『急用ができたので少し遅れる。部屋で待っているように』とクレハ様への伝言を侍女に言い渡すと、レオン様と俺はジェラール陛下の執務室へと足を運んだ。
突然娘を預かって欲しいなどと言い出したジェムラート公爵……陛下もそんな公爵の様子が気になったらしく、自らジェムラート邸へ赴いて事情を聞いたのだそうだ。
国のトップがそんな簡単に市井を歩き回るなと突っ込みたいけど、言っても無駄なので小言は飲み込んでしまった。レオン様のフットワークの軽さも父親譲りだな。嫌になるほどそっくりな親子だ。
「フィオナ嬢が?」
「ああ、ここ数日様子がおかしいらしくてな。原因は分からんが……フランツの息子ふたりとルクトの領地へ避暑に行って帰ってきてからだそうだ」
「それは、ご病気か何かで?」
陛下は『あー……』と呻きながら、視線を宙に泳がせる。俺たちにもっと近くに寄れと手招きをして、内緒話をするように小さな声で話しだした。
「表向きは体調不良ということになってる。しかし、大声で喚いたり椅子や物を投げたりと……癇癪を起こしているような状態らしい」
フィオナ様が癇癪だと? まるで絵に描いたように完璧だと名高いあの御令嬢がまさか……
「クレハの姉君には何回か会ったことあるな。歳の割に落ち着いていてしっかりした印象を受けたが……」
「年相応に見えないという点ではレオン様も負けて無いですよね。臣下の間ですら年齢詐称疑惑もたれてますから」
「はははっ! こいつ子供らしくないし、可愛い気無いからな」
先ほど揶揄われた仕返しだろう。陛下は楽しそうに大声で笑う。レオン様は不機嫌そうに眉間に皺を寄せて陛下を見据えると、話の続きを促した。
「……それで、宰相の御子息の方には異変は無いのですか?」
「フランツの息子には特に変わった事はないそうだ。ただ、上の息子がフィオナ嬢を心配し過ぎて体調を崩しかねないらしいが……」
「ルーカス殿は確かフィオナ嬢の婚約相手でしたね。それはお気の毒に……」
「大人びてはいてもフィオナ様もまだ10歳ですからね。そういう時もあるんじゃないんですか。早めの反抗期か何かでは?」
驚きはしたが年頃の子供は気分の浮き沈みが激しくて、情緒不安定になるのはよくある事だと聞く。大袈裟に騒ぎ過ぎではないだろうか。
「フィオナ嬢の普段が出来過ぎているが故の反動だろうなぁ。公爵は相当ショックがデカかったみたいだぞ。夫婦揃って完全に参っちまってる」
俺だってフィオナ様が癇癪を起こして暴れているなんて想像できないから、公爵の気持ちは分からないでもない。病ではないかと疑っても仕方ないか。
「そんなこんなでな、ジェムラート家は今かなりピリピリしてる。病の可能性だって全く無いとも言い切れないからね。状況が落ち着くまでクレハ嬢はこちらで預かることになったんだ」
「そんなことがあったのですね……」
「クレハ嬢が不安になるのは分かるが、もうしばらく辛抱して欲しい。言うまでもないかもしれんが、お前ちゃんと側に付いていてやれよ」
「……はい」
最後に陛下は真剣な顔をしてレオン様へ向き合い、そう告げた。黙って陛下の話を聞いていたレオン様は、短く返事を返したのだった。
「セドリック、どう思う?」
「どうとは……」
陛下の執務室で話を聞いた俺達は、クレハ様をお待たせしている客室へと向かった。その道すがらレオン様が俺に問いかける。
「さっきの父上の話だ。どこまで信じる?」
「……まさかレオン様、先ほどのお話を嘘だとお思いで?」
「いや、嘘ではないと思うぞ。そうであるなら、もう少しもっともらしい理由を用意するだろうよ。まだ俺が駄々捏ねてクレハを引き止めてるって方がよっぽど説得力がある。フィオナ嬢に何かあったというのは本当だろう。だが妙に引っかかるんだよな……上手くケムに巻かれたような……」
レオン様は立ち止まると考え込んでしまった。これは長くなりそうだ。
「癇癪ねぇ……」
「年頃の女の子ですからね。あまり周りが騒いで大ごとにするべきではないと私は思います。うちの姪っ子も一時期荒れて酷かったらしいですし。心配なお気持ちは分かりますよ。目の中に入れても痛くないというくらい、溺愛しているお嬢様方ですからね」
「理由としてはとりあえず理解できるが、お前の言うように大袈裟な気もするぞ。クレハを王宮に預けるほどのことか?」
ジェムラート夫妻が子煩悩で過保護というのは承知している。しかし、王宮へ急ぎの書状を出してまでクレハ様を留まらせたのには違和感があった。まさかとは思うが、本当に何かの病にかかっておられるのか……
「父上は俺がミシェルに命じてジェムラート家を詮索するのをやめさせたよな? そして事を荒立てず、静観しろと」
「ええ。でもそれは、陛下は既に事情をご存知だったので改めてわざわざ調べる必要は無いと思われたからでは? デリケートな問題でもありますし、フィオナ様に配慮なされたのでしょう」
「俺たちがそう思うように仕向けたとも考えられるぞ? こちら側で好き勝手探られる前に先手を打った訳だ」
「それは……何故そんな事を?」
「どうにも父上は俺にこの件に関して深入りして欲しくなさそうに見える。父上はジェムラート邸で事の経緯を確認しているが、その中に知られるとマズい事でもあったのかもしれん」
レオン様は陛下が何か隠していると思われているようだ。仮にそうだとしたらそれは一体……
「知られるとマズい事ですか……」
「例えばフィオナ嬢の豹変した原因……とかな。病の可能性もあるなんて言っていたが、それなら尚更身内であるクレハにこそ、事態の説明をしないのは不自然だ。俺はフィオナ嬢の異変には病でも、まして思春期故の情緒の乱れとも違う、明確な理由があると考える。けれどそれは、クレハや俺に説明し難いことだった。だから父上はそこをぼかして、差し障りのない部分だけを話したのではないか?」
「豹変したそもそもの原因……何なんでしょう」
「分からん。だが、それにクレハが大きく関わっている可能性が高い」
「えっ!?」
「公爵からの手紙だよ。フィオナ嬢の名前は勿論、詳しい状況説明も何も書かれていないあの手紙が、唯一こちらに伝えてきたのはクレハを家に帰すなということだ。つまり、それが一番の最優先事項だったという事……あの子が関わっていると言っているようなものだろう」
「クレハ様が……? いやしかしレオン様、フィオナ様の様子がおかしくなったのはルクトから帰って来てからだそうですよ。原因があるとしたらルクトに滞在中に起きた出来事でしょうし、クレハ様は関係無いのではないですか?」
クレハ様もルクトへ行く予定だったんだよなぁ。レオン様との婚約発表を早めるために、無理を言ってクレハ様の同行は中止にするよう計らってもらったのだった。こちらの都合でクレハ様には申し訳ないことをしたと思っていたが、今思えばそれは良かったのかもしれないな。
「ここまで言っておいてなんだが、あくまで俺のカンで憶測だ。穿ち過ぎと言われればそれまでだよ」
そう言いながらも、レオン様が1度疑問に思った事をこのまま放置しておくとは思えない。クレハ様が関わっているやもしれないとなると尚のこと。
「さて、どうするかな……」
「やはりミシェルに調べさせますか?」
「いや、父上に釘を刺されているからな。俺は言われた通りクレハの側にいて、彼女の為にできる事をするまでだ。それでだな、セドリック。お前に1つ頼みがあるんだが……」
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