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真帆の叫びが砂漠の空気に吸い込まれていったあと、世界が一瞬だけ止まったように感じた。耳鳴りがして、風の音すら遠い。
胸の奥に沈んだ冷たい石のような感覚が、まだ抜けてくれない。
それでも、現実は残酷なほど静かにそこにあった。
私と真帆は、ゆっくりと砂の上に転がる“死体”へ近づいていく。
足が重い。
砂に沈むたび、心まで沈んでいくようだった。
真帆は、さっきまで荒れ狂っていたのが嘘みたいに、歩幅を小さくしていた。
肩が震えている。
怒りでも恐怖でもない、もっと別の何か──祈りのようなもの。
「千夏……?」
その声は、かすれていた。
叫びでも怒号でもない。
ただ、届いてほしいという願いだけが滲んでいた。
胸が締めつけられる。
千夏じゃないでほしい。
でも、もし千夏だったら──そんな最悪の想像が頭をよぎる。
砂に転がる体は、血でぐしゃぐしゃになっていて、顔も分からない。
それでも、どこか千夏に見えてしまう。
似ている。
似ているからこそ、怖い。
真帆が震える声で言った。
「スカート……うちの学校のに似てる……」
私も思った。
似ている。
似ているから、余計に息が苦しい。
私は震える指で、ブレザーのポケットを探った。
中から固いカードが指に触れた。
電車のICカード。
そこには──
“ササキ レイナ”
と書かれていた。
「……千夏じゃ、ない。」
私がそう呟いた瞬間、真帆と目が合った。
胸の奥から、喜びがこみ上げてくる。
生きてる。千夏は生きてる。
そう思った瞬間──
私たちは同時に、その感情を飲み込んだ。
喜んじゃいけない。
ここには、ひとりの女の子の死体がある。
千夏じゃなかったとしても、誰かが死んでいる。
その事実を忘れて喜ぼうとした自分が、ひどく醜く思えた。胸の奥がずきりと痛んだ。
私はそっと、自分のブレザーを脱いで、彼女の体に掛けた。
せめて、無残な姿で晒されないように。
そのときだった。
砂の上で、何かがもぞりと動いた。
「……真帆! 生きてるやつがいる!」
私が叫ぶと、真帆はゆっくりと顔を向けた。
その目は、さっきの怒りとは違う。
冷たく、研ぎ澄まされている。
「わざと生かしておいたんだ。」
恐ろしく静かな声だった。
真帆の頭上には、淡い光の数字が浮かんでいる。
【レベル104】
さっきまで70だったはずなのに。
魔物を斬り捨てたあの瞬間、真帆は一気にレベルを上げていた。
そして、息も絶え絶えの魔物の頭上には──
【レベル33+1】
見たことのない表示だった。
真帆はその数字を見て、わずかに目を細めた。
「……思ったとおり。」
そして、確信したように続けた。
「“+1”……人間を殺した証だね。」
私は息を呑んだ。
「……つまり、この子を殺したってこと?」
真帆は静かにうなずいた。
「そう。だから、生かしておいた。」
重い意味が、ようやく理解できた。
“人間を殺した時の特別な力”──
あれを聞き出すつもりなんだ。
「奈月、赤い光。さっき倒したやつらの、全部集めておいて。」
「……分かった。」
私は周囲に散らばって浮かぶ、魔物たちの赤い光を一つずつ手に取っていった。
真帆は、何も言わずにその様子を見守っていた。
すべて集め終えると、真帆はゆっくりと魔物へ歩み寄った。
刀を、魔物の目の前に突き立てる。
魔物は、魔物らしくない声で震えた。
「殺さないでくれ……」
真帆は静かに言った。
「人間を殺した時の“力”。それについて話して。」
その声は淡々としているのに、魔物に逃げ場を与えなかった。
魔物は喉を鳴らし、観念したように言葉を吐き出し始めた。
「……人間を99人より多く殺すと……“扉”を開けることができる……人間界に自由に行き来できるようになる。」
「なんで人間界に行く必要があるの?」
真帆の声は低く、冷たい。
魔物は、喉を鳴らしながら答えた。
「人間の……憎悪を……喰うため……」
「お腹は減らないんじゃ……?」
私が思わず口を挟むと、魔物はゆっくりと首を振った。
「減りはしない……ただ……味はする…… 人間の憎悪の味は……最高らしい……」
その言葉を聞いた瞬間、背筋が冷たくなる。
“扉を開けるためには、人間が必要”──
じゃあ、私たちは……魔界に落とされた?
