テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
《午前6時/日本・地方都市》
商店街の前で、
白いローブを着た女性が祈っていた。
「オメガよ……古い世界を浄化してください」
そこへ、近所の男性が苛立った声で近づく。
「朝っぱらから道路ふさぐなよ! 通勤の邪魔だ!」
女性は穏やかに顔を上げた。
「あなたも、まもなく“救われる側”になります。」
「は?
救われる? 仕事に行くんだよ、こっちは!」
「仕事はもうすぐ“意味”を失います。」
その言葉に、男は怒鳴った。
「ふざけんなよ!」
突き飛ばした瞬間、
周囲で祈っていた人々が一斉に男を押し返す形になり——
小競り合いは、あっという間に“事件”になった。
警察が駆けつけ、
ネットには現場の動画が瞬時に拡散した。
「祈り派 vs 現実派、ついに衝突」
「天城セラ信者、道路占拠」
「“仕事に意味なし”発言が火種に」
日本社会の“ひび”は、
もう隠しきれなくなっていた。
《午前9時/JAXA/ISAS 相模原キャンパス(軌道計算・惑星防衛)》
白鳥レイナは、
NASAから送られてきた最新データをモニターで確認していた。
画面には、
小惑星オメガの反射率(アルベド)や
ΔV(軌道偏向に必要な速度)が並んでいる。
若手研究員が言う。
「主任、NASA側の見解は?」
白鳥はマグカップを持ったまま答えた。
「“誤差は許容範囲内。
ただし、パラメータの揺れ幅が大きすぎる”って言ってたわ。
ベガ法則の適用も試してるけど……
太陽方向からの接近は、どの観測網でも限界らしい。」
「つまり……“まだ分からない”と。」
「そう。“まだ分からない”。
でも、世の中は“確定した話”のほうを信じる。」
若手が苦笑する。
「セラのほうが、科学より“視聴回数”勝ってますからね。」
白鳥は少し、肩を落とした。
「科学は、心に刺さる言葉を持たないから。」
静かに、でも苦く言う。
「でもね。
数字は裏切らない。
嘘をつかない。
世界が壊れても、観測値は残る。」
若手はその横顔に、
ほんの少しの覚悟を見た気がした。
《午前11時/総理官邸・会議室》
中園広報官がタブレットを置いた。
「総理……“祈り派との衝突事件”、報道が過熱しています。
“仕事に意味がないと言われた”という被害者側の訴えも出ています。」
藤原危機管理監が淡々と続ける。
「今日だけで、首都圏で“祈り集団”の道路占拠が12件。
校門前で祈る“登校拒否集団”も確認されています。」
佐伯防衛大臣が腕を組んだ。
「行動制限を出すべきです。
このままでは、生活基盤が崩れます。」
中園はサクラを見て言う。
「総理。“自由”と“秩序”のどちらを優先するか、
国民が注目しています。」
サクラは、しばらく資料を見つめ……
「……一度、専門家会議を開こう。」
藤原が頷く。
「即時に準備します。」
サクラはつぶやいた。
「“世の中が壊れる前に、心が壊れる”——そう思えてならないのよ。」
誰も返す言葉を持たなかった。
《午後2時/都内・廃ビル内 配信スタジオ》
暗い部屋。
白いローブ。
壁には「黎明教団」と大きく書かれ
その下にはシンボルマークである
赤い太陽のような円の中央に、白い小さな点。
その下に、縦に細く裂けた“光の割れ目”。
ひとつだけ灯された蝋燭。
天城セラが、ゆっくりと椅子に腰掛けた。
配信の準備が整うと、
あの静かで深い声が世界に流れ始めた。
《天城セラ・長編メッセージ抜粋》
「皆さん。
あなた方は今、不安の中で揺れていますね。
それは“古い世界”の価値に縛られているからです。」
蝋燭の火が揺れる。
「これまでの人生で集めてきた“お金”。
そのために過ごした“時間”。 学歴、職場、肩書き……
それらはすべて、 “この世界が続く”という前提の上に作られた幻想です。」
セラの目が、静かにカメラを見据える。
「オメガは、それらを“リセット”します。
悲しみではありません。 神が与える、痛みを伴った贈り物。
古い世界を破壊し、新しい地球へ導く光です。」
「お金は意味を失い、
学歴も、職も、国境も……
すべてが“水平”になります。
人類はもう一度選ばれ、 真に価値ある魂だけが“次の地球”を歩きます。」
涙を流す信者の姿がチャット欄に映る。
「どうか恐れないでください。
あなたが苦しむのは“目覚めつつある証拠”。
もうすぐ夜が明けます。 破壊のあとに、 本当の創造が始まるのです。」
蝋燭の火が、静かに揺れた。
《午後4時/アメリカ・オレゴン州》
森の中で若者たちが円になって座り、
セラの配信を英語字幕で見ている。
“Money will lose its meaning.”
