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「お疲れ、涼ちゃん。」
若井の家に着くと、お風呂上がりの姿で出迎えてくれた。
「ただいま。」
「おかえり。」
若井がハグをしようとするので、手で制した。
「僕、まだお風呂入ってないから、汚いよ。」
「汚くないよっ。」
「そういう意味じゃなくて、外の汚れが付いてるでしょ。体調管理。」
「へーい。じゃあ早く入ってきてよ〜。」
「はいはい。」
上着を脱いで玄関にかけ、洗面所へ向かう。若井は、入り口から僕の様子をじっと見ている。僕は、手を洗いながら、若井に尋ねる。
「…話した方がいい?何したかとか。」
「ん?んー、話したいなら?」
「昨日さ、嫌がってた薬あったでしょ。」
「あーあの不味そうなやつ。」
「あれがね、冷凍庫に入れると味がマシになるって調べて、試してみたら、ほんとにイケるみたいで喜んでた。」
「へえー、よかったじゃん。」
うがいを終えて、そのまま立ち話を続ける。
「あとは、夜ご飯にトマトパスタ作って、お風呂待ってる間にニュース見て。」
「あ、俺も観た。」
「元貴、ちょっと笑ってたんだよ、ニュース観て。話題になったな、とか言って。」
「バグってるからな。」
「ね、ホントに、本人かって感じだよ。」
ふふ、と笑って、少し言葉を止めた。
「…帰ろうとした時、元貴に、寝るまでいて欲しいって、言われて。」
「…うん。」
「それで、ベッドの横の床に座って、手を伸ばしてきたから、手を、握っ…た。」
「…うん。」
「…ごめん。」
「いや、おてて繋いだくらいじゃ怒らないよ。」
ふふ、と力無く笑う。
「…でね、元貴が…弟ならいいか、って…。」
「弟?」
「僕の弟として、甘える分には、いいかって。」
「…弟ねぇ…。」
若井が視線を下に落とし、薄く笑う。僕は、若井の様子を心配そうに見つめていた。若井が僕の目を見て、優しく笑う。
「涼ちゃんは?」
「え?」
「弟ならいいの?」
「…。」
「…弟で、いいの?」
若井の目を見つめたまま、声が出ない。何と言えばいいだろう。元貴の事は心配だし、僕に向かって伸ばされた手を振り払う事などできない。
普通であれば、そんな事は許されないだろう。恋人がいるのに、その親友と、しかも僕の元彼と、親しい関係を続けようとするなんて。
だけど、僕たちの関係は、あまりに特殊すぎる。恋愛の拗れで、簡単に切り捨てられるほど、脆弱な絆じゃないんだ。
「…若井を傷つけたくない。」
「…うん。」
「だから、兄として、この大変な時期だけ、元貴を支えたい、と、思う。」
「…うん。」
「こうやって、何をしたか、何を話したか、全部報告するから。…信じて欲しい…。」
「…うん。」
若井は、視線を下に向けたまま、僕の言葉に頷き続けた。
「…涼ちゃん。」
「…なに?」
緊張が走る。
「…早くお風呂入って?ハグできない。」
僕は、はは、と笑って力が抜けた。若井が笑いかけて、リビングへと戻っていく。僕は先にトイレを済ませてから、お風呂に入る。
今日は、準備しておく日だと、思ったから。
歯を磨いてからリビングに行くと、若井が歩み寄ってきた。ぎゅーっと抱きしめて、僕の肩に顔を埋める。
「…お仕事、どうだった?」
「ん…音楽番組の進行だって。」
「へえ、MCか、難しそう〜。」
「んー…。」
若井がグリグリと顔を動かす。くすぐったくて、身を捩って笑った。
「…シたい…。」
若井が小さく呟く。僕は頷いて、応える。
「…滉斗、ベッド行こ。」
僕が手を引くと、若井は嬉しそうに付いてきた。
その夜僕は、目一杯慈しむように、愛しい気持ちを込めて、若井と身体を重ねた。
それからは、元貴が『来て欲しい時にはちゃんと言うから』という事で、僕たちが毎日通う事はなくなった。
地方公演をこなしながら、治療を続け、元貴がたまに僕たちを呼び出す。三人で過ごすときは、だいたいゲームをして遊んでいた。
時々、僕だけを呼び出すこともあったが、元貴が寝る時に手を繋いで、寝入った後に僕が部屋を出ていく。ただ、それの繰り返しだった。
そして、そういう日は必ず、僕は若井の家へと帰るのだった。
そんな、それぞれが大変な生活を送る中、FCツアーが3月頭にファイナルを迎えた。無事に走り終えたときは、三人で少し泣いた。
ツアー中はもちろん、それ以降も、元貴は制作に尽力する毎日だった。無理が祟ってまた倒れるようなことがあったら、と僕は心配していたが、元貴は苦しみながらも、心から今の状況を楽しんでいるようだった。
ある日、元貴から若井へ新曲のギターフレーズが渡され、その最高難度のものに、若井は連日苦戦しているようだった。毎日自宅で練習をする為、僕は邪魔しないように会うのを控えるようになっていた。
