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和葉からの連絡を受けて身構えてはいたが、八尺女を察知した時、不覚にも琉偉は身震いしてしまった。
八尺女が近づけば、琉偉程の霊能者ならすぐに理解出来る。アレは相当古い怨霊だと。
つまりひきこさん達のような、急造の怪異ではない。古くからとある地域に存在する伝承の存在。数十年も前から負の霊力を、怨念を溜め込み続けた怨霊なのだ。
「……先生……!」
「わかってるよ。准、離れてな」
どうせ言っても聞かなかったとは思うが、琉偉は准を連れてきてしまったことを今更反省する。ある程度自分の身は守れるよう鍛えたつもりだったし、一応刀も持たせてはあったが、万が一の場合助けてやるのは難しいかも知れない。
「ぽっ……ぽ、ぽ、ぽ……」
不愉快で不規則な半濁音が聞こえてくる。ゆらりと姿を現したのは、異様な程に背の高い、白い女だった。
白い鍔広帽に白いワンピース。長い黒髪の隙間から、半濁音は聞こえ続けている。
女を見上げる、というのは琉偉にとって初めての経験だ。想定以上の威圧感に気圧されつつも、琉偉は牽制の一手を打つ。
素早く投擲された手裏剣だったが、それらは全て八尺女に当たることはない。見えない何かに阻まれ、八尺女の足元へ落下した。
「ガードの固い女、嫌いじゃないよ」
霊壁を相手にするなら、飛び道具よりも接近戦の方が有効だ。霊力を込めて投擲するよりも、霊力を流しながら直にぶつける方が威力は高くなる。
琉偉が邪蜘蛛を構えると同時に、今まで棒立ちだった八尺女が動きを見せる。
こちらへかざした八尺女の両腕は、不規則な動きで琉偉へ伸びてくる。咄嗟に琉偉は跳躍し、その両腕を回避した。
八尺女は数瞬、琉偉の落下を待ったがすぐに違和感に気づく。しかしその時には既に、上空から琉偉が斬りかかっていた。
「そらよッ!」
振り下ろした一太刀で霊壁を切り裂き、更にもう一太刀。八尺女の身体を、下から振り上げるようにして切り裂く。
「流石ッス!」
琉偉は跳躍する寸前、上空に邪蜘蛛で霊力の網を張っていたのだ。琉偉は跳躍した後そのまま網に張り付き、あえてワンテンポ遅らせてから八尺女に攻撃を仕掛けたのである。
不意打ちを喰らって後退する八尺女だったが、すぐに反撃に出た。
「!?」
不自然に伸びた八尺女の両腕が、二つの方向から琉偉へ迫る。右手は上から、左手は後ろからだ。
前進すればそのまま追われ、左に避ければ巻き取られかねない。即座に右へ回避する琉偉だったが、上からきていた右腕はその状態から直角に軌道を変えて右へ伸びてくる。
「おいおい!」
どうにか邪蜘蛛を盾にする琉偉だったが、八尺女の力は想定よりも強い。そのまま踏ん張るよりも受け流した方が適切だろう。
しかし右手を受け流して回避しようとした瞬間、琉偉は耳元で半濁音を聞いた。
「ぽ、ぽ、ぽ、ぽ、ぽ」
首だ。
両腕の次は、首が伸びて琉偉へ接近してきているのだ。
流石に想定出来なかったのか、琉偉はこれを回避出来ない。なんとかもがいて、噛みつこうとする八尺女から逃れようとしたが、左肩を思い切り噛みつかれてしまう。
「ッ……!」
一瞬骨まで行き届いてしまったかと錯覚する程の激痛だ。深く噛み付いた八尺女は、えぐり取るようにして琉偉の左肩を噛み千切ろうとする。
「品がないのは……良くないよ!」
だが琉偉はこの瞬間を好機と判断し、伸び切った首に対して邪蜘蛛を振り下ろす。しかしその一撃は、霊壁によって阻まれてしまう。
(――――再生が早い……ッ!)
自ら身体をひねり、左肩を噛み千切らせながら琉偉は転がるようにして距離を取る。最も、あんな動きが出来る以上、八尺女相手に距離を取ることに意味はなかったが。
「せ、先生!」
「来んな!」
そう叫んだ瞬間、八尺女の姿が琉偉の目の前から消えた。
振り返れば、八尺女は准の目の前まで迫ってきているのが見える。恐らく琉偉を飛び越えていったのだろう。
交戦中の琉偉よりも准を優先する理由がよくわからない。若い男性を狙う性質上、琉偉よりも若い准を優先したのだろうか?
