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助産師や侍女達が嬉しそうに顔を見合わせ、祝いの言葉を並べながら笑い合っている。生まれた赤子が聖女であると認定されるには、神殿にて神力の有無を見てもらわねばならないが、髪色的にまず間違いなく聖女の誕生だろうと部屋は喜びに満ちていた。
『早く旦那様もお呼びしないとね』
『大丈夫よ。侍女長様がもう、王城へ使いをやったらしいから』
『お嬢様の乳母には誰がなるのかしら?名誉な事だわ、羨ましい』
ニコニコとお互いに笑顔を交わしながら部屋の隅に置かれた産湯などの周りに集まって、侍女達が口々にそんな話を続けた。
産湯で体を清め終わり、産着を着せられてからおくるみに包まれた赤子を抱えた侍女が、ゆっくりとした足取りでイェラオが休むベッドへ足を進め、声を掛ける。
『奥様、聖女様の身繕いが終わりましたよ』
『やだ、気が早いわよ』
『だって、 嬉しくって、つい』
声は弾み、皆が赤子の誕生を心から祝福していたが、ふとそのうちの一人が異変に気が付いた。
『…… おく、さま?』
『どうし——え?』
悲鳴の様な声をあげ、侍女の一人が一歩後ろに下がった。おくるみに包まれた赤子を抱いていた者は一瞬床へ落としそうになり、慌てて赤子を抱き直す。
彼女達の背後から、事の異常性に気が付いた者がベッドまで慌てて駆け寄り、『奥様!奥様、ご無事ですか⁉︎』と大声をあげた。ベッドの上には、本来なら出産を終え、疲れた表情をしながらも一仕事をやり遂げた達成感に浸る公爵夫人がその身を休めているはずだった。なのに、なのに…… そこには、産声もあげずにシーツの上でぐったりとした姿で転がる赤子と、自らの顔にクッションを押し付ている姿で事切れているイェラオの遺体が寝そべっていた。
侍女の一人が助産師を呼び、室内からはお祝いムードが一気に消える。皆、何が起きたのか分からずパニック状態だ。
彼女達は慌て、騒ぎながらも必死に現状を把握しようと努める。聖女候補である赤子は双子であった事。二人目の子供に聖痕は無く、髪色も普通だった事。そして、どうやらイェラオは自害したらしい、という三点を。
イェラオ自らが顔にクッションを押し当てての窒息死という異常な死に様であった事から、外部からの侵入者を疑う者もいた。だが、いくら皆の気持ちが一人目の対応に向いていたとしても、流石に悪意を持った侵入者が居れば気が付いたはずだと結論付けられ、結局公爵夫人は自害であるとされた。産後の鬱による突発的なものであろう、と。
『自身の聖痕をとても誇っていたから、二人目の赤子には聖痕が無かった事に奥様は耐えられなかったのでは?』
そんな噂が次第に広がり、いつしかそれが事実として公爵家の皆に認知される様になった。そのせいで、長女・ティアンは『夫人の忘形見』として大事に育てられ、『カーネ』と名付けられた次女は『母殺しの娘』として冷遇され続ける事となる。
——そう、なったのだが…… 事実は違ったはずだ。
カーネは既に死んだはずだった。母親の手によって、生後数分のうちに窒息死させられたはずなのに…… 今、カーネは確かに生きている。
そもそも、根底からして違うのだ。
カーネには『聖痕が無い』という思い込み自体が、間違いなのである。
実は、カーネは『鏡』の聖痕を持って生まれていた。だから彼女は、死んだ事実を母親に跳ね返す事が出来たのだ。だが残念な事に、シリウス公爵家の誰一人としてその事実に気が付く者はいなかった。
カーネの能力は、彼女の『死』をトリガーとして発動する力である。
殺されても、時間を遡って、自分を殺そうとした相手にその死を突き返す能力など、わかり様も無いだろうから無理もない。母親の死により、イェラオの持っていた『魔法陣』の能力をも得ていたのに、それにさえも気が付く者は存在しなかった。
太陽の神殿では『胸元の少し上辺りに赤黒い色で刻まれる紋様が、聖痕である』と言われている。依ってそれが無いのなら、『カーネに聖痕は無い』と判断されるのは当然の流れだった。
だが本来の『聖痕』とは、その身に刻まれていても普段は目には見えぬもので、能力の発動時にだけその証が露わになる。その証拠に多彩な能力を操っていた初代聖女・カルムの体には普段は何の紋様もなく、まっさらで美しい肌だったらしい。
そうなると、五大家が門外不出にまでして必死に守っている『聖痕』とは何なのだという疑問が生じる。
だが、その答えは月の女神を祀る神官達が常々口にしており、ヒト族に『獣人』と呼ばれる『ルーナ族』の間では既に常識と化していた。
彼らは遥か昔から、『アレは“聖痕”などではない。ただの“罪の烙印”である。太陽の聖女・カルム様は“五人の罪人”に殺された。赤黒い烙印はその罪の証なのだ。スティグマ持ちを聖人扱いする事をすぐに止め、彼らには罪を償わせるべきだ』と触れ回っているのだ。だが、ヒト族とは断交状態にある彼らがヒトの領域に入る事はほぼ無い。なのでその情報はルーナ族と唯一交流のあるセレネ公爵家の者か、かの家に仕えている家門の者達の耳にしか入らぬせいで、シリウス公爵家がカーネへの冷遇を改善するような事はこの先一度も無かった。