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力が帰郷してから一週間、沙羅の周りは慌ただしく変化していった
多分彼との過去のいざこざはとりあえず解消したのだろう、だって音々があっさり力を許したのだ、それなのに沙羅だけがいつまでも過去を根に持って、力をネチネチいじめる陰険ババアに成り下がるのも何か違うような気がしていた
力の父、健一はあれから毎日沙羅ベーカリーにパンを買いに来、なんと店の前に花壇まで設置してくれた、その花壇の水やりは音々の毎日の仕事になった
今は音々の良き父親、母親として上手くやっている・・・しかしあくまでも二人の間に恋愛はない
まず力が、音々の今までの養育費だと二千万円の小切手を沙羅に渡したのだ、貰い過ぎだと沙羅は仰天し、あなたの財産を吸いつくすためにあの子を産んだのではないと言ったが、これぐらいでは僕の財産はビクともしないと力は一歩も引かなかった
さらに音々に、最新型の超高性能GPS搭載キッズ・スマートフォン1台、音楽アプリが詰まったタブレッド、ノートパソコン、キッズギターと次々と音々と真由美の子供の浩紀にまで「通信費は自分が払う」と買い与えた
沙羅は「高価すぎる子供へのプレゼントは金銭感覚を養う情緒を不安定にさせる」と力にお説教をしたが力はまったく聞き入れず、それどころか力は 「僕は情けないヒモ男ではない」と逆切れし
これからは一生働かなくてもいいし、沙羅にも好きな事をやれと言う、自分の娘にも一切何不自由させず、最高の教育を受けさせるつもりだと豪語した、スーパースターを家族に持つという事はどういうことなのか、ゆっくりでいいから慣れてくれとも言われた
そう力に言われ、沙羅は自分の好きな事とは何だろうと考えた、もちろんベーカリーでパンを焼くのは好きだ、でもそれは生活をしていかなければ行けなかったから、生きるための手段でもあった
経済的不安は一切消えて・・・
本当に何にも縛られずに心から自分のやりたい事・・・
沙羅は思わず心に溢れる情景に驚いた
力のツアーのバックステージにいる自分・・・
力の奥さんとして・・・
力と一緒に世界中を回っている自分がありありと情景に浮かんだ
ゾクッと背中に悪寒が走った、今の沙羅にとってその夢はあまりにも甘美な夢だった
―しっかりしなさい!沙羅!夢見る少女じゃいられないのよ!朝から晩まで一つ300円のパンを売って生計を立てる!これが私の現実よ!―
甘い夢なぞ見ずに気合を入れるためにパンッパンッと自分の頬を叩き、沙羅はそれから小麦粉まみれになってパンを焼いた
焼いて焼いて焼きまくった
広大な庭に初夏の日差しが差し込む午後・・・
「家を買ったから遊びに来い」と言う力に連れられて沙羅と音々はちょうどお互いの家の中間地点の空き家にやって来た
力の購入した中古の一軒家はおどろくほど大きかった
モノトーンのモダンな外観は、かつて食料品店のオーナーがバブルの勢いに乗って建てた7LDKの豪邸だ、年季が入っているが、プール付きでまるで小さな民宿のような規模だった
黒い屋根に白いペンキ塗りの外壁が夕陽を浴びて温かみのある輝きを放ち、広々とした庭には今は葉を付けていない古い桜の木が一本風にそよいでいる
リビングの大きな窓からは、庭の緑と遠くの街並みが一望でき、まるでここだけ別空間で時間がゆっくり流れるような錯覚を覚えた
「わぁ~!ひろ~い!音々の部屋どこ~」
ハハッ「どこでもいいよ」
音々が奇声を上げてリビングを走り回る、広々とした空間は磨き上げられたオーク材の床が音々の足音をパタパタと軽やかに広い空間に響かせている
隅には10人掛けのL字型ソファがどっしりと構え、茶色のレザーは柔らかく、触れるとほのかに温かい
「ここを気に入った一番の理由は地下室なんだ!」
力が音々の頭を撫でながら沙羅に熱っぽく語る
「色々新築を見て回ったけどここより広い所はなかったんだ、土地を買って建てるのは時間がかかりすぎるしね、全体的にリフォームするけど地下室を改装して防音完備のスタジオを作るよ、そこで作曲する」