3月末になると、僕のFCコンテンツのソロ企画で、一泊二日の強行地方ロケが予定された。その数日前に、ダメ元で若井に会えるかと聞いたら、時間を作ってくれた。
「すごいロケになりそうだね。」
「君たちのダーツのおかげでね。」
すごく久しぶりに、若井の家で過ごす。
「ソロ仕事頑張りたいって思ってたけど、いざとなると不安すぎる〜。」
「ホントのソロだもんね。頑張って、りょっピー。」
若井が人懐っこい顔で笑う。
若井の腕の中でロケへの不安を吐露していると、スマホが震えた。元貴から、今度の夜に家に来て欲しい旨の連絡が入った。かなり久しぶりの呼び出しだが、僕だけに連絡が来ている。僕は、スマホ画面を若井に見せた。
「…この日、行ってくるね。」
「うん、いってらっしゃい。」
若井は、あっけらかんと応える。ふう、と小さくため息を吐くと、続けて若井が話す。
「…その日さ、俺、予定入ってるんだ。」
「あ、そうなの?」
「うん、だから、夜会えないや、ごめん。」
「ん、わかった。自分の家に帰るよ。」
若井は、じっと僕の顔を見つめて、そっとキスをした。
さらにその後には、若井もソロの仕事の収録が入ってきて、春を過ぎると、なかなかプライベートで若井と会うことが難しくなってきていた。
音楽番組で、アーティストさんたちとも繋がりが増えたのか、若井は、僕がたまに元貴の家に行く日に、予定を入れることが増えた。
「俺も遊びに行ってるし、涼ちゃんも気遣って俺ん家に帰ってこなくてもいいからね。」
「うん、わかった。」
そんな風に言われると、僕は頷くしか無かった。確かに気を遣って、元貴の家から若井の家に帰っていたのもあるが、決してそれだけではない。僕が、若井に会いたかったのだ。
でも、自分勝手に、呼ばれれば元貴の家へ通うくせに、若井に待ってて欲しいなんて、とても言えなかった。
ミセスの仲間としてしか若井に会えない日々が続いて、僕は少し不安になった。このまま、微妙な関係でいてはいけない。僕のこの曖昧な態度こそが、その元凶なのだと、そう思った。
だから僕は、元貴が安定している今、はっきり伝えておこうと考えた。
スタジオでの休憩中に、元貴に声をかける。
「元貴、ちょっといい?」
「うん?」
「最近さ、すごく落ち着いてるように見えるんだけど、どうかな?」
「うん、まあ割と。」
「そう、よかった。だったらさ、もう、元貴の家に一人で行くのはやめておこうと思うんだ。やっぱり…悪いしさ…。」
「…ん、わかった。」
「ごめんね。また三人で集まろうよ。」
「そだねー。」
僕は、ホッと胸を撫で下ろした。元貴に、合鍵を返す。これで、元通りだ。若井にも、なんの後ろめたさもなく、会える。
そう思っていたのに。
6月のある日、僕たちの制作したMVが解禁になると同時に、それが瞬く間に炎上の一途を辿った。歴史的背景に配慮がなってない、というのが理由だった。
あちらこちらから、様々な言葉で、また恐らくは様々な理由で、僕たちを非難する投稿や記事なんかも散見された。
元貴とスタッフたちの対応は驚くほどに早く、『大森元貴』の名前で謝罪文も出した。
僕と若井は、チームの大混乱の中、またも元貴を支える事しかできなかった。
そして、人前で演奏するという事が少し怖くなった。お客さんは、どんな目をしているんだろう。どんな顔で僕たちの曲を聴くのだろう。
でも、僕が不安になっている場合じゃない。元貴は気丈に振る舞って、ミセスの大きくなり始めた船を決して沈めないように、踏ん張っている。
そして、元貴もだけど、若井の方も心配だった。彼は僕なんかよりもよっぽど素直さを持ち合わせていて、そして明るく優しいが故に、こういった悪意にあまりに耐性が無さすぎた。
騒動に対する謝罪文から翌日、歌番組の生放送に出演した。
元貴は、粛々としながらも、必要な笑顔を絶やさない。僕も、頑張って笑顔を造る。若井は、誰よりも表情が固く、今にも泣き出しそうな雰囲気を纏っているように見えた。
曲を披露する前に、僕は念入りにピアノの旋律を確認する。大丈夫、指は動く。
三人で輪になって、背中を叩き合う。元貴が、僕と若井と目を合わせ、自分たちなら大丈夫だと、声をかける。
必死で、ただ、届けることだけを考えて、僕たちの演奏が終わった。割れんばかりの拍手、僕たちを迎えてくれた出演者の皆さん、そして、放送を見守ってくれていたファンのみんなの応援の投稿、全てが、暖かく僕たちを包んでくれた。
僕たちの船が、ボロボロになりながらも、みんなで修復を重ね、過ちがあればそれを正し、同じ過ちは繰り返さない。そんな風にしてまだまだ進んでいける。また一つ自信をもらえた出来事だった。
そんな大変な時期にも関わらず、若井は、僕が会えるかと打診した日には、ほとんど予定が入っていて、なかなか二人で会うのが叶わない。彼の不安そうな姿が、目の前に見えているのに、支えられない。
支えさせてもらえない…?
