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当時、明彦は新卒で、修行の名目で地元の、しかし須藤ホールディングスのメインバンクである銀行に就職したばかりだった。
当たり前のように特別扱いされ、それを跳ね除けて実力を示そうと躍起になっていたころ、そのニュースは飛び込んできた。
佐橋児童衣料の社長が飲酒運転で警察に止められ、愛人を連れていた上、警察官に詰め寄るという不祥事を起こしたのだ。
「麗っ!」
あの日が休日で良かった。
仕事中だったとしてもお構いなしに駆けつけていただろうから。
慌てて駆けつけた佐橋の家の前はマスコミでいっぱいだった。
道を塞ぐようにマスコミのカメラが家に向かっており、チャイムを連打している奴や声を張り上げ、佐橋さーん、逃げないで出てこーいと、叫ぶ者、無茶苦茶だった。
そのとき、青白い顔をした麗が玄関から出てきたのが見えた。
「麗っ!」
名前を呼ぶも、麗には届かないくらい騒がしい。
門と塀に阻まれ、流石に詰め寄られはしていないが、ねえ君愛人の子だよねぇ、お父さんのこと恨んでるー? と、糞みたいなマスコミの質問は耳に入ってくる。
そしてその声につられて裏口を張っていたであろうマスコミも集まりだす。
とてもではないが、麗のところまで行けない。なるほど、メディアスクラムという言葉はそのとおりだ。
だから、マスコミとは反対に裏口に回ったときだった。裏口には麗音の母親と、その親族であろう男がいた。
それで気づく、麗は囮にされたのだと。
「麗を囮にするだなんて何を考えているんですか!」
「あら須藤君、こんにちは。囮? なんのことなの?」
親族の男が麗に囮をさせたのだろう、娘の友人に怒鳴られたというのに小首を傾げただけの麗音の母親に最早話す価値もない。
だから勝手に裏口から入って、庭を駆け抜け玄関まで必死で走った。
「麗っ」
玄関を開けると今度は大量のカメラが明彦を映しているが構ってられない。
どのみち、モザイクはかかるはずだ。
「きゃっ!」
必死で家の中に麗を連れ込んだ。
「え、明兄ちゃん? どうしたん? なんかよう? 私、今ちょっと忙しくてお母様が逃げるチャンスを作るために取材に答えなあかんねん。後でもいい?」
「出るな」
「でも……、あの方は、お母様のお兄様やねん。私がマスコミを惹きつけられたらお母様も逃げられるし、姉さんのところへ行かないから助かるって……」
「馬鹿が!」
思わず悪態をつくと麗の肩が跳ねた。
「悪い。麗に言ったんじゃない」
嘘だ、麗に言ってしまったのだ。
簡単に利用される麗に腹が立った。
「麗が囮になったところで、どのみち、マスコミは人海戦術で麗音のところにも行く。麗は俺と逃げるんだ、わかったな」
「ううん、私どのみちこの家で籠城するつもりやから、明兄ちゃんは気にせんと帰って。来てくれてありがとう。嬉しかった」
笑顔を作った麗に余計に腹が立つ。
「荷造りしろ。足りないものは後で買うから本当に必要なものだけまとめるように。すぐに出る」
「いや、でも」
麗の反駁を無視し、明彦はスマートフォンを懐から出した。
「明兄ちゃん、私、ホンマに平気やから。大丈夫なの。へーき。今日さ、実は死んだ母さんの誕生日やねん。ちょうどええから一人でお祝いしようと思ってたところやから」
明彦は麗の言葉を無視した。
「隣家の人とは親しいか?」
「親しいってほどじゃないけど、挨拶したらいつもお菓子くれる優しいおじいちゃんとおばあちゃん。きっと、めっちゃ迷惑かかってるやろうな」
麗はシュンとうつむいた。
廊下に置かれた惰性で契約し続けている様子の家電の近くに置かれた電話帳を勝手にめくる。
思った通り、隣の家の電話番号が載っていたので明彦はそれもまた勝手にかけた。
『取材を受ける気はない、家の前をごちゃごちゃと迷惑なっ!』
マスコミだと思われたのだろう。男性のしゃがれた怒鳴り声に明彦は努めて冷静に返事した。
「私は佐橋麗の代理人です。いきなりすみません」
麗が横でぽかんとしている。代理人ってなにとでも言いたげだ。
『麗ちゃんの? 麗ちゃんは大丈夫か? 怖がってへんか?』
可哀想にと女性の声も聞こえてくる。隣家の奥さんだろう。
「大丈夫とは言えません。すごく怯えています。それに、いつも可愛がってくださってたいるあなたがたに大変な迷惑をかけているのではと落ち込んでもおります」
『父親はさておき、麗ちゃんはなんの罪もない素直なええ子や。あの子が気にすることやない』
(やはりだ、やはり麗には爺さん婆さんに好かれる才能がある)
「実はお願いがあるのですが、麗を逃がすためにそちらの家の塀を越えさせていただけませんでしょうか?」
隣家を経由して逃げることができれば、マスコミを振り切れる可能性は高まる。
『……車出したる。買い出しのフリして出るさかい、麗ちゃんには後ろの席で隠れてもらって逃がすってのはどうや? 嫁さんも横で賛成してる』
「助かります」