始業前5分に家を出ても数秒で教室に着く。門を使ってトイレの個室に移動すれば、登校時間など何分も必要ない。毎朝トイレから出てくる生徒というのも習慣化された日常に組み込まれれば違和感などない。実際私がかばんを持って出て来る所を教師にみられても反応すらされない。
私が教室に入ると何人かは私を見てひそひそ話始めるが、無視しておけば声をかけることも、かけられることもない。求めているのは静穏、下手に私の周りで騒げば諸共吹っ飛ばすので皆たかが外れたような興奮することは絶対にしない。前例は人に進歩を与えたのだ。
「ぐう…」
「おい、小野崎!起きろ!」
「通常業務をいつの間にか二時間増やすな天原さん…ぐう」
「ぐ…小野崎!授業中に寝るなと何度言ったらわかる」
うん?保険の授業かな。まだ寝たりないのだが、顔真っ赤にした体育会系教師が目の前にいるような。いやこれ現実か。寝ぼけ眼の雨がマイペースに背伸びをしていると教師は恒例となった説教を始めた。
「小野崎、もうバイト辞めろお前」
「高校入学前からの契約なのでどうしよもありません。教師のブラック業務の五割増が私の就労環境なので、クレームならダンジョン庁所属の私付き担当官の桜井さんにお願いします。これでも深夜残業が毎日のようにあるのに、全く残業代が支給される気配ないんですから」
「…毎度毎度お前の話は俺たち教師にぐさぐさ刺さるが、今日という今日は」
「ちなみに、軽く十四連勤中です」
「…うん、もう良いよ。寝てな」
雨の言葉に即座に手のひらを返した教師は、何事もなかったかのように授業を再開した。雨の過重労働過ぎる実態を知っているクラスメイトは誰一人として、雨の居眠りが怠慢によるものではないと承知しているため、邪魔をするような真似は誰もしない。
こんな雨だが、成績は良い。スキルの影響で勝手に五感が活性化されて、寝ていても人の話なんかを覚えていたりするのは密かに誇っている特技だ。故に教師からの叱責も軽いもので済んでいるのだが。
「雨さん」
「ん、なんですか?」
「この前貰った子猫のお守りなんですけど、話聞いた友達がどうしても欲しいって聞かなくて。その子も女子なんですけど」
「よし君にはこれを渡そう」
夕食を含めたお昼、二段重ねの弁当箱をすさまじい速度で食い尽くしていく雨に、同じクラスの女子が話しかけた。相談を聞いた雨がどこからか柴犬の木像を取り出して、彼女へ手渡した。実のところまだ余ってるからジャンジャン貰ってほしいいんだけど、そうもいかないよね。
「あ、ありがとうございます。感謝するようによく言い聞かせておきますね」
「いいですよ。正直なところ余りがあって処分に困ったりするので気軽に言ってもらえれば即座に用意できますからね」
「あ、あはは。でも、これを売り出せば結構な値段になると思うんですけど、どうしてしないんですか?」
「完全に趣味で作ってるから、個人的には値段をつけられるような商品でもないんです。効果も手抜きだったりしますし」
「いやいや!下層モンスターも撃退するようなお守りが値段も付けられないほど安価なわけないじゃないですか。これがあれば夜道も安心だし痴漢とか暴漢にもおびえる必要はないんですよ。私たち女子にとっては得難いものなんですからもっと誇ってください」
熱意溢れる女子の弁論にちょっと顔を引きつらせた雨は、弁当箱を閉じて話に親身にならなければ不義だと昼食を断念しそうになった。眉を下げて明らかに残念そうな雨の表情に、ハッとした女子はやりすぎたと内省した。
「…雨さん、食べながらでいいので聞いてください」
「え、いいの!それじゃあお構いなく頂きます」
「良かった…でですね雨さん。直接的に言ってしまえば、雨さんの作った物って大体が50万以上払ってもお釣りが来るものがほとんどだと思うんですよ」
「もぐもぐ…ですがね八代さん。手抜きの作り物です。金とるならオーダーメイド、こっちが素材持ちで最低二千円からです。効果のグレードは素材の形質によるので何とも言えませんが、いつもあげてるやつならお金にすらする段階ではないんです」
「…雨さん!無欲すぎますって」
何故か教室内にいるクラスメイト全員が頷いてるし、あなた達以心伝心のスキルでも獲得してたりする?それと八代さん肩つかまないで、食べにくいから。雨の思いが伝わったのか八代は手をおろして胸に手を当てて興奮を落ち着かせていた。昼食を食べ終わった雨は、捨てるはずだった木片をカバンから取り出して素手でそれらを削って組み合わせ始めた。
八代含めたクラスメイトは雨の超人ぶりを何度も見ているので驚きはしないが、多重に見える雨の手に何度も目をこすって凝視していた。染料を取り出した雨は、器用に片方の手で複数の筆を使って着色していた。
「…完成!はいこれあげる」
「狐面、和風ですね。てか木の板が何枚かあったよね、組み合わせてこうなる?」
「そこは私《わたくし》雨さんの企業秘密ですよ。その木面持って冬まつりにでも行くと良い事があるかもしれませんよ」
ふふと雨の怪しい笑みに生唾を飲んだ八代は、どんな効果があるのか聞かずにはいられなかった。
「…雨さんちなみにこの立派な狐面にはどんな作用が」
「意中の人には少しだけ可愛く見える」
「なんかパッとしませんね」
正直雨なら惚れさせるくらいには、能力を作れたはずなのだがそれに納得できない女子達は、固唾を飲んで八代に目線でプレッシャーをかけていた。
