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第5話:完璧というなの絶望
涼架side
賑やかだった店内の空気が、一瞬で凍りついた。
自動ドアが開く音と共に、不釣り合いなほど洗練された香水の香りと、冷徹なまでの静寂が入り込んできたからだ。
「ーー見つけたよ、涼架」
その声に、僕は待っていたスプーンを落とした。カラン、と乾いた音が店内に響く。
店の入り口に立っていたのは、一分の隙もないコート姿の兄だった。
彼は周囲の視線を惹きつける圧倒的なオーラを放ちながら、優雅な足取りで僕たちのテーブルに近づいてくる。
「……お兄、ちゃん」
僕は椅子から立ち上がることもできず、ただ小さく震えた。
兄の目は笑っていない。冷たい湖の底のような瞳が、僕を射抜いている。
「驚いたな。生徒会にいると言っていたのに、こんなところで油汚れの染み付いた椅子に座って、不健康な甘いものを食べているなんて」
兄は僕の横に立つと、僕の肩に細長い指を置いた。まるで見せしめのように。
「……ごめんなさい。みんなが、誘ってくれたから……」
「誘われたから、嘘をついたのかい?涼架は本当に、意志が弱いね。僕がいつも言っているだろう。君は一人では正しい判断ができないんだから、僕の言う通りにしていればいいんだ」
兄の言葉一つ一つが、僕の胸に鉛のように溜まっていく。
隣にいる元貴達の存在が、急に遠く感じた。兄の隣に並ぶと、自分の小ささ、愚かさ、そして「何者でもない自分」が浮き彫りになる。
「…おい。あんまりそいつを追い詰めるなよ」
沈黙を破ったのは、滉斗だった。
滉斗は椅子に深く腰掛けたまま、兄を鋭い目で見上げている。
「君が若井くんだね。涼架から話は聞いているよ。……涼架に悪い影響を与えているのは君かな?」
兄は視線だけで滉斗を圧殺せんばかりの威圧感を放った。
「悪い影響?友達とクレープ食うのが悪いことかよ。あんたの言ってることは、ただの監禁だろ」
「言葉には気をつけなさい。これは家族の教育の問題だ。……涼架、帰りなさい。車で外に待っている」
「……」
僕は立ちあがろうとした。兄の命令に逆らう術を、僕は持っていない。
僕はお兄ちゃんがいなきゃ、何もできないダメな弟だから。
「待てよ、涼架!」
高氏が僕の手首を掴んだ。
「お兄さん、涼架は今、俺たちと話してるんです。まだ文化祭の……」
「文化祭?…君は高野くんだったかな。君のような普通の人には理解できないかもしれないが、涼架にそんな無駄な時間を過ごしている余裕はないんだ。涼架は僕の後を追って、同じ大学に入らなきゃいけない。君たちのような遊び相手は、彼の人生に必要ないんだよ」
『普通』という言葉が、鋭いナイフのように僕たちを切り分ける。
兄の言う通りだ。兄は天才で、僕はその背中を追うことすら許されない落ちこぼれ。
元貴や高氏、滉斗のような眩しい人たちと一緒にいる資格なんて、本当はないのかもしれない。
「…お兄ちゃんの言う通りだよ。みんな、ごめん……。僕帰るね」
僕が兄の方へ一歩踏み出したとき。
「ーーつまんないな、お兄さん」
元貴が、底冷えするような声で言った。
いつも明るい元貴の顔から、一切の笑みが消えている。
「涼ちゃんを自分のコピーにしたいだけ?それ、全然教育じゃないよ。ただの暇つぶしじゃん」
「なんだって?」
兄の眉が僅かに動く。
「涼ちゃんは、お兄さんのラブレターを届ける道具じゃない。テストの点数で君を喜ばせるための機会でもない。…さっき涼ちゃんがどれだけ笑ってたか、お兄さんは知らないでしょ」
元貴は立ち上がり、兄と真っ向から向き合った。
「君がどれだけ完璧でも、今の涼ちゃんの笑顔は、君には一生作れない」
「……元貴、もういいよ、やめて…!」
僕は叫んだ。お兄ちゃんを怒らせたら、何をされるかわからない。
でも、兄は怒る代わりに、くすりと小さく笑った。
「笑顔?…そんな一過性の感情に何の意味があるんだい。涼架、もういい。行こう」
兄が僕の腕を強く引いた。その力が強すぎて、僕はよろける。
その時、滉斗が逆の手で僕の腕を掴み返した。
「……離せよ」
滉斗の声は、低く、地を這うような怒りに満ちていた。
「この手。涼架が痛がってんだろ。…あんたの完璧な世界に、こいつを無理やり閉じ込めるのはもう終わりだ」
「滉斗…」
「涼架、選べ。…あいつの車に乗るか。それとも俺たちとここでもう一個のクレープ食うか」
兄の冷徹な支配と、滉斗たちの不器用で温かい拒絶。
僕は、二つの世界の間で引き裂かれそうになりながら、自分の震える手を見つめた。
兄の手は冷たくて、滉斗の手は、驚くほど熱かった。
「僕は……」
僕の唇が、震えながら言葉を紡ごうとしていた。
次回予告
[冷たい檻を飛び越えて]
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コメント
2件

更新早くて嬉しいです🔰 涼ちゃんはどっちを選ぶのか、 ピリピリ来た空気がこれまた 最高👍