そんな考えが、胸の奥で重く沈んだ。
魔物は続けた。
「……だから……人間を……襲う。」
その言葉を聞きながら、私は喉の奥がひりつくのを感じた。
私たち以外にも、人間がいる。
そして──
魔界と人間界を繋ぐ“扉”が存在する。
魔物が話し終えると、弱々しく言った。
「……もういいだろ……見逃し──」
その言葉の途中で、真帆の刀が静かに振り下ろされた。
音すらなかった。
魔物の首が砂の上に転がり、赤い光がふわりと浮かび上がる。
その瞬間、真帆の頭上の数字が揺らぎ──
【レベル110】
と書き換わった。
私は息を呑んだ。
さっき104になったばかりなのに、また一気に上がった。
真帆は無言で赤い光を食べた。
その姿は、どこか“人間”から外れていくように見えた。
「……真帆。ねえ、ちょっと聞いていい?」
真帆は刀を払う手を止め、こちらを向いた。
「なに?」
「真帆ってさ……中学のとき、剣道の全国チャンプだったよね?」
真帆は少しだけ眉をひそめた。
「なによ、いまさら。」
「いや……知ってるよ。でも、それだけで魔物って倒せるのかなって……」
真帆は肩をすくめた。
「刀があれば、ね。」
「……刀が優秀なのは分かるけど、それだけじゃない気がするんだよ。」
自分でも、言葉が震えているのが分かった。
「だって……前にも思ったの。魔物の怯え方が、変だった。今日の魔物も……真帆そのものというより……“別の何か”に怯えてるみたいで……」
真帆は返事をしなかった。
ただ、静かに私の言葉を聞いていた。
「真帆の強さは分かってる。でも……それだけじゃ説明できない気がする。 なんていうか……真帆の後ろに、もっと大きな何かがあるみたいな……」
真帆は少しだけ視線をそらし、砂漠の風を見つめた。
「……奈月。今は考えても答えは出ないよ。」
「うん……そうだよね。」
「でも、一つだけ言える。私は奈月を守る。それだけは変わらない。」
その言葉は、妙に静かで、妙に強かった。
私はうなずいた。
けれど胸の奥では、さっきの疑問がまだ消えずに残っていた。
“真帆は、本当に人間なのか──?”
その答えは、まだどこにもなかった。
すべてが終わったあと、私たちは女の子の遺体を埋めた。
砂をかけ、石を積み、簡単な墓標を作る。
彼女の赤い光をそっと添えた。
指先に触れた瞬間、胸の奥がざわつく。
さっき倒した魔物の赤い光とは、まるで別物の温度だった。……温かい。
その温度が、胸の奥の深い場所に触れた。
気づいたときには、涙がぽろりと落ちていた。
悲しみなのか、悔しさなのか、
それとも──彼女が最後に残した“何か”に触れたからなのか。
理由は分からなかった。
真帆は少し離れた場所で、静かに私を見守っていた。
風の音だけが、砂の上をさらっていく。
私は涙を拭い、ノートを開いて赤い光の特徴を記録した。
白い芯がないこと。
温度が違うこと。
そして──温かかったこと。
最後にもう一度、墓標に手を合わせた。
ササキ レイナという名前だけを頼りに、せめてもの祈りを込めて。
真帆が静かに言った。
「奈月、行こう。千夏は生きてる。」
その声には、確信があった。
「……うん。そうだね。」
どこかで千夏は生きている。
そう信じて、私たちは再び荒野を歩き出した。
砂漠の風が、遠くで何かを運んでくるような気がした。