、天城 真里亜がいい」
えっ…と、文哉は言葉を失う。
「そ、それって…」
突然のことに、文哉は頭の中が真っ白になった。
「天城 真里亜って…。それは、俺と一緒になってくれるってこと?」
うん、と恥ずかしそうに小さく真里亜は頷く。
「阿部 真里亜って名前じゃなくなっても?」
「うん。だって私、文哉さんと一緒の名字がいいの」
「真里亜…」
しばらくして、文哉は参ったとばかりに苦笑いする。
起き上がるとベッドサイドのテーブルの引き出しを開け、小さなケースを取り出した。
「真里亜。もう日付が変わって9月8日になった。お誕生日おめでとう」
「えっ、知ってたの?私の誕生日」
「もちろん。はい、プレゼント」
「ええ?!用意してくれてたの?」
「当たり前だろ?誕生日知ってたのに、プレゼント用意してないとか、そんな冗談言うつもりはない。でも…」
そこまで言って急に口を閉ざした文哉に、真里亜も起き上がって、どうしたの?と首を傾げる。
「うん。あんまり喜んでもらえないかも。まさか先を越されるとは思ってもなくて…」
ん?どういうこと?と、更に真里亜は首をひねる。
「真里亜、これを受け取ってくれる?」
意を決したように、文哉がケースを開けてみせた。
「こ、これ…?!」
真里亜は驚いて息を呑む。
それは、真里亜の胸元で輝くネックレスと同じモチーフの、更にダイヤモンドが美しく煌めく指輪だった。
「この仕事を成功させて、必ず真里亜にプロポーズするって決めてたんだ。そしたら、ニューヨークでパーティーに招かれて、滞在中に真里亜は誕生日を迎える。もうこれは、今しかない!って張り切ってた。でもまさか…」
あ…と、真里亜がバツの悪そうな顔をする。
「まさかの真里亜からの逆プロポーズ。はあ…、俺ってなんでこんなに情けないんだろう」
しょんぼりとうなだれる文哉に、真里亜は慌てて口を開く。
「そ、そんなこと!文哉さん、私、すごく嬉しい。それに名前のことを聞かれたから、つい思ってることを言ってしまって…。その、プロポーズのつもりじゃなかったの。ごめんなさい」
「そうか…。じゃあ、改めて」
文哉は背筋を伸ばして座り直すと、真里亜を見つめる。
「真里亜。いつも俺をサポートしてくれてありがとう。真里亜のおかげで今俺は、仕事にも自分の人生にも真っ直ぐに向き合うことが出来る。真里亜がいてくれるから、俺は自分の信じる道を進める。どんなに感謝してもし切れない。この先もずっとそばにいて欲しい。そして俺が必ず真里亜を幸せにする」
「文哉さん…」
真里亜は胸がいっぱいになり、思わず声が震える。
「私もあなたのおかげで今こうして幸せでいられます。あなたが仕事に打ち込む姿を見て、私もがんばろうと勇気をもらっています。そしてがんばった先には、こんなにも素晴らしい世界があるんだって教えてもらいました。文哉さん、これからもずっとそばにいさせてください。あなたのそばで、ずっとサポートさせてください。そして…」
真里亜は少し言葉を止めてから顔を上げた。
「私を、天城 真里亜にしてください」
ふっと文哉が優しく微笑む。
「ありがとう、真里亜。これからもそばにいて。必ず幸せにするから」
「はい」
文哉は頷くと真里亜の左手を取り、ゆっくりと薬指に輝く指輪をはめた。
嬉しそうに微笑んで指輪を見つめる真里亜は、ダイヤモンドの輝きよりも美しいと文哉は思った。
そっと肩を抱き寄せると、愛を込めてキスをする。
「お誕生日おめでとう、真里亜」
「ありがとうございます。素敵なプロポーズも、ありがとう、文哉さん」
微笑み合って、またキスをする。
ニューヨークの夜は、今夜もまた二人に甘いひとときをもたらした。
「Congratulations on your marriage !」
帰国して最初のキュリアス オンラインミーティング。
最初に皆にお知らせがあるの、と口を開いたカレンが、いきなり声を上げる。
「何?結婚?」
「え、誰の?」
と、画面の向こうで皆はザワザワする。
「マリアとフミヤよ」
カレンが答えると、オーマイガーッ!!と大きな声で皆が叫んだ。
「アベ・マリアが?フミヤと?」
「ああ、フミヤ。なんて君は幸せな男なんだ」
色んな国のモニター画面から次々と声が上がり、真里亜は慌てる。
「ちょっ、カレンさん!まだ結婚してませんってば!」
「あら、そんなの関係ないわよ。結婚するんでしょ?じゃあやっぱり、みんなでお祝いしないと。ね?」
