第4話:兄の選択
妹を抱きしめたまま、**ゲブレ・キブル(17)**は静かに雪を見つめていた。
まだ夜が明けきらない小屋。
布の下から小さく息をする妹――**メヘレット(9)**は、夢の中で何かを呟いていた。
「お兄ちゃん、また雪が鳴いてるよ……」
キブルの肌は褐色で、頬には古い火傷の痕が走っていた。
細い腕だが、抱く力は強い。
メヘレットは骨が浮くほどに痩せていたが、目だけは真っ直ぐだった。
この山に来て、4日目。
他の家族の死を、彼らはテレビ越しに見てきた。
その日、吹雪が止んだ。
キブルはメヘレットにフードを被せて、小屋の扉をそっと開けた。
雪原の中央――壊れかけた石のライオン像がまた、こちらを見ていた。
石の目は片方がすでに崩れかけていて、光は細く、ちらついていた。
けれど、威圧感は変わらない。
まるで「今日も誰かが必要だ」と訴えるかのようだった。
口は開いていない。
けれど、声だけが風に混じって聞こえてきた。
「さしだせ。まもりたいなら、さしだせ。
にんげんの力を……わたせ……」
キブルはつぶやいた。
「俺の“走る力”をやる。メヘレットを、この山で生かしたいんだ」
小屋のセンサーが微かに音を鳴らす。
提出が認められた証だった。
その瞬間、テレビが発光した。
「能力《機動力/高》、受理」
「具現体、形成開始――」
雪が、走り始めた。
まるで風が意志を持ったかのように、
雪粒が一方向に舞い、地を這うように“駆け出した”。
空間が歪み、音を立てて現れたのは――
四足で走る、白くて細長い影。
牙のように尖った口、足の動きだけがやたらと早い。
それが、メヘレットの前に立った。
そして、彼女の手を取るように、首をすり寄せた。
「だ、だめ!お兄ちゃん!」
メヘレットが叫ぶと、具現体は彼女を背中に乗せて跳ねた。
そのまま、視界の白へと溶け込んでいく。
「メヘレット!!」
キブルが追いかけようとしたが、足がもつれる。
自分の“走る力”は、もうない。
その夜、小屋のテレビが告げた。
「対象:メヘレット、状態:一時保護」
「具現体、安定率:低」
「再会条件:“命”による代価の提出」
カナ(※マシロ家)は画面を見つめていた。
「“保護”? それって……」
父は首を振った。「これは、誘拐だ」
翌朝、ライオン像はうつむくように傾いていた。
雪に飲まれかけた口元から、ポロリと石片が落ちた。
声はなかった。
代わりに、空気のなかで“何か”がざわめいていた。
山の向こうから、誰も差し出していないはずの影たちが現れ始めていた。
小屋に記録のない、見知らぬ存在たち。
家族ではない、“何か”。
キブルは黙って雪原を見つめた。
その胸にあるのは後悔ではなかった。
ただ一つ――
「メヘレットは、俺が取り戻す」
その意志だけが、彼の足を前に進ませた。
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