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あれから――。
僕と葵は晩御飯を済ませた後、少しの談笑をしてから床に就くことにした。
いや、少しじゃないか。だってもう、時刻は二十三時をとっくに回ってたから。
とても楽しい時間だった。
お喋りをしながらお互いに笑い合って、冗談を交わし合った。ケラケラと笑う葵の屈託のない純粋無垢な笑顔を見ていると、これ以上ない程に幸せな気持ちになることができた。
葵の太陽のような温かな笑顔が、僕の心を温めてくれた。その笑顔をずっと見ていたかった。
そう、素直に思える、楽しくて幸せな時間だった。
* * *
「憂くん、もう寝ちゃった?」
「ううん、まだ起きてるよ? どうしたの?」
光量を落とした薄暗い部屋の中、僕と葵は布団に入りながら言葉を交わす。
まだ起きてるとは言ったけど、この前のように緊張して眠れないわけじゃなかった。ただただ、寝るのがもったいないと思えたんだ。
一分でも二分でもいい。
葵と一緒にいられる時間を大切にしたかったから。
「じゃ、じゃあさ、憂くん。こっちで一緒に寝てくれない……かな」
「そういうことはしないって約束でしょ? ダメダメ」
正直言って、本当は断りづらかった。葵の言葉にたくさんの寂しさが含まれてたから。
でも、仕方がなかった。直接は言っていないけど、僕も葵も、お互いを意識してしまってるんだから。
一緒に寝た時。
僕達はきっと一線を超えてしまう。
「――そっか。分かった」
「ごめんね、葵。って、ど、どうしたの!?」
ベッドからむくりと起き上がった葵は、そのまま僕が寝ている布団に潜り込んできた。鼓動が高鳴るとか、心臓が激しく動くとか、そんなレベルじゃない。
胸が早鐘を打つ。
まるで、警鐘を鳴らされているみたいに。
「だ、ダメだって言ってるじゃん」
「いいの。自分の部屋なんだから。私の勝手でしょ」
「勝手でしょって……」
持ってきた枕を横に並べて、布団の中に入ってきた葵は仰向きのまま動かない。ずっと天井を見上げていた。まるでそこに、僕の心の中にある本音が露わになっていて、それを確かめるかのように。
「久し振りだよね。憂くんとこうやって一緒に寝るのって」
「こ、子供の頃の話じゃん。僕達はもう――」
「いいの。私はまだ子供だから」
すぐ隣に葵がいると思うだけで、否が応でも体が硬直する。金縛りにでもあったみたいだ。体が動かない。
薄暗い部屋の中、どうしてだろうか。光量を落としているはずの照明が、今はやけに眩しく感じる。それだけじゃない。葵がわずかに動いた時の衣擦れの音までもが、大きく聞こえてしまって仕方がない。
それからしばらくの間、僕と葵は言葉を発することはしなかった。でも、それでも伝わってくるんだ。葵の気持が。
きっとそれは、葵も同じはずだ。
「葵――」
何も言わずに、葵は手を伸ばし、そしてそのまま僕の手を握った。数年振りに感じる、葵の手の柔らかさ。体温。繊細さ。それらの全てが、葵の気持ちに変換されて、僕に伝わってきた。
僕の心に、葵の足跡を付けられてしまった。
そんな感覚だった。
「不思議だね。憂くんの手を握ってると、すごく安心する」
「――そうだね。僕もそんな感じがする」
嘘じゃなかった。葵に手を握られてると、さっきまで僕を雁字搦めにしてた緊張感が、不思議と解けていった。
葵は魔法でも使ったんだろうか。
そして、さっきまでの緊張感から安心感に変わったことで、僕はそのまま、いつの間にか眠りについていた。
* * *
一人の少女は、隣で眠る幼馴染の笑顔を見ていた。
「可愛い寝顔」
眠りから起こさないよう、そう、小さく呟いた。
「本当に、憂くんは優しすぎるよ」と、心の中で囁く。子供の頃の彼のことを思い出しながら。そして、手を繋いだまま、少女は彼の顔にゆっくりと近付く。
少女はそのまま、そっと自分の唇を彼の唇に重ね合わせた。
大切な『何か』を伝えるようにして、重ねた唇を離さなかった。ひとすじの涙が、少女の頬を濡らす。
そして再度、小さく、小さく呟いた。
「ごめんね。約束、破っちゃった」
『第10話 心の足跡【2】』
終わり