カレンが隣のジョンに顔を向けると、ニコニコと祝福される。
「おめでとう!フミヤ、マリア。このプロジェクトチームからハッピーなニュースが聞けて私も嬉しいよ。というより、君達がまだ結婚していなかったことの方がびっくりしたけどね」
「いえ、ですから。まだ結婚してないんです」
「お祝いは何がいい?何でも言ってくれ」
「いえ、そんな。お気遣いなく」
英語で聞かれているのに、日本語で答えてしまう。
どうやらジョンは、真里亜の返事など気にしていないらしい。
ようやく落ち着いた他の国のメンバーも、改めて、おめでとう!と拍手してくれる。
ここはもう、大人しく受け入れようと、真里亜は文哉と一緒に皆に礼を言った。
帰国してまず最初に社長室に向かった時も、ニューヨークの様子を報告したあと、社長に問い詰められた。
「それで?他に報告することは?」
「あ、はい。私達、結婚することにいたしました」
「おー、ようやくか!待ちくたびれたよ、おめでとう!入籍は?もう済ませたのか?」
「いえ、まだです」
「そうか。文哉、逃げられないうちに入籍した方がいいぞ。我が社の阿部 真里亜は、みんなの注目の的だからな。ははは!」
「は、はあ」
どうやら本人達よりも、周りが盛り上がっているらしい。
文哉と真里亜は、結婚式よりも前に入籍することにした。
双方の両親に挨拶を済ませて証人のサインをもらうと、大安の日に婚姻届を提出した。
手を繋いで役所をあとにすると、真里亜は晴れ晴れとした表情で言う。
「これで私も、天城 真里亜ですね」
「やっぱり寂しい?阿部 真里亜じゃなくなって」
役所の人も、婚姻届に目を通し、アベ・マリアさんなんですねーと感心していた。
きっと心の中で、変わっちゃうのはもったいない、と思われたのかも…と文哉は思っていた。
「寂しくなんてないですよ。だって、文哉さんと同じ名字になれたんですから」
「真里亜…」
「んー、でも会社では旧姓を使ってもいいですか?副社長や社長と同じでは肩身が狭いので…」
「そんなことはない。でも、そうだな。旧姓の方がいい。俺が寂しいんだ、阿部 真里亜じゃなくなるのが」
「ふふ、なんだかおかしい。マリッジブルーですか?文哉さん」
「うん、そうかも」
「やだっ、あはは!」
真里亜は明るく笑いながら、文哉の顔を見上げる。
「出逢った頃は私のこと、『きょうこ』だの『ともこ』だの、色んな名前で呼んでたのに」
「ええ?そうだったか?」
「そうですよ。『ゆりこ』と、あとなんだったかな?もう一つあったような…」
「人様の名前を間違えるなんて、失礼なやつだな」
「どの口がおっしゃいますか?!」
「あはは!」
でも、と真里亜は改めてあの頃を思い返す。
住谷と恋人同士だと思っていた文哉。
冷血副社長で鬼軍曹と呼んでいた文哉と、今こうして入籍したなんて。
「副社長の秘密を抱えていた時の自分に、いずれこの人と結婚するんだよって教えたら、びっくりするだろうな」
「確かに。俺もまさかスパイだと警戒していた相手と結婚するなんて、信じられないだろうな」
真里亜は文哉の言葉に、は?と固まって立ち止まる。
「スパイ?って、何のお話ですか?」
文哉は、ヤベッと小さく呟く。
「ちょっと、文哉さん!なんですか?それ。まさか、私のことをスパイだとでも?」
「いやいや、とんでもない。こんなに可愛いスパイがどこにいるのやら?」
「ひどーい!やっぱりスパイだと疑ってたんだ!」
「いや、あれはもう時効。だってそのあとに、うんと幸せになれたからさ」
「なんだか上手く丸め込まれた気がする…」
真里亜は口を尖らせてから、ま、いいか!と明るく言う。
心の中で過去の自分に、大丈夫、幸せになれるよと伝え、未来の自分に、この先もずっと幸せだよね?と尋ねる。
もちろん!という声が聞こえた気がして、真里亜はふふっと微笑んだ。
文哉の手をぎゅっと握りしめ、見つめ合ってからまた歩き出す。
秘密の先に待っていた恋。
距離を置いていた相手と、いつの間にか心を通わせていた自分。
たくさんの困難を乗り越え、共に力を合わせてやり遂げた仕事。
出逢った頃には想像もしていなかった未来が、二人を待っていた。
そしてこれからも、二人でしっかりと手を取り合って歩いて行く。
この人と一緒なら、この先も必ず明るい世界が開けると信じて…。
真里亜と文哉は互いの手の温もりも感じ、この上なく幸せな気持ちを胸に、軽やかに歩いて行った。
二人の未来へと続く、輝く扉のその先に…
(完)