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ある幼稚園で年中の明るい子供と、二歳上の兄が居た。
ある日、親が喧嘩して母親が出ていき父親が私にこう言った。
父「急でびっくりすると思うけど、明日からお母さんは居ない生活になる、これからお前達はすごく苦しいと思うけどお父さんと頑張ろうな」
私はそれを聞いている時、自分でも分からないが落ち着いていた。今思うと、親同士がよく喧嘩をしていたからなのかもしれない。
私、兄「分かった」
それから何週間か経ってから、幼稚園生活がガラッと変わってしまった。
私が他の子達と遊んでいると、子供の親御さん達の声が聞こえた。
親御さん1「あの子の親、離婚したらしいわよ、父親の方が親権を持ったみたい」
親御さん2「それは大変ですねー、でも父子家庭で子供の躾とかちゃんとできるんですかねー?(笑う声)」
私はそれを聞いた時は、よく分からなかったため何も思わなかった。
また何日か経ってから、父親と兄で夜ご飯を食べている時、父親がイライラしていたのか分からないが、急に子供への当たりが強くなっていった。
父「夜遅いから早く寝ろ」
私「まだ寝たくない、遊びたい」
父「大きい声出させんなよ??」
それから度を超えていき、何か私達に気に食わない事があった時は、私や兄を叩いたり祖母に怒鳴ったりをしていた。
それから父親の躾が暴力となり、私は怒りを暴力でしか表現できなくなってしまった。言葉よりも暴力の力の方が、圧倒的に言うことを聞くと思ったからである。
それから私は何かされた時、嫌な事を言われたりした時に暴力を振るい、喧嘩をよくしていた。
そうする度に、他の子達の親御さんから父親と私はこう言われていた。
親御さん1「またあの子喧嘩したみたい、やっぱり父子家庭はダメやね」
親御さん2「まぁあの子の家庭、父子家庭ですからねー」
そのことをどこから聞いたのか分からないが、父親が知った日から父子家庭と言われないために、私達への躾は日に日に増していった。
ご飯を食べる時の丁寧さ、他の親御さん達へ話すときの話し方、接し方など厳しく教わった。
それでも結局は父子家庭だからと言われていた。今思えば、私が喧嘩してしまうからだろう。
喧嘩した日は、よく幼稚園から電話がかかってきて祖母がでて謝っていた。祖母にはよく怒られていたが、何故か父親はこう言ってきた。
父「また喧嘩したんか??勝ったんか、負けたんかどっちや??」
私「勝った」
父「ならええ、喧嘩するのはいいけど負けんなよ」
私は父子家庭になってから褒めてもらっていなかったため、喧嘩で勝ったら褒められると勘違いをするようになってしまった。
それから父親には喧嘩は絶対負けるなと指導され、負けたら説教されるという生活になった。
父子家庭になってからすごく貧乏になり、私達は欲しいものは買って貰えないようになった。
だから私達は子供ながらに泣かない、ワガママを全く言わない性格になった。父親からすればお金に苦しいため有り難かったろう。
1年が経ち、お正月が来た。お正月と言えば、初詣とお年玉だ。
ある日、祖母の弟さんからお年玉が私の家宛に届いていた。私と兄はまず祖母の弟さん達と電話で感謝を伝えた。
私、兄「新年明けましておめでとうございます」
祖母の弟「おめでとう、お年玉一人、一万円ずつで好きなものに使うもよし、貯金するのもよし、自由に使いね?」
私、兄「やったーーー!!ありがとうございます!!!」
私と兄は飛び上がるほどに大喜びだったが、電話が終わってから父親が静かにこう言った。
父親「それは生活費と初詣の時に使う、お前等は千円で充分や」
私、兄「え(小声)、、、分かった」
私と兄は一万円が千円に変わり、凄く悲しかった。だが我慢をしなくては父親に殴られるかもしれないため我慢した。
数日後、初詣に父親、祖母、兄、私で行き、美味しい屋台がたくさんあったが私と兄が、食べたいと言ったものは、いつでも食べれると却下された。
でも何故か、りんご飴だけは買ってくれて持って帰り、その次の日に食べたが凄く美味しかった。りんご飴はいつでも食べれるわけでは無いから買ってくれたんだろうと思った。
それから小学生になり、喧嘩は変わらず親の躾、教育は暴力となり増していく……
(第二話へ続く)
今思うと子供の親って言うのは、片方の親が居なくなることによって考え方や子供の接し方が変わるんだなと感じた。
そして躾は間違っていたのか、間違っていなかったのか定かではないが、小さい子供は初めの躾の仕方によって性格が変わってしまうと感じた。
そういうことをしている親御さん達に届いて欲しいとすごく願う。