“Omega is the light of rebirth.”
「……holy crap.
なんか……分かる気がする。」
「俺、借金あるし……リセットって響き、
普通に助かるんだけど。」
「この人の声、落ち着くよな。」
アメリカでも、
“Rebirth Circle(再生の輪)”と呼ばれる集まりが増え始めていた。
《午後5時/東京都内・とある地下駐車場》
桐生誠は、昨日訪れたネットカフェから
“城ヶ崎が次に向かった可能性のある場所”を追っていた。
店長が提示した監視カメラの時間から、
彼が歩いて行ける範囲を絞り込み、
ネットで“個室スペースあり・深夜利用可”を調べる。
(ここだ。
逃げる人は“ネットに残らない隙間”を探す。)
古い個室ビジネスホテル。
そこに、数日前にチェックインした男がいる。
桐生はホテルに入り、
フロントで名簿を確認する。
「この部屋……まだ滞在中ですか?」
フロント係の男性は少し迷ってから答えた。
「ええ。ただ、お客様情報は——」
「いえ、分かっています。
質問はしません。
ただ……その方に、渡したいものがあるだけです。」
桐生はメモを取り出した。
《あなたの“真実”を聞かせてください》
フロント係はメモを受け取り、目を細める。
「……直接お渡ししてきます。」
桐生は頭を下げ、
ホテルを離れた。
(頼む、受け取ってくれ……
城ヶ崎。)
《夜9時/総理官邸・執務室》
サクラは、
行動制限の資料を見つめていた。
「学校の段階的休校……
イベントの人数制限……
企業活動の調整……」
藤原が言う。
「どれも必要ですが、
国民の心理負担が大きくなります。」
中園は静かに言った。
「“セラの言葉”と“政府の言葉”が拮抗しています。
明日の短いスピーチで、
少なくとも“立ち止まる理由”を示さないと。」
佐伯防衛大臣も言う。
「暴動が起きてからでは遅い。」
サクラは、椅子にもたれながら
深く息をついた。
「……世界が二つに割れたみたいね。」
(祈りの世界と、現実の世界。)
(どちらも、人の心が選んだもの。)
「でも……どちらも“生きたい”気持ちの現れなのよね。」
その“正直な言葉”に、
部屋の空気が少し緩む。
サクラは続けた。
「明日、ちゃんと伝える。
“恐れを否定しない”って。」
《深夜3時/とあるビルの屋上》
街の光が遠く霞む。
天城セラの最新メッセージは、
日本だけでなく、 北米・アジア・ヨーロッパで急速に広がっていた。
ビルの屋上で夜風に吹かれながら、
セラはゆっくり目を閉じる。
(オメガ……
あなたは光。
世界を洗い、新しい人類を選ぶ光。)
彼女の口元に、
静かで確信に満ちた微笑みが浮かんだ。
本作はフィクションであり、実在の団体・施設名は物語上の演出として登場します。実在の団体等が本作を推奨・保証するものではありません。
This is a work of fiction. Names of real organizations and facilities are used for realism only and do not imply endorsement.