「そりゃそうだよ。本当に魅力的に見てもらいたいのは自分の努力して精一杯作り上げてきたところでしょ。その狐面は、精々仲良くなるための足掛かりに使うためのもの。それともチャーミングポイントをすべて道具に持ってかれたい?」
「そんなことない!…うん、雨さんらしい配慮ですね。ありがとうございます。なんか雨さんが色々理解してくれるから恋愛とかどうでもよくなってきそう」
大げさじゃない?ってあれ?後ろに控えてる女子の方々いつからいました。自然に居すぎて全く違和感なかった。それとみんな一様に頷きながら涙を流さないで、私がなんかしたみたいじゃん。
「女子高生なら一度は付き合ってみたいんじゃない?」
「それもそうなんですけど、雨さんの気遣いとか余裕とか見てると焦る必要もないかなって」
「うーん…確かに。けど、学生のうちだけだよ。リスクをあんまり考えずにお付き合いできるの。社会人のカップルだとさ、どうしても将来的な結婚とか視野に入れなきゃいけないし。相手をしっかり見定めるのにも時間がかかるからさ」
「う、痛いとこつきますね。だから経験は積んでおいて損はないと」
「勿論、付き合ってそのままゴールインしたいっていうのも賛同するけど、相手を知っていって良い所と悪い所を天秤にかければ案外いいほうに傾くからね、そこはもう、個人の判断基準ですよ」
わらわらと集まってきてはメモしだす人も出る始末。しかもその中には男子も複数みられる。君たち勉強熱心だね、間違いなく青春してるよ。
「でもでも、やっぱり顔とか見ちゃうと醒めてしまうのが実際には多くて」
あるよねそういうこと。うんうんと共感する雨は、なぜ自分が恋愛相談に乗っているのかその経緯を見失っていた。
「そういう時はね、相手を一旦ただの肉塊と思ったほうがいいですよ。難しければ少しづつ慣れていくしかありません。実生活では顔なんて微塵の役にも立たないんですからそれ以外の部分にも着目してあげてください。実際、顔に自信のない人はモテたいと思うとそれ以外のところを身ぎれいにしたり生活スキルを高めたりするのが主流ですから」
「なるほど、実利を考えていくんですね」
「あの、私の彼氏がもう付き合えないって突然電話をかけてきて。どうしても理由がわからなくて」
次が来た。私一般論しか言ってない気がするんだけど、いやまあ実体験を聞いたり自身でも見てきてるから実感のこもった発言はしてる。けれど、参考にはならないと思うのだが。
「その別れ宣言をされる直前、何かしら心当たりはありませんか?」
「特にありません」
「では毎晩電話などをかけたりしていましたか?」
「あ、それはもう。友達に相談したんですけど、特に問題はないって言われて」
「そうですか…たぶんそれですね」
え、と驚いたような八代とはまた別の女子。思いの外男子たちはそのことに納得しているのか確かにと頷いていた。君達こんなとこ来るのだから配慮とかなってないと思ってたけど、そんなことなかったね。経験でもあるの?
「まあ、これは大前提なんですけど男って熱い時と冷めた時の状態の差が激しいです。だから毎晩同じように喜んでくれるかと言ったら、それはノーです。疲れて眠りたいときもあれば友達と電話したいときもある」
「じゃあ私は見誤ったのかなあ。うわあ、ちょっと自信なくなってきた」
「肝心なのは見極めることです。スマホの向こうの相手が今どんな状態か察してあげるのも、男にはポイント高く見えます」
そう、大事なのは配慮だ。如何に本音を伝えながら相手の心内を察知してフォローできるかが鍵だ。しかし…。苦渋に顔を歪めた雨の反応に、幾人かは察しがついて同じように顔をしかめた。
「どうしました雨さん?」
「いや、うん。どう答えればいいか…一つ確認いいですか?」
「ええ」
「その友人と彼氏さんの関係って」
「幼馴染ですね」
あちゃあと額に手を当てた雨と複数人の反応にようやく気付き始めたクラスメイト達は、確かに何ともし難いと遠い目をした。ベクトルは違えど一番青春しているのではなかろうかと。
「えっと、これを渡しておきます」
「あ、はい。ありがとうございます。…何故に御守りを?」
その方に私から説明するには荷が重すぎるので他の女子の方々にお任せします。まあまあと連れていかれる彼女を見送って八代さんに向き合うと、彼女も複雑そうに口をもにょもにょさせていた。
「八代さん?」
「最悪…雨さんを…」
「雨さん、俺たちにも何か作ってくれない?」
「そうだね、女子ばっかり優遇する理由もないし」
八代が思考に沈んでいるため男子生徒に対応しだした雨が、そう言って懐から取り出したのは、木製のペンだった。短髪の彼に手渡すとまじまじとそれを見つめて首をかしげていた。
「雨さん?これ何か特殊効果とか」
「ペンは剣よりも強し。インクが切れない。空にも文字が書けて送りたい相手のところへ自動で行ってくれる」
「普段使いでもうれしいけど、やっぱり」
「災害時の不明者捜索とかにはもってこいの道具でしょう?」
「う…ありがとうございます」
天災の増えた近年ではそういうアイテムの需要は尽きない。ご神体をあがめるようにそろりそろりと去っていくのはシュールだった。八代さんも長い思案から戻ってきたようで、彼を見て冷えた目つきになっていた。
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