「どいた!どいた!紗奈《さな》ちゃんの、おっかさんのお通りだぞ!!」
「新《あらた》よぉ!北の方様と、言えんかのお?」
馬で先導する髭モジャの後を、女人《にょにん》を乗せた荷車を引く若者が、声を張り上げながら、続いている。
「おお!着きましたぞ!お方様!」
髭モジャの声に、ほっと一息つく女人──紗奈の母、近江国受領の北の方がいた。
あれから、事情を理解した北の方は、近江国を出立した。しかし、牛車《くるま》に揺られ、お供を引き連れのノロノロ行列では、埒があかない。焦れた髭モジャは、北の方を馬に乗せ、駆けた。
が、都が見えた所で、馬も、北の方も、バテてしまい、立ち往生してしまう。日は、傾きかけていた。これでは、宴が、始まってしまう。
髭モジャが困りきっていた所、他国からの荷運びを生業《なりわい》にする、新《あらた》の姿を見る。
血の気の多い若者は、騒ぎをおこしては、検非違使《けびいし》時代の髭モジャの世話になっていたのだ。
「よっしゃ!韋駄天《いだてん》の新《あらた》様に、任せとけ!紗奈ちゃんの、晴れの日だ!」
髭モジャが事情を話すと、何故か、新《あらた》は、紗奈の事を知っており、守近の屋敷まで、北の方を荷車に乗せ、都大路を駆け抜けたのだった。
確かに、言う事だけはある。先導する髭モジャの馬を追い抜く勢いで、新は、荷車を引き続けた。
「おー!新じゃねーか!お前も、紗奈ちゃんへの祝いの品を運んできたのか?」
屋敷の裏口には、荷車が列を作っていた。
「おう!最上級の品を、運んで来たぜ!」
新は、豪快に笑った。
満天の星空に、ほんのり輝く月が登る。
池では、貴公子が雅楽を奏でる龍頭の舟を追うように、集まった公達や女房達を乗せた、鷁首《げきしゅ》の舟が続いていた。
水面に映る月、酒杯に映る月、それら幻影とでも言うべき月の姿を眺めるのが、都の月見、観月の宴なのだ。
作法通り、母親に袴を着付けてもらった紗奈《さな》が現れた。
今宵の主役の登場に、皆、拍手喝采、同時に、ドボンと、池に落ちる大きな音がする。斉時だ。
調子に乗って、舟上で立ち上がり、紗奈へ声をかけようとしたとたんの惨事だった。
おーい!おーい!と、池から助けを求める声を打ち消すように、
「さあ!一和《いつわ》屋名物、阿り餅《あぶりもち》の、出来上がりで、ございますよ!」
炭火で、竹串に差した餅を炙る風景の物珍しさに、わっと、歓声が上がった。
「かか様!阿り餅ですよ!美味しいんですから!」
紗奈が嬉しげに、母の手を引く。そんな微笑ましい親子の姿に、皆の顔は緩みきる。
そして……。
当然のことながら、おーい!おーい!と、池から叫ぶ声の主の事など、集まる者達は、すっかり忘れている。
そんな、微笑ましくも賑やかな屋敷の騒動を、天の月は、いつものことと笑っているかのごとく、優しく照らすのだった。
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