「朋也。お前はいつも勝手なことばかり言うな」
社長は少し怒ってしまったようだ。
こんな平社員の部屋に住んで、ましてや私なんかと結婚すると言われたら……
それは困惑するに違いない。
あまりにもバカげたことだと、信じられない気持ちでいっぱいだろう。
いくら社長を納得させるための嘘だとしても、私だってまだ……全く気持ちの整理がついていないというのに。
「社長……。仕事はキチンとやりたいと思っています。カメラマンとしても、もっと成長したいですから。でも、将来のことも、今の環境から抜け出して、冷静にいろいろ考えたいと思っています」
本宮さんは、真剣だった。
社員として敬語で話す熱意は、私にも伝わってきた。
「文映堂の将来を考えたい……ということだな?」
「もちろんです。文映堂は、私にとっても大切な会社です。この会社のためにできることは全て学びたいと思っています。だから、今は社長の元から離れて、1人になって冷静に考えてみたいと……思います。私にいったい何ができるのかを」
「なるほど。あの家にいては私の目があるからな。冷静になりたい時になれない……というわけか。私もついお前にいろいろ言ってしまうことがあるからな。……ところで森咲さん、あなたの気持ちはどうなのかな?」
「えっ、あっ、あの……私は……」
そんなことを急に聞かれてもどう答えればいいのかわからない。ただでさえ、ずっと緊張が止まらないのに。
「社長。とにかく家は出ます。彼女も了承済みです。もちろん、本宮の一人息子である以上、責任は果たしたいと思います。ですが、少し時間を下さい」
本宮さんは頭を下げた。
「お前は昔からそうだからな。一度言い出したら聞かない。まあ、責任を果たすということがどういうことか、少しはわかっているようで安心したよ」
「社長のこと、ずっと尊敬してますから。でも……まだそれは先のことだと……。今は目の前にあることを着実にこなし、学べることを学んでいきたいと思います」
「責任」とは、やはりこの会社のあとを継ぐということだろう。
いつか本宮さんは『文映堂』の社長になるんだ。
あまりにもスケールの大きな話で、私にはまだピンとこないけれど……
だけれど、本宮さんはずっとそのことと向き合って生きてきた。それはどれほどの重圧だっただろうか。
「森咲さん。こんなワガママな息子ですが、朋也はうちの会社には無くてはならない存在です。しばらく迷惑をかけますが、どうかよろしくお願いします」
この流れ……
まさか本気で未来の『文映堂』の社長がうちにくるの?
社長がそれを許したの?
何がどうなったのかよくわからない。
「失礼致しました」
私達は、社長室から出てエレベーターで下に降りた。
二人とも黙っている。
ミーティングルームのある階まで戻ってきた時には、立ち入っては行けない場所から、安全地帯に戻ってきたような……変な安心感に包まれた。
「恭香、とにかく今日から頼む」
「……は、はい。あの、でも……」
「ん?」
「いや、まだ……なんというか、これが現実のことなのか、イマイチ理解ができていないので」
「父さんのOKが出たんだ。そろそろ受け入れてもらえないか? 俺を助けると思って……」
「えっ……ああ……そ、そうですよね。確かによくわからないです。なぜ、私なのかとか……。で、でも、『文映堂』は、私にとっても大切な場所なので、協力したいとは思います。本当に……よくわからないですけど」
私は自分にも言い聞かせるように言った。
「『文映堂』のため……か。恭香……今日、一緒に帰ろう」
「えっ、一緒にですか?」
「ああ」
その時、私は、昨日の一弥先輩と菜々子先輩の後ろ姿を思い出した。仲良く笑顔で帰る2人を。
今日、私は、一弥先輩ではない人と自分の家に帰る……本当に、何ともいえない複雑な気持ちになる。
だけれど、社長に直々に頼まれたことだから仕方がない。
もう、逃げられないのだろう。
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