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美人さんが歩き出し、私は後に続く。
何だろう。
歩いているだけなのに、恥ずかしい。申し訳ない。
「乾さん!」
いたたまれなさに俯き気味で歩いていると、素敵なお声で名前を呼ばれた。
顔を上げると、一室から鴻上さんが顔を覗かせている。そして、駆け寄って来た。
今朝とは違う、スーツを着て。
鴻上さんは専務補佐だから、このフロアにいるのは当然だ。
呼び出しの緊張から、忘れていた。
「お、お疲れ様です。あの、今朝は――」
「――お礼も謝罪も十分だよ? それより、ごめんね呼び出して」
「え? あ、鴻上さんが――」
「――呼んだのは専務なんだけどね? さ、入って。あ、お昼! もしかしてお弁当とか持って来てた? だったらごめん。きみの分のお弁当も――」
「――少し落ち着け、残念王子」
室内から、鴻上さんよりも低く、落ち着きのある、というか怖そうな声が聞こえた。
テンション高めに捲し立てていた鴻上さんがピリッと表情を硬くして、振り返る。
「ドS魔王」と、鴻上さんもまた低く、緊張感のある声色で言った。
残念王子……は鴻上さんの昔のあだ名。
じゃあ、ドS魔王は?
首を傾げていると、背後から盛大なため息が聞こえた。
「ガキの喧嘩をなさるおつもりでしたら、特上握りは私と乾さんでいただきますが?」
ガキの喧嘩!?
専務と専務補佐に無遠慮に言った美人さんに、ギョッとする。
「乾さん、ご挨拶が遅くなりました」と、美人さんが私に微笑む。
「専務秘書の鴻上黎琳と申します」
鴻上の姓にもだが、黎琳という日本人には聞かない名に目をパチクリする。
「立ち話もなんですから、入りましょう」
そっと背中に手を添えられて、ドキッとしてしまう。
促されるままに部屋に入ると、正面の、私の二倍の大きさはある机の上で手を組み、こちらをじっと見ている男性と目が合った。
ごっ、極上が二人!?
広報誌やホームページでしかそのお顔を拝んだことはないけれど、間違いなく我が社の専務様・奥山誉だ。
専務は流れるように滑らかに立ち上がると、私の三歩手前まで歩み寄る。
「専務の奥山誉だ。うちの補佐を助けてくれたと聞いたよ。ありがとう」
御年三十六歳の専務様のお言葉と笑顔に、眩暈がする。
が、ここは専務が恥だと思わないように振舞わなければ。
「いえっ。こちらこそ、鴻上さんには命を助けていただきまして、大変ありがたく思っております。出勤前にも関わらず、私に関わったせいでスーツを汚してしまいまして、お仕事に差し障りがあったらと思うと――」
「――っぶほ!」
まるで笑いを堪えきれずに吹き出すような音が頭上から聞こえてきた。
必死過ぎて眼前のネクタイを見て話していた私は、恐る恐る顔を上げた。
予想通り、専務が手で口を押えつつ、目を細めている。
「専務、失礼です」と、秘書の鴻上さん。
「いや、だって、スーツだめにしたの――」
「――すみません! あれは全て私のせい――」
「――違います。凱人がスーツをだめにしてしまったのは凱人です」
「……え? 私を助けようとして汚してしまったんですよね?」
秘書の鴻上さんの言葉に、疑問を投げる。
「いいえ。汚したのではなく破いて――」
「――黎琳! その話はいいだろ」
補佐の鴻上さんが秘書の鴻上さんの言葉を遮る。
余程聞かれたくないのか、必死だ。
専務が、ゴホンッと咳払いをした。
「スラックスの汚れを取るからと黎琳に言われて脱ぐときに、バランスを崩して転びそうになり、脱ぎかけていたスラックスが真っ二つに裂けた」
「裂けた……?」
専務の言葉の状況を想像して、思わず私まで笑いそうになったが、直前で笑いが引っ込んだ。
「まさか! 私を庇った時にどこか痛めたのでは? そのせいで、足が上がらなかったとか」
「はっ――! あはははははっ!」
「専務!」
大爆笑の専務を諫める秘書の鴻上さんもまた、笑いを堪えているようだ。
当の本人の、補佐の鴻上さんは顔を真っ赤にして項垂れている。
「ま、座って寿司を食いながら、凱人の残念王子っぷりを話そうじゃないか」
専務は楽しそうに、私にソファを勧めた。