一抹の不安を感じていた頃、珍しい人から連絡が来た。
『涼架くん!次のツアーが始まる前に、一回ご飯行こうよ!!』
阿部さんからだった。しまった、色々あり過ぎて、すっかり連絡するのを忘れていた。もう、あの楽屋挨拶から、半年ほど過ぎている。
僕は、すぐに空いている日を羅列して、阿部さんに送り返した。
「お疲れ様です〜。」
「あ、おつかれ〜。」
完全個室の創作料理屋で、阿部さんと落ち合う。今日は、二人とも何もない夜なので、ゆっくり過ごせそうだ。
お酒で乾杯して、美味しそうなお料理に舌鼓を打つ。
「涼架くん、大変だったね。本当にお疲れ様。」
「あ、ありがとうございます。ごめんなさい、ご心配をおかけしました。」
「いやでもすごいよ、ミセスさんは。あの対応は流石としか言いようがないね。僕は、音楽に最大の誠意を持って乗り切ったミセスさんは、すごく誠実だと思ったよ。」
「ありがとうございます…そう映っていたなら、本当にありがたいです。」
「…涼架くんさ、同い年なんだから、もう敬語やめてよ。」
「あ、うん、そうだね、ごめん。」
「阿部『さん』もね。」
「あー、じゃあ、亮平くんで。せっかく同じ『りょう』だもんね!」
「はは、うん。」
亮平くんは、人の輪を広げるのが得意なのだそうで、さすが、話がとても弾む。僕の支離滅裂な話も、うんうんと楽しそうに聞いてくれるし、話を広げてくれたりもする。
「あー楽しい、久しぶりに友達と喋ったかも。」
亮平くんがサラッと言うので、僕も胸が躍った。
「『友達』って言ってもらえると、すごく嬉しい!僕も亮平くんと友達になれたらいいなって思ってたから。」
亮平くんがお酒を口にしながら、目を丸くして僕を見る。
「…涼架くんって、いつもそんな感じ?」
「ん?どんな?」
「いや、なんていうか、…人たらし?」
「え、そうかな。」
「うーん、これは恋人は苦労しそうだな。」
亮平くんが苦笑いして呟く。僕は、さっと顔を曇らせてしまった。
「ん、心当たりあり?」
「…どうだろ…。」
「恋人いるんだ。」
「…うん。」
「いいね、どんな人?」
「カッコよくて、優しくて、クシャって笑って、甘えんボー…で、脚が長い。」
亮平くんがプッと吹き出す。
「あんまないね、その褒め方。」
「そう?」
「んー、じゃあ、その人は、楽器弾けますか。」
「うん、すごく上手だよ。」
「歌は上手ですか。」
「プッ、ううん、すんごい歌い方。」
「その人は………若井さんですね?」
僕は、息が止まるんじゃないかと思った。亮平くんは、ニヤリと笑っている。
「んー、涼架くん危なげだな〜、わかりやす過ぎ。」
「ど、どう…。」
「気をつけなね。」
亮平くんは笑って、お酒を煽る。
「…引かないの?」
「んん、引かない引かない。結構多いから、この世界。」
「そうなの?」
「うん。その昔は身分の高い人ほど男色は当たり前だったんだから。」
「その昔って…。」
「芸能界だって、結局綺麗どころの集まりでしょ?どっちでもオッケーって人多いよ。」
「そう…なんだ…。」
驚いている僕を、亮平くんがじっと見つめる。
「………涼架くん、気付いてない?」
「え?」
「結構、有名なんだよ?」
「なにが?」
「涼架くんが。 その界隈で。」
「どの?」
「芸能界の男色の皆様。」
「はい!?」
僕が固まっていると、亮平くんがご飯を食べながら、話を続ける。
「んー、んま。…僕、人脈広げるの得意だから色んな人と会うんだけどさ、その辺の人達結構涼架くんの話してるらしいよ。」
「ど…な…。」
「うん、だから、大森さんが色々やってんだと思うよ。」
「…え?」
僕の箸を持つ手が止まる。亮平くんはヒョイとご飯を口に運びながら、話す。