音々が全力で走ってきて「ピョン♪」とお尻からソファーに飛び込んだ、それを見た力もお尻からダイブして二人供ソファーに沈み込んだ、仔犬がじゃれるように二人はお互いをくすぐりあってリビングに笑い声が響き合う
沙羅はここ数日でこの親子の絆がどれほど強いか思い知らされていた
驚くほど力に懐いている音々に少し不安を感じるほどだ
「家具は全部買い変えるつもりだけど、このソファーは残しておいてもいいかな?」
沙羅はそんな二人の姿を見つめていると終始胸の奥がドキドキと高鳴った
一瞬、自分も力の隣に飛び込んで、背中から彼に寄り添いたい衝動に駆られた、きっと彼は温かい腕でそっと沙羅を抱きしめてくれるだろう・・・
そんな想像が沙羅の理性をグラグラと揺さぶる
力はリビングの中央に立ち、腕を広げて言う
「この壁には62インチのテレビを置くよ、みんなで映画を見てくつろぐんだ」
「ピアノは?」
音々が目を輝かせて尋ねる
「もちろん必要だよ! あそこに置こう」
力が窓際のスペースを指す、そこには陽光をたっぷり浴びて輝きながらピアノを弾く力の姿が目に浮かぶ・・・
驚くことにこの家ではそんな光景が日常茶飯事になるのだ
「さっき庭に野良猫いたよ! 飼いたい!」
音々が言う
「そうだな!でもまず仲良くならないと、 野良猫を手なずけるには、勝手口に『野良猫のレストラン』を作るってのはどう?」
「作る!バイキングだよ!いつでも食べれるようにしてあげるの!」
「自動餌やり機を置こう!」
「パパ!ドラえもんみたい」
音々が手を叩いて喜ぶ、沙羅は少し離れた場所で、二人のやりとりを微笑ましく見つめていた、どうやら本気で彼は音々と家族としての未来を描いているようだ、くるりと振り向いて力が奥を指さして沙羅に言う
「奥がキッチンになってるよ、君の好きなように整えてくれ、不動産屋が午後からリフォーム会社に頼んでシステムキッチンのカタログを持ってくると言ってたよ、相談にのってやってくれ」
「どんどん勝手に決めるのね!」
沙羅は頬を膨らませツンとそっぽを向いたが、心臓のドキドキはなぜか止まらない、力は真剣な眼差しで沙羅を見つめて言う
「一緒に住んでくれとは言わないよ、君の家と僕の家のちょうど中間にあるこの家なら、音々ちゃんがいつでも立ち寄れるだろ、鍵を君と音々ちゃんに渡すから気が向いたらいつでも来てくれればいい、キッチンで腕を振るってくれたら嬉しいし、住んでくれたら大歓迎だ、君の心の準備ができたらいつでも、明日でも」
沙羅の目が泳ぎ、心臓がさらに跳ねる
「そんな・・・準備なんて・・・」
赤くなる頬を見られたくなくて、リビングに音々と力を残し、そそくさとキッチンへ逃げ込んだ、弾み過ぎている心臓を落ち着かせるためだ
「わぁ・・・素敵・・・」
見渡すとキッチンも素晴らしかった
北欧風のクラシックなデザインで、L字型のカウンターが広々と広がる、白いタイルと茶色の木目のバランスが美しく、厨房のような作業台、大きな四口コンロとダブルシンクはまるでプロのシェフが使うような本格さだ
沙羅は好奇心に負け、ワクワクしながら扉を一つ一つ開けてみる・・・
戸棚は驚くほど広く、奥のスペースにはまるで震災が来ても数ヶ月は持ちこたえられるほどの食品庫棚があり、オーブンや自動食洗器まで備え付けられている
沙羅の頭には、ここで料理をする自分の楽しげなイメージが次々と膨らんだ
ここで音々の好きなハンバーグを作ったり、親友の真由美や陽子の家族を呼んで賑やかなランチパーティーをしたり、休日は広い庭でバーベキューをして、朝から晩まで笑い声とビールの泡が弾ける・・・
そんな夢のような光景が、キッチンの温かな光の中でリアルに浮かんでくる
あまりにも熱心にキッチンを点検する沙羅は、背後に忍び寄るふたりの気配に気づかない
音々と力がこっそり屈み込み、沙羅の両側にそっと近づく・・・
シンクの下を覗き込む沙羅の背後で、右側面が音々で、その反対側が力
「わっ!」
「わっ!」
「きゃあああ~~~~~~!」
沙羅の叫び声が豪邸中に響き渡った、音々はお腹を抱えて笑い転げ、沙羅は真っ赤な顔でパニックに
力が咄嗟に爆笑しながら彼女を抱きしめると、沙羅は力の胸をポカポカと叩くが、本気で逃げようとはしない
彼女の心臓はドキドキと暴れ、力の温かい腕の中で、理性が溶けていくのを感じた