(……いや、違う。八尺女は、はなから俺にも准にも興味はない)
そもそも琉偉も准も、八尺女にとっては邪魔なだけなのだ。彼女の目的は最初からただ一つ、蒼汰だけだ。
「――――准!」
とにかくすぐに准の元へ駆けつけようとする琉偉に、和葉から通信が入る。
『琉偉さん! 真島冥子です!』
「何だって!?」
そして次の瞬間、異常なまでのプレッシャーを背後から感じた。
「はぁい」
「――――ッ!」
一閃。腕が落ち、邪蜘蛛がカランと音を立てる。
『琉偉さん!? 琉偉さん!?』
「だめよ和葉ちゃん、もっとはやく気づかないと」
その場で膝から崩れ落ち、琉偉は困惑したままその女を見上げた。
降り出した雨が、地面に転がる右腕を洗い流していく。
「でもすごいのね。私これでもギリギリまで気配を殺してたのよ?」
紫色の瞳が、苦痛に耐える琉偉を見下ろしている。
気づかなかった。気づけなかった。
もし和葉が先に気づかなければ、八尺女に気を取られている内に殺されていただろう。腕だけではすまなかったハズだ。
「これじゃあ一対一にもならないわねぇ」
一方、准は琉偉程のダメージこそ負っていないものの、窮地に立たされていた。
必死で刀を振り回して攻撃する准だったが、彼の練度では霊壁を突破するに至らない。何度攻撃してもまるで当たらず、准は八尺女に弾き飛ばされ、石段に身体を叩きつけられた。
「……八尺女を……連れ込んだのは……おたくかい」
「あらそう見えた? 彼女、外に出たがっていたから少し協力してあげたのよ」
どうやら琉偉の予想は的中したらしい。
八尺女が陰須磨町に現れたのは、真島冥子の仕業だったのだ。
「目的はなんだ……? なにがしたい……?」
続けざまに問う琉偉を、黒いヒールが蹴りつける。その衝撃で、琉偉のつけていたインカムが外れてしまう。
「教えてあげても良いけど、その代わりに次はもう片方の腕をもらっちゃおうかしら」
「……おいおい困るよ……それじゃ、誰も抱きしめられない」
「それなら代わりに、キスでもしてあげなさいな」
「……されたこと、ないのか……? キスは、抱きしめてからするもん……だぜ」
口の減らない琉偉に、冥子はつまらなさそうに嘆息し、大鎌へ変化した左腕を振り上げる。
「その腕、寄越しなさい」
冥子がそう呟いた瞬間、琉偉は何かに気づいて目を見開く。
「そうか……お前、は……」
だが次の瞬間にはもう、大鎌は振り下ろされていた。
***
完全に事切れた琉偉と、気を失ったままの准。その二人をチラリとだけ見て、冥子は余裕たっぷりに歩いていく。
石段の前では、八尺女が必死で見えない何かを右手で叩き続けている。恐らくこの神社全体に張られている結界だろう。
これが張られている限り、八尺女は中には入れない。
「相変わらず立派な結界ねぇ」
クスクスと笑いながら歩み寄り、冥子は結界に触れてみる。この強固な結界がある限り、悪霊の類はそう簡単には中に入ることが出来ないだろう。八尺女程の怨霊でも、この結界を破ることは難しい。
だが冥子は笑い続ける。
理由は簡単だった。
この結界は冥子にとっては、障害でもなんでもないからだ。
「詩袮さん、どんな顔するかしらねぇ」
大鎌を振り上げ、冥子はニヤリと笑う。そして一気に振り下ろすと、神社全体に張られていた結界が一撃で破壊された。
結界は術者の霊力によって張られるバリアのようなものだ。正面から破る方法は一つしかない。
結界を上回る霊力をぶつけることである。
ゆっくりと。八尺女が石段を登り始める。その隣を、冥子も悠然と登っていった。
「ふふふ……あはははははははは!」
何もかもが思い通りにいくかのような心地良さの中で、冥子は声を上げて笑う。
降りしきる雨の中、彼女達を止められる者はもうその場にはいなかった。
***
冥子と八尺女がその場を去ってからしばらくして、ようやく准は目を覚ます。
頭はまだ痛むが、すぐに気を失う前の状況を思い出して辺りを見回した。
「……先生?」
八尺女と冥子はおろか、琉偉の姿すら見えないことに准は困惑する。もしかすると琉偉が全て終わらせてしまったのではないかとほとんど願望のような期待をしてしまったが、石段の上から感じる異様な気配に気づいて首を左右に振る。
そしてなんとなく、察してしまった。
「……先生……。どこッスか、先生……」
か細い声で呼びかけても、答えはない。
暗闇でよく見えない。
恐る恐る歩いていると、何かを踏みつけてつまずきかけた。
「……あ……」
腕だ。そしてその手元には、見慣れた刀が落ちている。
「う、嘘だ……」
それが何を意味するのか理解して、准は後退る。すると、今度は腕よりも大きなものを踏みつけそうになってしまう。
雨が、雨が止まない。
「せ、先生……先生!」
そこに横たわっていたのは、両腕を失った番匠屋琉偉の遺体だった。
「先生!」
飛びついて揺さぶっても、返事はない。
身体は凍っているように冷たく、硬い。あまりにも無残なその姿を見て、准は胃の中のものを全て吐き出してしまいそうだった。
「う、うわあああああああああああああああああああああッ!」
准の涙も絶叫も、かき消してしまうかのように雨はいっそう強く降り続けた。