テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#ファンタジー
3
96
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
僕たちは走り続けていた。鎌倉、逗葉浜、三浦、平野塚地区、そしてその先。
壊れた街、崩れた堤防、焦げた電柱。どこに行っても同じように、潮と土の匂いがした。
僕はバックパックに工具(実際に電線を繋ぎ直したりすることが多くなった)とラップトップ、それに特殊警棒を詰める。一方、美咲は小さなノートを抱えていた。
避難所の要望や在庫の記録、それに、人の名前。
「名前を記録することが、希望につながるの」
彼女はそう言って、避難所の人たち、そして子どもたちの名前を一人ずつ丁寧に書き留めていた。
その姿を見ていると、データを扱う僕の仕事が、急に冷たく見える瞬間がある。なんか、いいのかなってね。
7月の初め。中磯浜という名の湘南を越えた先の小さな港町に着いた。潮風が重い。コンクリートの道路が半分崩れ、船が道路に乗り上げたまま錆びている。それでも、避難所の人々は前を向いていた。
「ようこそ! 金窪さん、美咲さん!」
声を上げて出迎えてくれたのは、ボランティアの若者たちだ。僕は軽く会釈し、美咲は深く頭を下げていた。
発電機の音、笑い声、そして、炊き出しの匂い。それだけで、少しだけ日常が戻ってきたような気がした。
「この避難所、子どもたちが多いんですよ」
青年リーダーの佐伯が言う。
「最近、笑顔が減ってて……」
その言葉に、美咲が頷いた。
「じゃあ、少しでも元気を出せるように、夜市を開きましょう」
「夜市?」
「はい。子どもたちが中心になってできること。何もなくても、灯りと声があれば元気が戻るわ」
美咲の声は、やわらかくて力強い。
その瞬間、周りの人たちの目が明るくなった。
僕はすぐに頭を切り替える。
「なら、僕は照明システムと音響、やるよ」
「できるの?」
「任せとけ。電気がないなら、AIで発電機の制御を最適化する」
「出た、天才オタク」
美咲が白い歯をみせる。
ああ、姫の笑顔を見るたび、僕の中の疲れが少しだけ溶けていく。なんだろう、先祖からの家来の血なのかね。うーむ。
準備は昼過ぎから始まった。
壊れた倉庫を利用して、ライトを吊るし、ペットボトルの中にLEDを仕込んでランタンを作る。
子どもたちは絵を描き、紙コップに模様をつける。
発電機の燃料を調整しながら、僕はパソコンと睨めっこ。音響、照明。
喜んでくれるかな。
夕方、日が沈みかけた頃。ランタンの光が、避難所を淡く照らした。
オレンジの光が、暮れ出した暗藍色の空を染め上げてゆく。まるで、かつての夏祭りの残像だ。
「ああ、思い出すなぁ……」
誰かが呟いた。
避難所の大人たちが、涙を拭いていた。子どもたちは笑いながら走り回り、手作りのヨーヨー釣りや、焼きそばの屋台も始まった。
「笑ったの、何ヶ月ぶりだろう」
ボランティアの人たち、疲れた顔に笑顔が戻る。
僕はその光景を、少し離れた場所から見ていた。
みんなが上を向いている。AIでもプログラムでも作れない、生きた熱、かな、そういうものが、そこにあった。
「ねぇ」
背後から、美咲が声をかけてきた。
「抜け出そっか。少し、風にあたりたい」
「うん、いいね」
海辺に出ると、波の音が一層大きくなった。
風が髪を揺らし、夜市の灯が遠くに揺れている。潮の匂いに、少しだけ焼きそばの香りが混じっていた。
「こんな日が、また来るなんてね」
美咲の声は、どこか夢を見ているようだった。
「最初にあなたと鎌倉で会ったとき、正直、あなたがこんなことする人だとは思わなかった」
「まぁ、僕も思ってなかったよ」
「正直、学校にいたときはさ、コンピュータオタクで、ちょっと偏屈で、あんまり人に関わらないタイプかと思ってたわ」
「うん、正解かもね」
「でもね、違ったみたい」
彼女は月明かりの中で僕を見た。
そのエスプレッソ色の瞳は、潮のように揺らめきながら光っていた。
「あなたは、人を信じてる?」
「信じる?」
「うまく言えないけど、どんな人の中にも何か期待できるものが残っているはずって。暴力とか、コンピュータとかAIとか、通貨とか、いろんなことがあるけど、そういうものを超えたところにある何かを、あなたはまだ捨ててないと思うの」
僕は何も言えなかった。
親父が仕事をクビになり、母親が逃げ出し、その後に小学生の僕が学んだこと。
人間は悪意に満ちている。仮面をかぶって本心を隠している。
それ以来、僕は本当は人を信じていないかもしれない。
代わりに、海を見た。
月明かりが波に砕け、煌びやかな光のかけらを撒き散らしていた。
「僕さ、ずっと思っていた」
「何を?」
「この世界、もう1回書き換えちまえって。ほら、世の中、いじめだ、事件だ、政治だ、戦争だ、さらには裏切りだ、って碌でもないことばっかりだったじゃない? いっそ、いかれたシステムじゃなくて、いっそ人工知能が支える世界にアップグレードしちまったほうがいいんじゃない、ってね」
ヤバ、僕、何言ってるんだろう。
「それって……」
「でもな、こんな大震災が起きて無法者ばっかりの世界になった。だけどさ、美咲と避難所を回るとさ、人が人を助けて、自分たちで信頼し合って、それで生きてる、そういう世界があるって」
あれ、僕、なんでこんなに素直な思いを吐き出してるんだ? 用心仮面をかぶった僕、どうした?