「ん、これも知らない?じゃあ言っていいのかな…。」
「え、お、教えて…ほしい…。」
「…うん。大森さんと仲のいい…まあバレると思うから言うけど、ニノさんね、その筋からの話なんだけど。」
「うん。」
「なんか、涼架くんがその辺の人達の話題になってるっていうのが、えーいつ頃だったかな…ああ、あれだ、あのー、ライブ、ドームライブの後あたり。」
「…アトランティス…?」
「ん、そうそう。それの後くらいに、なんか話題になってたらしくて。それで、大森さんがニノさんに相談して、どんどん人脈広げて、涼架くんに悪さされないように根回し?みたいなのしたり、涼架くんに怪しいヤツが近づいて来ないように仕事止めたり、みたいな事やってるらしいよ。」
僕は、手が震えた。カゲヤマが、もしかしたらその一端だったのかも知れない。アイツの一件があってから、元貴は一人で動いてくれていたんだ、僕を守るために。
人脈を広げるのは、ミセスの為、ひいては、僕のためでもあったんだ。本当に、仕事の一環として、そして、僕を守る為にやってくれてた…。
それなのに僕は、他の人と遊んでばかりで寂しいだの、僕だってソロ仕事がしたいだのと、元貴に不満ばかりぶつけて…。
「…だからさ、正直意外だった、大森さんじゃなくて、若井さんなんだーって。」
「…え?」
「てっきり、それ聞いてさ、ああ大森さんてもしかして涼架くんのこと好きなのかなって思ったから。だって、いくら仲の良い大事なメンバーだからって、その守り方は成人男性に対してはちょっと異常なくらいじゃない?だから、涼架くんが恋人いるって言った時、大森さんだと思った。ごめんね、こんな事言って。」
僕は、我慢できなくなって、涙を零した。
「…僕が、ダメにしちゃったんだ…。」
「…ん?」
「も、元貴と、付き合ってた…のに…。元貴の、そんな、事も知らずに、不満ばっかり、ぶつけちゃって…。」
「…そうだったんだ…。」
「僕…ホントにバカだ…。」
おしぼりで目元を抑えて、なんとか涙を止める。亮平くんが困ってるから、早く泣き止まないと。
「…ごめん、でも、教えてくれてありがとう。」
「うん、こっちこそ。なんかごめんね。」
「ううん、そんな…。」
「でも、素敵だね。そうやって、メンバー同士で想いあって、助け合ってさ。」
「…うん…。」
「僕もさ、メンバーになんかあったら、力になりたいとは思うけど、なんせ人数多いからなぁ。」
はは、と亮平くんが笑う。僕も力無く笑顔を作る。
「だからさ、涼架くんも、もしうちのメンバーがどこかで困ってたら、助けてあげてよ。」
「うん、僕でよければ。」
「もちろん。」
「…亮平くんも、優しいね。こうやって、メンバーのために、根回し、してるんでしょ?」
「んー、でも、涼架くんはそれだけじゃないよ?本当に、友達になりたくて、声かけたんだ。」
「うん、ありがとう。僕も、頑張るよ。」
「空回りしないようにね。」
涼架くんちょっと危ういから、と亮平くんが笑った。
亮平くんに別れを告げて、僕は早速スマホでメッセージを送る。
『今日、今から行っていい?』
しばらくのち、スマホが通知を示す。
『いいよ』
僕は、すぐにタクシーを拾って、目的地へと急いだ。
コメント
23件
はぁー!!最高すぎるっ!!色んな角度から新しい刺激が入ってきて読むのが止まらない…
ほんっっとに大好き。この作品。最新話も楽しみに待ってます。
お忙しい中、更新ありがとうございます🥹✨ 私は体調不良かな?!💦と勝手に心配していたので、そうでないと分かり、ほっとしました🫶笑 💙のそっけなさも気になるし、♥️くんの仕事の本当の意味も知り😭 切なくて、そしてあともう少しでと思うとめちゃ寂しいです😭😭 いつも更新、ありがとうございます🫶