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約束のあとに訪れたもの
それは、いつもと同じ、静かな午後だった。
澪との距離は、もう“近づいた”ではなく、“寄り添っている”と言えるものに変わっていた。
放課後に二人で美術室に残る日が増え、何でもない会話の中に、小さな笑顔がこぼれるようになった。
そんなある日、翔太はふと澪に尋ねた。
「文化祭、さ……一緒に何か出さない?」
「……え?」
「絵でもいいし、なんか澪がやりたいこと。俺、手伝うから」
澪は一瞬、驚いたように目を見開いたあと、ゆっくりとうなずいた。
「……じゃあ、展示をやってみたい。自分の“本当に描きたいもの”を出してみたい」
「うん、それやろう。俺も……自分の意思で何かを“見せる”ってこと、ちゃんとやってみたいんだ」
その約束は、ふたりのなかで静かに光り始めていた。
翔太は、美術室に澪の姿がないことに気づく。
「体調悪いのかな」と思い、授業が終わったあと、彼女にメッセージを送った。
“どうした? 今日いなかったけど、大丈夫?”
しばらくして、返信が届いた。
“ごめん。ちょっと、家のことでバタバタしてる。また落ち着いたら、ちゃんと話すね。”
その文面には、どこか不自然な“距離”がにじんでいた。
(……何かあった?)
その夜、不安を拭いきれないまま翔太は眠りについた。
澪は学校に来なかった。その次の日も、次の日も。
三日目の放課後、翔太は意を決して、再び彼女の家を訪ねた。
インターホンを押しても、返事はなかった。
隣の家の奥さんが、翔太に声をかける。
「あら、君……一ノ瀬さん家の子? 今朝、引っ越しのトラック来てたわよ」
「……え?」
「なんか、お父さんの転勤か何かで、急にね」
頭が真っ白になった。冗談だろ? 文化祭、一緒にやるって言ったじゃないか。
翔太はポケットからスマホを取り出して、再び彼女にメッセージを送る。
“澪。引っ越したって本当?何も言わずに行っちゃうの、ひどいよ。”
既読は、つかなかった。
その夜。寝る前、翔太のスマホが光った。
“ごめん。言えなかったの。怖かった。もう、誰かと約束をして、それを守れないのが、悲しくて。でも、翔太くんといた日々は、本当に、救いでした。ありがとう。”
最後にお願い。――どうか、自分の選んだ道を、後悔しないで。
翔太は、画面を見つめたまま、静かに目を閉じた。
涙は出なかった。
でも、胸が痛くてたまらなかった。
文化祭の約束と告白
朝の校庭は、いつもよりざわついていた。
生徒たちは準備の最後の追い込みに追われ、教室の窓からは楽しそうな声が漏れてくる。
翔太は、ひとり美術室の前で深呼吸をした。
壁に貼られた澪のスケッチや、二人で描きためたポスターが、朝日に照らされて輝いている。
「今日は、絶対に成功させる」
胸の中で強く誓った。
文化祭は、澪の提案で「“見えない心”をテーマにした作品展示」だった。
一枚一枚の絵は、澪の心の奥底にあった孤独や痛み、そして少しずつ広がる希望を映していた。
訪れるクラスメイトたちが、その絵をじっと見つめる。何人かは小さく息を呑み、ある者は静かにうなずいていった。
昼過ぎ、翔太は展示の前で待っていた。
「澪、来てくれるかな」
心配で胸がざわつく。
その時、廊下の向こうから彼女が歩いてきた。
少し痩せたけれど、澪は笑っていた。
「来てくれてありがとう」
翔太は強くうなずいた。
「約束だ。俺たちの作品だ、最後まで一緒にやろう」
澪は目を潤ませて、小さく頷く。
文化祭の終わりが近づく頃、人混みが少し落ち着いてきた。
翔太は決心を固めて、澪を隅の静かな場所に誘った。
「澪……」
「うん?」
「ずっと、言いたかったことがある」
彼女の目をまっすぐ見て、翔太は声を震わせずに言った。
「俺は、もう誰かに流されたくない。自分の意思で、自分の気持ちで動きたい。だから……澪のことが好きだ。好きになった」
一瞬、時間が止まった気がした。
澪は涙をこぼしながらも、優しく笑った。
「翔太くん……ありがとう。私も、ずっとそう思ってた。怖かったけど、嬉しい」
二人は、ぎこちなく手をつなぎながら、初めての未来を一緒に歩き出した。
エピローグ
あの日の文化祭は、二人にとって“選択と覚悟”の象徴になった。
翔太はもう、誰かに流されることなく、自分の道を歩いていくと決めた。
澪も、過去の痛みを抱えながらも、新しい自分を見つける一歩を踏み出した。