「うん」
美咲は黙って僕を見つめている。
「結局、僕たちのネットワーク、通貨も物流も、根っこは信頼で動いているじゃん」
「そう、信頼よね」
「うん。AIよりも優しさの方が正確なのかもね」
美咲は微笑む。
「あなたって、詩人みたい」
「や、やめてくれよ」
「でも、時々怖いって思う時もある。あなたが戦う時、なんか違う人がいるみたいって感じるの。でも、今は本当にそう思う。私も……あなたとなら、そんな世界を作れる気がする」
その言葉を聞いた瞬間何かが胸の奥で静かに溶けたような音がした。
彼女の肩が、夜の光の中でわずかに震えている。寒いのかな。
僕はそっと、自分の上着を脱いでかけた。彼女は驚いたように笑う。
「ありがと」
って、小さな声で言った。
「……」
僕は彼女の手に自分の手を重ねた。
僕は自分で自分のやってることが信じられなかった。いつもならこんな行動には出ない。でも、月明かりがそうさせてる、そう思った。
顔を寄せる。
彼女が目を伏せる。少し下を向いた。
僕は彼女の顎の下に手を当て、ちょっと上を向かせる。そのまま、唇で彼女の唇に触れた。
しばらくそのままにしていた。
「うん」
美咲の返事は声とも息ともつかない。
僕はもう止まらない。
彼女の肩を引き寄せる。唇をもう一回合わせる。
今度は、彼女の上唇を舌先で少し触った。唇が緩む。そこに舌先を入れた。温かい彼女の口の感触、そしてちょっと尖った感じ。彼女の舌に触れた。
甘い。もう少し、奥に入れる。小さな歯に触れる。
「ぁ」
彼女も徐々に応えてくれた。
お互いの舌を絡め合う。歯の裏を深く浅く探る。
一旦唇を離す。目を見つめる。再び口を合わす。
もう、夢中だった。でも、心は安らいでいた。
僕たちは抱き合いながらひたすらキスをし続けていた。
と、すぐ近くで子どもたちの笑い声が響いた。手持ち花火の光が夜空を染め、美咲の横顔を照らす。
唇を離す。僕たちは黙って微笑んだ。
あのとき、思った。
もしかしてこの瞬間こそが、世界の再起動ボタンなんじゃないかってね。
夜市が終わったのは、深夜近く。発電機を止め、灯りがひとつ、またひとつ消えていく。それでも、みんなの顔にはまだ笑顔が残っていた。
「ありがとう」
「また来てください」
握手を交わす手の温かさが、指先に残る。
僕は最後に空を見上げた。雲の隙間から、星がいくつか覗いていた。
この国はまだ、生きている。間違い切っちゃいないようだ。
美咲が隣で、深呼吸をした。
「ねぇ」
「ん?」
「もし、全部が落ち着いたら……」
「うん」
「また、普通に海を見に来たいね。何もなくて、誰も泣いてなくて、ただ、波の音だけがする場所で」
「それはいいな」
「そのときも、一緒に来てくれる?」
「もちろん」
彼女はエクボを見せる。
その笑顔が、今までで一番やわらかく見えた。
潮風が吹き抜け、夜の街にかすかな音楽が残っていた。スピーカーから流れていたありきたりなポップス。僕が仕込んだやつだ。
同時に、僕は親父のことを思い出していた。圧倒的な北畠独裁政権と救援軍という軍隊。そこにガチで立ち向かうゲリラ。まさにドンキホーテ。
これは、避けられない戦いの予感だったのかもしれない。そして、それはすぐにやってきた。
エンジェル=ルーズベルトのシステムレポート:中磯浜がシステムに加入完了。現在の接続避難所数は20箇所。量子コインの使用者数は8万人